まとめてつぶやき259 要領よく生きることの落とし穴

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1/15 仏教徒は独りで悟りを開き、悟りを開いた人の
下に参集する。対してキリスト教徒は株式会社の例が
示すように事を始めるにあたって人と金を集める。こ
れは問題解決のアプローチ法にも直結するので求道者
から言わせてもらえば、徒党を組むことはすなわち迷
いである。それは占いに頼ったり新興宗教や不良グル
ープに入るのと同じで自分の進路について迷いがある
あるいは行き詰っているからこそ他者の後ろ盾や新し
い解釈を欲しがる。そうして自分の信条に混ぜ物をす
ることで解釈の幅を広げようとする。すなわち逃げ道
を作るのである。このとき人は自由を叫ぶ。
 しかし仏教はそれによって世俗の人々に迷惑をかけ
ることは本末転倒であるとして「この世の一切は苦し
みである」を説いて踏みとどまる。集団になると不純
物が混ざりすぎて一つの教義を維持するのが困難にな
ることは仏教徒にも分かっている。しかしそのジレン
マと正面から向き合って「世の中は思い通りにならな
くて当たり前」と考えるところに彼らの精神的な強さ
と成熟がある。そして同じジレンマに対して外側に向
かって自由を叫んだり敵を作って不満のはけ口を設け
るところにキリスト教徒の幼稚さがある。しかしそう
して教義に文句があるわけではないと装うことは神お
よび自分自身を欺いているのではないか。

 そんなことをしているからますます迷いが深くなる。
言い訳して解釈を広げなければならなくなる。理性と
の対立が深まって後戻りできないという気持ちが強く
なり、壁を作ってどんどん袋小路に追い込まれ、疑心
暗鬼に陥ることになる。最初の壁は組織の教義あるい
は自分の理性一つであったが、言い訳をする度に増え
てそれらに取り囲まれて身動きが取れなくなるところ
まで行き着いてしまった。それというのも徒党を組む
ことによって言い訳の上限をなくしたためである。そ
うして責任の所在を曖昧にすると自分自身の存在を証
明できなくなる。しかし今更独りで闘えないといって
集団に依存するから、ならばそこに関与しているあな
たは一体何なのだという事になる。人は責任を持つこ
とで存在の証明を得るのである。

1/15 自由になりたければ単純に組織(の教義)から離
れればいい。罪人も罪の意識や糾弾者に責め苛まれた
くないなら都市(の法律)から離れて人工島へでも行け
ばいい。そこで罪人同士で悪の研究を進めてその存在
意義を証明して見せればいい。善悪の区別を付けない
という議論はそこにしか行き着かないと思う。善の研
究と悪の研究の延長線上で交わる点を見つければ全て
の人が救われるという条件を満たせる。しかし現状罪
人は法を免れることばかり考えて国家権力と連携を取
ったり技術開発をしたり糾弾者を脅したりしている。
その間悪の研究および記録を進めているのかと言えば
いつでも「逃げ切ってから考える」の一点張りで善の
研究を妨害しているだけだ。都市に居続けることが一
つの執着になってそこから先へ進めないのだ。
 それで悪道の専門家と言えるか?僕の方がはるかに
深い所まで罪人の行動心理を突き止めている。それで
彼らはともすれば彼らの研究を促すために僕に挑発を
繰り返している。無論善道の批評家でもない。本来な
ら自分たちで加害者役と被害者役を選出して、お互い
に意思疎通しながらどちらかの精神が崩壊したら直ち
に実験を中止できるような環境作りをするべきなのに
気に入らない結論に反抗して狂気のままに暴れている。
研究者でも何でもない。嫌ならやめればいいじゃない。
 政治的にも思想的にも今や僕の方が右翼で同時に解
放者でもある。権力者やカルト集団が作り上げた上限
に忖度して人生を見失っている人々を救うために壁を
取り壊して視界を取り戻してやろうというのだ。それ
は彼らが要領よく生きるための条件であって人類共通
の試練ではない。壁の存続を助けることは仏教の教え
にも生態系の理にも反している。
 彼らはそれに対して武力や国家権力や金やメディア
の力をもって抵抗する急進的な(ただ待つだけの)左翼
集団、革命軍だ。宗教的に言っても廃仏毀釈という名
の宗教戦争を仕掛けているテロ組織だ。イスラム教徒
の一部がそれをするとテロだといって全てのイスラム
教徒に対して問答無用の空爆を強行するくせになぜ彼
らは同じことをして野放しなのか。それも解釈の自由
といって逃げるのか!?
 キリスト教以上に危険な思想は無い。そのスカスカ
な内容の教義を作り直せ。結局彼らにとって一番邪魔
なのは彼ら自身の神なのだ。それが彼らの思想の追求
を妨げている。カトリックとプロテスタントでとこと
ん話し合え。アメリカ人は特に黒人や原住民、そして
低学歴の人たちともちゃんと向き合って話をしろ。
 彼らのいかれた技術開発やオートメーション化やキ
ャッシュレス化はエリートの下層民に対する差別感情
を動機にしているのではないか。つまりバカや貧民と
は関わり合いたくないとか彼らの触れた物には触りた
くないといったわがままで彼らを隔離するような技術
や経済システムを作り出して世界各国に押し売りして
いる可能性がある。――そのくせ彼らの労働力に依存
している。自分たちだけで人生と社会を成立させてみ
ろという話だ。善人だけで人生や社会は成立する!
彼らの潔癖症を解決しない限り世界は貧しくなる一方
で誰も救われない。下の者はエリートに意見する勇気
を持ち、エリートは下の者と対話をする勇気を持つべ
き。臆病者が第三者に虚勢を張るのは大変迷惑だ。当
事者間で解決しろ。自分の問題と向き合え。自分を不
在にするな。

