枯れ草はいつ死ぬのか?
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8:40 でかける。
9:19~10:02 スマホで調べ物。
10:02~:04,:04~ ヘリが接近してロックオン行動とこめかみ打ちをしてきたのでスマホを切って移動する。米パウロが追ってくる。
10:23 ヘリが追ってきて畑に先回りする。→東に折れてポイントを変える。
10:37~14:25 レポート作成。
10:37 戦闘機が出し抜かれたのを補って威嚇飛行と脱水攻撃のセッティングをする。
11:08,:35~:37,13:56~14:02,:06,:30 出し抜かれたヘリが白々しく合流してしつこく脱水攻撃と再装填を繰り返す。ハイエースなどの偽乗用車の接近とリンクか?戦闘機も4回旋回。雑草ははびこることしか出来ない。
肉食動物は被捕食者を根絶やしにしたり支配したりすることは無い。むしろその個体数を管理して余り物を頂くような心がけで生きているように見える。ありったけを欲するのは草食動物や植物そして外来種の方で彼らはその繁殖力を誇って奔放に増殖し、生態系と環境を破壊し、餌を食い尽くして自らが亡びることも顧みない。だから人間や天敵などの管理者が必要なのだが、人間もまたカラスやネズミと同じ雑食性でありながら草食動物や植物のような態度で生きているので始末に負えない。
私たちも幼少期から個人の成長のためにライバルや年少者の成長を妨げたり、金儲けに走って人々の生活を脅かしたり、儲けを減らしたくないからと人件費を下げたり物価を上げたり、街に目障りで悪趣味な高層ビルや塔を建てたり、成長が頭打ちになると自己保存本能を働かせて周囲に俺のコピーになれと世界を画一化しようとしたり現状維持や同調圧力すなわち共産主義思想を唱えて種の進化を否定し、「死ぬ時はみんな一緒でなければ民主的じゃない」と考えて終末論を唱えて赤潮(戦争、革命、人工災害による集団自殺)を発生させたりする。―――実際先進国の都市を空から見ると枯れ草が生い茂る荒廃地と何ら変わらないことが分かるし、人々が宗教に求めているのは死後の幸福ではなく枯れ草はいつ死ぬことを許されるのかという事ではないかなどと考えてしまう。彼らは一度根を張ってしまえば枯れても権勢を維持することが出来、新芽や若葉が捕食されるのは地位が低いからだなどとほくそ笑んでいるのであるが、一方で既に枯れ果てた自分が誰にも捕食されることなく惨めに立ち尽くすことに絶望し、「私の人生はいつ終わるのか」と嘆いている。
宗教に帰依する人は神にこれを上訴する人であり、それ以外の人は愚直に生産活動(光合成)を続けるか罪を犯して法律に訴えるか自殺のための武器を人に向けて捕食者を挑発することが定番となっている。もっと言えば悪党がボスに「罪を犯せば殺してくれる約束ではなかったのですか」と訴えないのは彼が捕食者クラスの人物ではなく雑草の王に過ぎないと気付いたからであろう。彼らは雑草の利益を求めて生きながら人間の死を願うことに矛盾があるのでありこの矛盾を権力のちからで強引に押し通そうとして自然界や人間社会の秩序に挑むのであるが、人間の死は人間の生を生きた人にしか訪れないことは議論の余地のないことである。彼らは肉食動物がなぜ生態系の頂点に君臨するのかをよく観察して行動を慎むべきである。