1/16 大学に行くとバカになるのは要領よく生きるこ
とを覚えるからかもしれない。高校生までは不良しか
していなかった出席日数や及第点の計算をするように
なって逆算を始めるから愚かになる。そこに上限がで
きたから拡大解釈をするようになる。
 そうして非情になればまじめな人や無欲な人を出し
抜けるのは当然だし、人の弱みに付け込めばマウント
も取り易かろう。しかしそういった人の人情を嘲るよ
うなやり方は自分自身の人間性も否定することになる。
例えるならリードを力任せに引っ張る犬のようなもの
で、彼は飼い主の責任感や社会的な義務に付け込んで
勝手をしているだけで相手の事情を察する思慮のない
動物の行動である。犬になることが果たして成功か?

1/16 例えば大谷翔平選手の凄さが分かるレベルに達
した人が彼のようになりたいと願うとき、彼は「野球
が上手くなりたい」という初心を否定することになる。
なぜなら理想というものは誰が夢想したとしても実在
する誰よりも秀でたものであるはずなのに具体的な理
想像を打ち立てることによって大谷選手が目標の上限
になるからである。それによって彼は大谷選手のバッ
ティングフォームや練習法などを研究して彼ら近づこ
うとする。同時に自分の理想や生来持っている野球セ
ンスを切り捨てなければならない。
 しかしフォームや髪形を真似したところで大谷選手
になれるわけではないし、そもそもプロになれる保証
にもならない。したがって少なくとも壁を感じた時点
で理想像を捨てて自分のスタイルを見直さなければな
らないのだが、多くの人はそこでつまずく。手本があ
ることで要領よくトレーニングすることを覚えてしま
ったからである。そこでは単に成績だけを気にしてい
ればよいので楽でもあるし、スランプに陥りやすくも
ある。しかし改めて独自の目標やトレーニング法を打
ち立てようにも頭が真っ白になってステップアップで
きない。大谷選手のようになる事だけを考えて自分自
身を構築してこなかった事にそこで気づくのだ。
 ・・・そうして空っぽの自分の惨めさや不安に負け
て元の理想に閉じこもる。未来もないのにそこに執着
する。言い訳がましい人は大抵こういう状態にあると
思う。だからこそ「悪人を救う」と言う人を僕は疑う
のだ。金持ちや罪悪感を抱えた人は金離れがいいから
上得意になりやすいだけではないかと。彼は悪人が要
領よく救われるのを助けているだけだ。もし金持ちが
ギャンブルや悪徳や弱者の虐待にしか気前よく金を出
さないというなら、何よりもまずそういう考え方を改
めさせるべきだろう。さもなければ「出て行け」の一
言の方がよほど救いになる。(なぜ人々が自然に発する
言葉を疑うのか?)

1/16 「○○すれば救われる」というのは資本主義
的な報酬の理論であるが、そもそも「救い」は外部か
らもたらされるものではない。それは自他の執着や煩
いから解放された時にしみじみと感じるものである。
したがって個人が執着から離れない限りは神にもその
人を救うことはできない。そして罪人にとって罪悪感
は執着でも煩いでもない。それは自身の良心の声でな
ければ要領よく生きるための障りである。その障りが
なぜ生じるかと言えばさっきも言ったように都市に住
まうことに執着するからだ。風呂の湯が熱ければ上が
ればいい。なぜあなた一人の独断で水で埋めるのか。
熱いのはお湯ではなくあなたの体だ。

 正論に反感を覚えるのはその人が自分の価値観に何
らかの上限を設けているせい。自分の正当性を主張す
るのに「あなたと私は違う」という論点に頼っている
からである。しかしすべての命がつながっているとい
う視点に立てばあなたを立てることで私が立たなくな
ればそれは正しくないし、逆もまた然りである。
 この議論のポイントは両者の働きかけによって縁が
生じるか否かにある。例えば僕の考察を読んで読者に
何らかの心の変化を生じたとしたらそこには縁があっ
たと言えるし、頭からお前なんか認めるものかという
態度で読んだり目もくれなかったりすればそこに縁は
生じない。どんなに僕に執着しようとである。
 しかしだからと言ってあなたが正しいとかあなたの
考えを変えられなかったからとかあなたに興味を持っ
てもらえなかったという理由で直ちに僕の理論が間違
っているという事にはならない。僕がターンを回せと
言うのもそのためで、縁(=変化)が生じるのを拒絶し
なければ存続できないような理屈は死者の論理である。
つまり死人とは議論ができないというだけのことだ。
 恐らく神も同じ立場にある。人間は自分たちで勝手
にジレンマを作って悩んでいるだけだ。悪人は救われ
たければ善人との一致点まで進むしかないし、善人よ
り生産性が高いから許せと言っても通らない。浄土に
は財産も肩書きも持っていけないのだから。
 ・・・僧侶が凡夫に譲歩し過ぎなんだ。宗教のフィ
ルターを通して見ればすべてを教義に結びつけて考え
てしまう。それは偏った見方、偏った世界観で悟りを
遅らせる原因となる。才能が無い人も実は個人的な執
着や偶像あるいはハイテク機器のせいで勝手に壁を作
っているのだと思う。いくら理想的だといっても壁を
感じたらそこから離れる努力をしなければならない。
例えそれが仏でも。「より良いものは良いものの敵」
という言葉がある。
 だから何事も第一人者として臨むべき。そうして自
力で課題に立ち向かう癖をつけることだ。そうすれば
世に出ていない求道者のことも認められる。
 ・・・しかし僧侶にこれは言えまい。そこが宗教家
の限界だ。神への執着から離れられない。それは人間
を愚かなものと決め込んで軽視しているともいえる。
人を信じることも大切だ。

1/16 要領よく生きる事を覚えると何でも解決できる
という誤った信念が生まれる。それで勧善懲悪を主張
する人には「世の中は思い通りにいかない」と言いな
がら自分は何でも思い通りにできると根拠もなしに信
じてしまうのだ。そんなのはパラレルワールドだろう。

1/17 仮に全ての人が救われるなら心霊現象や怪談や
霊媒師の存在をどう説明するのか。神に救われた人が
なぜ私たちに救いを求めて悪さをする?
 人は死にたくないと思うだけで成仏できない。逃亡
犯は捕まった時にホッとするというが、それは逃げ切
るという執着から解放されたからである。ただし罪を
犯した原因となる執着から解放されていなければ彼は
ふたたび罪を犯すだろうし成仏できない。刑務所で一
転死にたいと願っても同じである。シェイクスピア劇
に登場する常勝の王や騎士とて追い詰められて自害し
ても成仏できない。執着や恨みから離れなければ神に
も彼を救えない。