こうなってくると人間を完成した生物と見る唯物論や形式主義の考え方にも異論を挟まなければならなくなる。権力者や既得権者が反対者や新参者を迫害している事実がすでに彼らが人類の頂点ではないことを証明しているのであるが、人類は繁殖ではなく創造によって発展してきたのであるから増益、増殖、勢力維持を主体とする人々は人類の亜種以外の何物でもないのではないか。―――ビーガンが多数派勢力のほのめかしに見えてきた―――。彼らは雑草と同じく身の退き方を知らず、私有財産制を強調して土地所有者以外には荒地の手入れさえ認めない。その一方で他者の領土を侵略し荒廃させることを生き甲斐としている。これは社会性動物の振る舞いとは言えない。社会というのはそこが荒廃、腐敗しているという認識と本来のあるべき姿を共有し、修復、保存していく共同体であるべきである。したがって人が枯れてなお土地を荒らし勢力を振るうなら「人間は草食動物である」との認識を改めてほかの地球生物との豊かな共存のための立ち振る舞い方を考えなければならない。
ここで人工地震の話に戻ると昭和初期の1935年から1992年までの日本の報道機関(読売新聞だけというのも不健康だが)は政府機関が主に旧北朝勢力の土地で行った人工地震実験を報道していた。報道規制がかかったのは1991年にアメリカのAPTI社が地下爆弾を使用することなしに地震を誘発する技術を開発して特許申請し日本に報道禁止令を出したからだと言われている。今はその話ではなく、政府は10年前に関東大震災を経験した東京で無神経にも人工地震実験を行い(1938年2月19日、恐らく4月の国家総動員法発布を睨んで大衆に危機意識を煽るため)、かつそれに対する大衆の反対運動が記録されていないことに異常性を感じている。実際には抗議デモが行われたかもしれないがあらゆる書物から人工地震に関する事が切り取られているし、図書館には朝日新聞のバックナンバーは1940年から置いてあったが、読売新聞は2019年からしか置いてなかった。しかしネットの情報では1984年に小田原で行われた実験を報じた新聞記事が投稿されており「人工地震大きすぎた。震度1の予定が4~5、新幹線のダイヤ乱れる」との表題が付けられていたのでこれに市民がリアクションを起こしていれば彼はその事も一緒に紹介したはずであるから46年間読売新聞の購読者たちは何のリアクションも起こさなかったのだろう。遊び半分で都市と人々の生活を破壊し、差別的に人の命を奪ってきた連中を非難しなかった人達がなぜ正義を誇って僕を迫害しているのか?
『大本襲撃』早瀬圭一(毎日新聞社)という本を読んでみても公安は政府や警察の腐敗や過去の過ちに目を背けてそのオブラートである治安維持法や不敬罪を盲信し、政敵を一方的に悪と決め付けてこの邪法に当てはめるために彼らを研究している。民事事件や自身の組織の連中が処罰される事件については双方の意見、言い分を聞かなければならない、「疑わしきは罰せず」を主張して被害者に泣き寝入りをさせていながら彼らが狩る側、処罰する側になると両者の整合性など全く無視をして自分の利益と正義だけを主張する。これは警察の仕事ではなく近衛兵の仕事だろう。第三者にとってちんぷんかんぷんな状態での解決など有り得ない。
*10:55,12:07,13:07 空でぼーっと人のスマホを覗き見て過ごし、気に入らない記述を見ては銃撃して、それで生き残ろうなんて虫が良すぎるだろう。てめえの主張を返せよ。・・・1時間も何もしないでぼーっとしていられる奴、逆恨みし続ける奴の気が知れない。人間の脳でやることなのか?