 だからこそ老いが悟りを助けるのである。人は体の
衰えを受け入れることによって見ること、聞くこと、
食べること、走ること、そして認められることへの執
着を諦める。そして孤独を受け入れて死ぬ準備をする。
上手に死ねる人は周囲の献身的な介護を受けていても
ちゃんと孤独を感じることができる。しかし孤独を受
け入れられない人は死ぬ寸前まで人を煩わせる。それ
で臨終の間際にちょっと念仏を唱えて浄土に行けます
なんてあり得ないでしょう。さみしい、苦しい、許せ
ない、憎い、あいつが悪い、負けたくないといった言
い訳は神には通じない。天国はお情けで行くところで
はない。ちゃんと準備をした人が確信を持って行くん
だ。だから信者にうそを教える新興宗教の教祖も成仏
できない。執着の塊でしょう。
 仏教はむしろ浮遊霊に説教すべきだ。毎日線香を焚
き、念仏を唱えて成仏の道標を示してやっているのだ
からとにかく寺へ来いと。何で病院や廃校にばかり行
くんだ。

1/17 罪悪の種類をあれこれ考えるのも「罪人を救わ
なければならない」という執着に捕らわれ過ぎている
せい。その時点で善と悪を区別している。それで無欲
に生きている人にまであなたも罪を犯す可能性がある
し、命を殺して食べているのだといって無理やり悪人
に仕立て上げなければならなくなる。しかしそうする
と人は罪悪を避けようと生活に制限を設け、要領よく
生きるようになって結局仏教から距離を置くようにな
り、成仏できなくなる。執着に捕らわれる。自然なこ
とは自然のままに受け入れればいいんだ。

1/18
 ここからは浄土真宗本願寺派第二十四代門主大谷光
真著の『愚の力』の内容を踏まえつつ考察を進める。
こうした本にタイミングよく出会えるのも僕がこだわ
りなく人智を受け入れ、そうした縁を広げる準備をし
ているからである。

1/18 人はお経や口癖を日常的に唱えることで自分に
暗示をかける。そしてその効果を実感することで言葉
に魂が宿ることを知る。例えば毎日「ありがとう」と
いう言葉を千回唱えることが開運につながるのは本人
がその言葉の意味やシチュエーションを理解した上で
口にすることで脳がその状況を再現して自分は恵まれ
ていると錯覚するためである。
 とすれば親鸞聖人が自らに「愚」とか「悪」という
言葉を冠した意図も計り知れる。つまり動乱の最中に
あって「正義」を自称する者がことごとく暴走するの
を見て正義の中にも愚や悪が潜んでいることを知り、
内省して、ともすれば独善や原理主義に陥りやすい自
己や同志たちを戒めるためにそれを冠した。
 言い換えれば彼は自らを意志が弱くダイエットが続
かない人を成功に導くトレーナーのような立場に置い
て、罪人や体重七十キロの人とは価値観が違うかも知
れないが贖罪やダイエットの意思さえ示せば等しく面
倒を見ればよいではないかと考えた。それは仏教の
「悪人」の解釈にも表れている。

 ここでいう「悪人」とは、自分の力で仏に成るべき
能力や資質が備わっていないものという意味です。
(『愚の力』文春新書718, P.76)

 補足するとこれには人間だけでなく草花や動物、そ
して道具も含まれる。だから仏像は人間が毎日それに
向かって手を合わせることで仏像になるし、位牌に供
え物をして線香を上げればそれが先祖の依り代になる。
ついでに言えばそこに縁が生じる。だから何ものにも
敬意を示さない人は何ものとも縁が無い。人も物もた
だ便利に利用するだけだ。こういう人は孤独を感じや
すくストーカーになりやすい。

 しかしここまで理解してもなお「悪人のままで救わ
れる」という考え方への疑問が残る。阿弥陀如来の慈
悲はいうなればマラソン用の靴やたすきに当たると考
えると、確かにそれをもらったことで努力を始める人
はいるだろうが、仏は基本的に言葉を発することがで
きないのでその成果を褒めてはくれないし、挫けたと
きに励ましてもくれない。となれば彼には別にコーチ
が必要になる。それは僧侶が務めればよいとしても、
成仏するには受け取った靴やたすきを下の者に譲り渡
す慈悲とその時のために大切に扱おうとかより良いも
のに磨き上げようとする奉仕の精神が要る。仏様から
もらった物だといって家宝に祭って後生大事にしてい
るようではいけないのだ。それらは譲り渡すことがで
きる物であればこそ彼の手に渡ったのだから彼だけの
物ではない。それは愚かとか無知の問題ではなく社会
性や人間性の問題だ。ここをクリアできなければ彼は
依然として悪人のままで執着を一つ増やしただけだ。
――僧侶はここまで踏み込んだ議論をしているか。

1/18 「愚になる」とは学歴や肩書、財産や業績や家
族、そして集めた情報や知識などを外して自分自身に
戻る時、愚かで煩悩だらけであることに気づくことで
あり、そこから全ての「いのち」はつながっているこ
とを悟ることができるというものである。
 人間は基本的にこの世で集めてきたもので交換や仕
事や競争、そして交流などの社会生活を営む。そのた
め自分のことを知らないし、考えない。病気や罪悪や
堕落の予防をしていない人も多い。つまり自己不在の
状態で生きている。だから実力を問われる場面で自信
を持てず、権力者や社会常識や風潮や占いに無批判に
従ってしまう。一方で思想家や仏教者や芸術家やアス
リートや芸人など自力で人生を組み立てることのでき
る人を生理的に嫌悪してしまう。一番しか認めないと
か売れた人しか認めないといって彼らの求道を妨げて
しまう。高額納税者や政治家であっても自我を出すと
叩かれるのはそのためで、そこで彼らは自分自身が認
められたのではない事に気づく。

 大衆もまた実力主義の社会に絶望しながらそこに留
まることに執着しているから罪人と同じ態度を取って
しまうのである。(それで罪人に共感したり寛容にな
る) そしてその執着が彼らの悩みや苦しみを際限な
く増大させる。
 これを取り除くには一人一人が自力で闘えるように
なることが唯一の解決策であるが、その過程で「一切
衆生」を悟って命のサイクルを循環させることを第一
義とする風潮を作り上げることが一番大事。個人主義
は悩みの元でしかない。それを主張するなら地位や金
や武力を誇るなよ。全部捨てて来い。自分の内側から
生じた知恵と勇気と確信だけで勝負しろ。暗黙の了解
や忖度に頼るな卑怯者。

1/18 こういう事を言うと「お前は独身で社会的地位
も低く守るものが無いからそんな事が言えるんだ」と
言う人があるだろうが、人生にそんなものは関係ない。
みんな自分で選んだ苦しみだ。そこに老いと病と世代
交代の苦しみが加わる。これらも誰も免れることはで
きない。スポーツ選手だってケガと上手に付き合いな
がら競技人生を続けている。同じように一般人も老い
と共に執着から離れて死に備えるべきなんだ。
 そもそも若者たちが人生に迷い、結婚もしないし子
どもも産まないと宣言するほど絶望しているのによく
「守っている」なんて言えるよね。エリートたちに言
うべきことも言わず、議論を避けてやりたい放題やら
せているだけじゃないか。しかもそのツケを子どもに
まで負わせている。彼らに言うべきことは「俺も苦し
いからお前も我慢しろ」じゃないでしょうに。

1/18 バカは賢者が教科書や文献からだけ知識を得て
いると思っているが、そんなものは始終窓を閉め切っ
て室内空調装置の風だけで空気を取り込んでいるよう
なもの。気温の変化に弱く、潔癖になりやすい。ため
に免疫力も弱くアレルギーになりやすい。これはバカ
の典型だろう。
 いきなり真理だけ取り入れたって賢者にはなれない。
順を追って勉強する姿勢が縁を作り、知のサイクルに
入れるようになる。バカは窓を開けて表へ出るべき。
教育者は生徒と教師がいれば、あるいは自然があれば
そこが教室になると言う。環境にこだわる人は限られ
た知識しか受け取れない。それは各分野の知の上限で
あろう。上限をかき集めたって壁に囲まれて身動きが
取れなくなるだけだ。それで一発逆転を狙って人を出
し抜いたり陥れることばかり考えている。世界は自分
を中心に回っていると思っているんだ。しかし相手選
手の足を削ったってスコアは変わらない。負けは負け
だ。そういう逆転のイメージがバカなんだ。自分で勉
強しないと決めているからそういう事になる。
 ・・・なんか最近の技術では人工的に幽体離脱を起
こせるらしいから一日中幽体離脱していればどうか。
それで研究結果をレポートにまとめて提出してくれた
まえ。――といっても実際に幽体離脱させたらすぐに
いたずらに意識を向けるのだろうが。日常的にひらめ
くことが無いからたまにそういう事があると飛び付か
ずにはいられない。それで脱線をクリエイティブだと
思い込む。決めたことをやり通す集中力が無いんだね。
だからバカと悪人の研究は進まない。