本文のP.149~151を引用する。
検挙の網が全国に拡大し警察の取り締まりがきびしくなる中で大本信者の身の上には冷視する世間の目が向けられた。―――氏名のかわりに「大本教!」などとよばれたり社会的地位をはぎとられるものもすくなくなかった。「天人ともにゆるすべからざる逆賊」としてまるで罪人のあつかいであった。こうした残酷なしうちにたえられずに住みなれた町や村を出てゆく人々もあらわれた。
ついで職業への影響もみのがすことはできない。迫害はついに生活をおびやかすことになる。勤人のなかには左遷や転任させられたり、昇級やボーナスを一時停止された人がかなりおおく、とくに公務員の場合はそれが顕著であった。なかには事件の性格が国家的な事件であるとして当然のことのように解職された人もいる。長年勤続した職場をおわれ、退職金さえもとりあげられた信者、教師であった人が教師の免状を剥奪されたという極端な例さえある。しかも社会に放り出された人々の再就職は大本信者というだけで絶望的であった。
自分で商売をいとなんでいた人々の被害もおおきかった。「国賊の家の品物は買うな」といわれ、まず客足がへり、収入が激減した。ひとたび失った信用を回復して立ち直るのにはながい年月を要し、なかには立ち直ることができず閉店して転住した老舗もでた。官公庁の納入を手広くおこなっていた人は納入を禁止され、ついに廃業のやむなきにいたった。精神的な迫害ならまだしもこのような経済的打撃は直接生活にかかわるものであるだけにより深刻であった。
―――もっともいたましかったのは信者の子弟たちであった。学校にゆけば友だちから悪罵され、のけものにされ、罪人の子のあつかいをされる。家にかえれば近所の子からののしられて石をなげつけられる。そのうえ学校の教師までが教壇の上から『弓削の道鏡』をひきあいにだしてあからさまに非難するという場合さえあった。このため信者の子弟のなかには学校へゆくのをいやがり、休学したり転校していくものもあった。―――そしておいつめられた信者のなかからついに死にいたる者もでた。―――と『七十年史』はこう伝えている。
*これをメモする間に偽軍人とのび犬、ウツボはこれから自分たちの身に起こることを恐れて銃を乱射、23:33~0:30気絶させ、0:36,:41,1:25に脱水攻撃を繰り返して妨害した。このため僕は明日に割く時間を惜しんで今夜中にブログの更新を終えておくことにし、夜中の2時に出掛けることになった。例によって米偵察機がついてくるが、地面から尻に電磁波を当てる技術は遠隔操作による人工地震の技術を応用しているのかもしれない。
3:38 加筆中、足しびれレーザーと脱水攻撃のアイドリングを行う偽軍人。地上組の接近もあったのかもしれない。
・・・ここにあるうち商売人に対する迫害は既に僕が3度通った食料品店に対して行われていることで不登校はのび家の兄妹がしている事だ。また巻末には34ページを割いて裁判記録や法廷での公論が掲載されているが、王仁三郎が有栖川宮の落胤であることはもちろん、特高による教団襲撃の動機となった大正維新や昭和維新を扇動したと思われる陸海軍人や華族の信者のことが一切触れられていなかった。これは明らかにやらせ裁判であり、世間の人々は真実を確かめもせずマスコミやポリ公に煽られるままに大本信者の迫害に加担していたのである。実際テロ活動や満州とのアヘンの密貿易(朝鮮で栽培)を行っていた新興宗教は創価学会であったのに、マスコミとポリ公が非難しないから世間もこれを非難しないことを公式の見解とした。自分たちで真実を確かめようなどとは微塵も思わなかったに違いない。しかも戦後治安維持法が廃止され、彼らが無罪になった後も公式に彼らに謝罪することも無く彼らの名誉を回復することもしていないだろう。まして当時の警察を非難して再犯が起こらないよう監視することもせず、今また同じ過ちを繰り返している。
情報中毒者はとにかく謝ることをしない。彼らは自分が情報収集とその解釈しかしないものだから他人の主張も誰かの受け売りと思って嘲り、権威の裏付けがないといって侮るので相手を正当に評価することも尊重することもないからだ。しかもそれによって彼ら自身の性格や認知がどれだけ歪んでいるかということに関心を持たない。
コロナ禍の高齢者の生活を守らなければならないと謳う自民党にしてもその陰で人工地震を起こしたり電磁波兵器で独居老人などを暗殺し、自民党支持者の利益のみを選択的に保護して他を犠牲にしているのにこれを顧みず国民を騙し、世間やマスコミもわずかな金でその欺瞞を見逃している。
しかし国連が人口開発会議で決定したことに従っているだけだと弁解するなら、彼らは信者たちをまず殉教させるべきだろう。カルト信者たちは殉教すれば救われると信じてテロ活動に従事し、廃人のような暮らしをしているが、死を拒絶することは国連の決定に背くことすなわち背教行為なのだから教祖はこれを処罰するべきだ。信仰においては部外者よりも信者が教えを否定する方が罪が重い。それに彼らが打ち出したルールは彼らが滅ぶことで機能し始めるので彼らは手本を示す以外に自己の主張をする方法はないのである。
・・・そもそも彼らの宗教心などは所詮地上に在っては悪行三昧をし、死者の国では放蕩三昧に暮らしたいとの願いを他者と共有するためのサークル活動に過ぎないし、先に述べたように枯れ草の処分を神に訴えているだけなのだ。世の中には出来の悪いやつや物分かりの悪いやつをサポートしたいという酔狂な人がいるが謙虚な馬鹿はいないことを考えれば保護者は彼らのふてぶてしさを矯正することを使命とするべきであり、してもいい事と悪いことの区別を一から十まで教えてやらなければならない。僕はそんな仕事は御免だ。
既に終わっていることがいつ始まるのか?