 改めて書くと順を追って勉強するというのは知識を
八割方まとめてストックしておくという事。それによ
って注文があったらすぐに仕上げて出すことができる
ようになる。バカにはそのストックが無いから出来合
い品を買ってくる。それでインスタントなアイデアば
かり出すんだ。そんな事情を汲んでやることが果たし
て思いやりや社会保障と言えるのかね? 彼という壁
は私の障りになっても私の執着から作られたものでは
ない。だから彼がしたようにそれを回避して方向転換
する必要が無い。彼にとって受け入れてもらうとは多
分そういう事だが、私はどうしたってその壁を撤去す
ることを考えるよね。でもそれは彼の執着であるから
彼が考えを変える以外に改善する方法が無い。しかし
彼はそれを受け入れないばかりか攻撃や排除と解釈し
て被害妄想をあらわにする。ならば目を付けられたら
運が悪かったと諦めるしかないのか?それは私が耐え
るべき苦しみか?その間彼自身は苦しんでいるのか?
こちらの反応を窺って休んでいるのではないのか。と
もすれば被害者として押し通そうとする悪意をもって
状況を見極めているのではないか。
 勉強したくない者は勉強しなくてよいという風潮は
明らかにこういう連中を量産している。それでバカを
利用して権力者や資本家が「俺は金儲けをするからお
前はバカの分まで勉強していろ」といって社会をどん
どん退化させていく。今や社会が人生の上限になって
いる。それは先に書いたように彼らが要領よく生きる
ための条件であって人類共通の試練ではないのだ。
 バカは何の権利があって救いを求めるのか?弱者救
済の在り方を考え直すべきだと思う。

1/19 せっかく僧侶の書いた本を読んだのでちゃんと
仏教的なアプローチも書いておこう。
 仏教の考え方ではこの世のすべては苦であり(一切
皆苦)、煩悩による苦しみを滅することこそ人生の究
極の目標である。したがって悪人は苦しみの作り手と
解釈することができ、苦しみの世を構成する欠かせな
い一員であるから仏はそれを排除しようとする心の弱
い人間から彼らを保護し、自暴自棄になって人の道を
外れないよう励まさなければならないということか。
 したがって彼の罪は人の世に苦しみを生み出すこと
ではなく、人間の力こそ最強と傲り、この世のすべて
を思い通りにしようとするところにある。しかしそん
なものは彼の理性の力で打ち砕くことが可能であるし、
集団を作って抵抗しようとも例えば僕一人の力で論破
することができる。金や権力を持てば道理が引っ込む
と思うことが人間の罪であり不幸の元凶なのだ。そん
なものは神の力をもってすれば大変小さな力であり、
思い通りに金儲けができる世も思い通りに人民を支配
できる世もまやかしに過ぎない。だからより大きな力
に屈して本来の苦しみの世に返れ、各々が自分で選ん
だ苦しみに耐えて生きよと教えているのである。

1/20 仏教徒は救いの焦点を思い通りにならぬ世で思
い通りにしようとするなという教えに絞るべきである。
言い訳がましい人や口が達者な人は人生を思い通りに
しようとする野心が強く、幾分その通りになっている
実感があるのだろう。ただしそれは幻想で、縁が起こ
るのを拒絶して死の世界に閉じこもっているだけで実
際には執着と苦しみの中にいるのである。にもかかわ
らず外の世界の方がより苦しいと思うのは自力で闘っ
ていける術を持たないから。自分(身体も精神も)不在
で要領よく生きているから。皮肉なことに私たちの社
会ではうまくいっているように見える人ほど自己不在
と上限に苦しんでおり、駆け出しの人たちの方が少な
くとも精神的には自由である。だから世の中が不寛容
になり、「やりたいことをやって」生きている人への
風当たりも強い。誰もが自分で選んだ苦しみを抱えて
生きているというのに。彼らには「聖堂の慈悲」の心
が足りない。
 門主の言うところによるとそれは「自らをいのち一
つさえ思い通りに救えない”末通らぬ者”と自覚した上
で人を救おうとする心」のことである。僧侶とて言葉
を尽くして迷える人々を阿弥陀如来の慈悲へと導く仲
介役を果たせるに過ぎないのに、彼らは自分一人の力
で自分や家族や仲間を救おうとする。自分とも和解で
きない身の程知らずであるというのに。そういう思い
上がりは捨てるべきだ。特に悪党は滅びの力を苦滅の
働きと受け取って素直に破滅するべきなのだ。そうし
ていのちの循環に貢献すべきなのだ。あなた一人で生
きているわけではないのだから。意地を張っても苦し
みが長引くだけで誰も褒めてくれやしないし、成仏で
きない。

 この日(月曜)の夜のニュースで幸福度調査の発表が
あって「人生で最も幸福度が低い年齢は日本では四十
九歳」と言っていたが、その年代が一番執着との葛藤
が激しくなる時期ではないかと思う。その割に精神的
な充実感を満たす何ものも持っていない。それが昨今
の癒しブームの理由でしょ。限られた人としか縁を作
らず狭い世界に閉じこもっているから景色も考え方も
変わらない。それは死の準備と同じだ。好きなアイド
ルに同化しても流行りのラーメン屋やスイーツ店を食
べ歩いても孤独は癒されない。みんなと同じように振
る舞ってみても同じ。それは要領よく生きる条件を守
るための自己防衛でしかないから縁は生まれない。そ
こには自分がいないのだ。――縁を作るには自分で料
理をしなければ。そうして包丁の種類や食材の良し悪
しに興味を持つようになると知識と一緒に縁がつく。
店にも勉強しに行くつもりで行って大将と話をするこ
とで縁が生まれる。試してやろうという気持ちで行っ
ても自分のログは貯まらない。
 ちなみに年を取ると幸福度が回復するのは本格的に
死の準備をする時期になってその限られた人で構成さ
れた世界で満足できるようになるからだ。孤独が癒さ
れたわけではない。それでも見ることや聞くこと、食
べること、走ることなどへの執着が捨てられない人は
死ぬ間際まで人を煩わせる。アリジゴクの悪霊共も社
会との接点が無いから僕に同化して必死に生への執着
を表現しているが、共通点が無いから電化製品や食事
や股間(尿意・便意)に執着して攻撃している。自力で
闘う気もなければ敵わない勝負をする気もない。彼ら
の世界には腐れ縁しかないのだから初めから勝負にな
らない。しかしそれを自分で選んだ苦しみとは認めな
い。人間関係を築くことなく孤独を解消したいなどと
無茶な要求をするからストーカーになるんだ。こんな
奴らは救いようがない。

1/21 ついでに言っておくと縁あるものの中にあって
入る無我と縁なき集団に埋没することは似て非なるも
のである。こういう事を感覚として掴めないと執着の
苦しみから解放されるのは難しいだろう。アウェーに
移動することを勧める。

 ・・・さて悪霊どものポルターガイストをどうする
か。どうせ先週と同じだから突っ込みを入れたところ
だけ書こうか。
*15:51~:54~:56 1/21 この段になってヘリが威嚇飛
行をする。これも毎度の光景だ。充電は五回目。一つ
前は15:19だった。生への執着、ただし虚偽の主張で
ある。

1/18
9:30, 11:03 気温9℃の「寒の内」にラジオを持ち出
してガレージに居つくガレージ男。
10:34 辞書でたまたま「聖護院」の意味を調べるとウツ
ボじじいが股間を撃ってきた。ここは修験道の総本山で
仏教の土地だ。彼らはおそらく廃仏毀釈の取り壊しに乗
じて入り込んできたと思われる。それでまるで先住民の
ように我が物顔に振る舞っている。イスラム教徒が自分
たちの国でそれをしたら米軍から空爆を受けるのにな。
仏教徒は優しすぎるんだな。それから先週見たほら貝を
吹いて歩いていた一団は托鉢僧ではなく修験僧だった。
彼らは聖護院を反日朝鮮人の手からちゃんと守り通せる
のだろうか。