空き地の王の理屈では行動する事とは公認されることであるらしいが、このような人間の成り損ないのクズに認められることに価値を見出さない人はどうすれば良いのか?人生を諦めるしかないのか。といっても彼らは金以外に社会との接点がないし、公式の価値を高める努力をしているようにも見えない。有名人や主唱者を広告塔にして胡座をかいているだけだ。そのために私たちの生活の土台は常に彼らの掌の上にあり、いじめ被害さえ学校や教育委員会が公認しなければ無かったことにされる有様だ。そのように人生が脅かされるくらいなら彼らを隔離して偽札に悩まされる方がマシだと思う。貨幣も彼らのせいで現状の問題を誤魔化す言い訳に使われており、社会は人生を持て余したクズと人口を持て余した雑草の王のもたれ合いによる社会悪から抜け出せなくなっている。彼らは収入さえあれば反社会的な態度を改めなくてよいと考え、社会に疎外され幸福な人間関係を築けない不幸を社会のせいにして無関係の社会的弱者への復讐に明け暮れている。しかも「類は友を呼ぶ」のことわざ通り彼の周りには勝てそうなクズがゴロゴロいるのにあえて勝てそうにない真っ当な人間に挑みかかるので被害者は真実を暴くだけではこれを撃退することも社会秩序を回復することも叶わず、インフラを壊したくないという雑草のワガママが優先されて彼らより収入で上回る以外に個人的に被害を回避することさえできない。―――ただし彼らは金が幸せな人に管理され、汗や涙や努力や優しさの結晶となって浄化されることを恐れているのでそれも妨害される。金が穢れた者の手に届かないものになって人間の仕事をしろと言われる世界(本来の人間社会)の到来が怖いのだ。それで金にまつわることを常に犯罪と結びつけ、金を犯罪者の持ち物であると主張し、労働を執拗に嘲笑、愚弄するのだ。社会を浄化するような仕事は特に。
しかし枯れ草がそこまでして残さねばならない存在か?なぜ彼らは彼ら自身で草取りの必要性とその実施を主張しないのか?
これについては出口なおを通して現れた地上の神にも言わなければならない事だが、人の世の障りはすべて生存への執着に端を発している。死別の悲しみを避けて名もなき他者を殺し、その生きる糧や機会を奪い合う悲しみに耐えたところで何の解決にもならない。 民主主義社会と先制国家は共に大衆の意見の放棄と政治的無関心で成り立っており、独裁者だって支持者や献金者の意見を聞いたりその権利を保証することくらいする。そして大衆の民主的な権利要求を叶えられない点も全く同じである。両国の指導者の課題は如何にして大衆に政治的な要求をさせないかということであり、一方は金儲けや快楽に浸らせる事でこれを促し、他方は統制によってこれを禁じる事にした。
戦争をなくすには生存への執着を克服することだ。延命措置こそが最もコストがかかる傲慢な行為なのだと皆が認め、全ての国と人が自給自足を自由の頂点としてこれをお互いに妨げないことを約束するべきである。「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」、強者の理屈は思い込みに過ぎない。
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3:54 老夫婦がこんな時間に散歩?
4:05~ 脱水攻撃発動。
4:08 レポート完成。家の周りの枯れ草どもも同じことの繰り返しでその時々で非常に腹が立つけど僕の考察の前にはゴミ情報に過ぎないから書かなくていいや。まあこの指摘をしても世間はまた一週間公式の態度をとって荒廃地を演出するのだろう。僕は神を超えちゃったからね。もはや僕が公式になるしかない。枯れ草共はせいぜい僕を失望させていろ。下等生物に用はない。


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