1/19
4:32, 6:24 1F中央、ブレーカーを落として就寝するも
両足の広範囲と左ひじに発赤。さらに目を覚ますと同化
して脱水攻撃の出力を上げる米パウロ。
6:44 1F北へ移動すると北東に回る米パウロ。
 ・・・アメリカの大学って本当に優秀なのかな?バカ
と貧乏人を切り捨てることでエリートを気取っているだ
けじゃないか。だから「食べたい時に食べたいだけ食べ
る」といったルーズな食習慣が根付いてしまっている。
こいつもエリートが集まる本部から左遷された戦力外の
バカなんじゃないか。だから撃ちたい時に撃ちたいだけ
撃つ。二十四時間同じ所を飛んでいる。イランのソレイ
マニ司令官を殺したのも捨て駒のバカであろう。バカを
派遣することで敵を見下しているのだ。実際には自力で
闘う能力も勇気もなく、頭の中で想像することしかでき
ない自閉症の臆病者だからバカを送ってお茶を濁してい
るだけなのに。それがアメリカの独善の根源でもある。
僕はそんな彼らを含めて「原始人」と評価しているんだ。
*16:34 1/21 米パウロが何百メートルも離れた上空で
虚勢を張る。独善の証明か?
 駒を見ればお里が知れる。それは稽古や問答をしない
分、師匠と弟子の関係よりも顕著であろう。そして意思
疎通をしないが故に駒がボスやエリートを超える未来を
描けない。こんな組織は入った時点で人生が終わってい
るし、壊滅は免れない。
*16:39 1/21 シャッターマンが内側のシャッターを開
ける。また同化。

 しかしバカどもがエリートをかばう理由が分からない。
貨幣の残飯たる現金を投げ与えられて尻尾を振るのは分
かるが、僕が食品ロス問題に絡めて本当の残飯を食べろ
と言うとキレるではないか。一体何が違うのか?想像力
が無いというだけで人間扱いしてくれない奴にへつらっ
て叩き上げに立ちはだかるとはどこまで愚かなんだ。
・・・まあ僕は彼らの味方ではないし今更こちらの陣営
に受け入れるつもりもないが。
 しかし残飯をもらって人殺しに明け暮れ、退役したら
ひっそり自殺する人生ってのは何の価値があるのかね。
彼らの復讐心はその対象を見定めることさえできないほ
ど鈍いのか。この世はままならないねぇ。
 
12:32 1F北でPCを立ち上げ仕事を始める。
13:00 のび太が表の軽自動車を移動。
13:12 ガレージに現れ、内側のシャッターをオープン。
(軽の兵器をガレージに置いた?)
13:25 軽自動車を定位置に戻す。
13:27~:58 次いで表のBMWを移動。定位置に戻す。
14:01 ガレージに向かい、ガレージのBMWを移動。
→そう見せかけて町内を周回して目と鼻の先に路上駐車。

か 530


14:53 脱水攻撃を受けてトイレに行くとガレージのBMW
を発見。カメラに収めると玄関から出て移動する。
16:02 PCを攻撃しながらテロ車を戻す。そして再び玄関
に回って表のBMWをいじり、16:14また車を出す。
17:27 PCをシャットダウンするのを待ってテロ車を戻す。
18:33 入浴中にまた表のBMWを移動したらしく夕食作り
に合わせて定位置に戻した。この間誰も通報せず。
・・・電磁波で操られているのか?以前勝手に買い物を
させられて給料日の翌日に財布が空になるという被害を
訴えていたツイッターユーザーがいたが。これというの
も僕が三週連続で革新的な考察をして負けを確信したた
めであるが、なぜこんな気違いを放置していられるのか
意味が分からない。プロの精神科医に任せろよ。

1/21
8:01~:05~:12~:19~:21~:32~9:00 例によって岡本生協、
米パウロ、ウツボじじい、のび太、セスナ、石部魔女、
ガレージ男が時間差で同化してくる。
10:28~17:03 PCを立ち上げレポートの清書を再開。

 ・・・ま、これだけ書いても庶民は理解できまい。

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