まとめてつぶやき969 追記

 そもそも無害なら汚染土を福島から移動する必要は無いんだった。それを肥料に作ってまで全国に配布しようとするから怪しまれるのだ。

『じっくり聞いタロウ』で裁判を傍聴してきた青年が被告人が普通の見た目である故に死刑判決を受けたことにショックを受けたと語ったが、アウェーの場所で人がしおらしくなるのは自然なことでホームで無茶苦茶なことをする人のことを犯罪者というのだからその評価は間違っている。弁護士に死刑反対論者が多いというのも被告人のアウェーの姿しか見ていないから感覚が麻痺しているのだ。

 目に見えているのに見えないふりをしたり、信じられないといって事件を放置したり、疑わしきは罰せずといって被告人を釈放したりするのは日常を維持しようとする感情論に過ぎず、告発者や容疑者を脅して自白させれば、あるいは訴えを取り下げさせれば一件落着というのと同じことだ。被告人に無罪判決を出したら裁判所には真犯人を探す義務が生じると思うのだが彼らはその義務を果たしてきたか?さもなければ彼らは賄賂で事件をもみ消す悪代官であるがその責任はいつ取るのか。そもそも感情論の多くは被害妄想を含めて加害者の理屈であるからフェアな議論じゃない。社会を改革しようという時に旧態依然の法の手続きに固執することは地球温暖化対策を掲げながら石油、電気、ガス、地下水、輸送、食糧、人の移動の浪費を減らしたくないとごねるのに等しい。プラスチックゴミを減らすと言いながら市民に負担を強いるだけで生産量を減らそうとしないのも偏った政策だ。

 市民が権力に抵抗するのは権力者が未来を示さず、発展を妨げるからである。感情論に支配された者は一歩も動かず暴力で現在の立場や利益を守ることに必死になるので市民の方でも排除するしかないと腹を決めて立ち上がるのだ。新しい提案を信じられないと言うなら自分が信じていることを論じてみよ。直ぐに論破してやるから。感情論はキャッチボールを否定しなければ成立しないがそこに疑惑と確信が生じるのだ。理数系は論理を扱えないのだから法を扱うのを遠慮すればいいのに。

 ジャニーズ事務所における性被害に関しても容疑者の死亡を待って告発することにより会社の責任を軽くし、名誉を守ろうとするのは犯人蔵匿罪なのだが、マスコミを含め利益団体の連中はなおもジャニーズ事務所だけの問題として全芸能事務所に手入れをすることはしないのだろうな。そのつもりなら少し前に自衛隊内で性被害が告白された時に手を広げているはずだからな。それが社会正義ですか?末端のポリ公やヤマトが無謀な挑発を繰り返し、のび犬やルークが偽給湯によるレーザー攻撃をムキになってほのめかしてくるのも罪を問われるのは会社や組織で個人は罪に問われないと高を括っているからだ。法律には犯罪行為を処罰するとしか書いてないのになぜ勝手に解釈を変えているのか。それが組織犯罪の守りを強化しているのではないのか。個人の罪を暴いてそこから上司や会社の責任を問えば警察だろうが宗教団体だろうが簡単に潰せるはずだ。組織のトップだけを裁くことを被害者や世間がいつ望んだのか?それも感情論でしょ。

 犯罪を社会に定着させなければならないのは年老いて現実に適応できなくなった支配者グループ/既得権者が影響力を維持するのに犯罪の不可侵性を利用しているからであろう。それは今を生きる私たちには必要のない仕組みだ。彼らを失うことて私たちが受ける損害もない。罪人の介護なんてしなくて良い。

 マスコミを含め悪党は被害者の訴えを個人の問題として処理し、加害者の処理を社会問題として対処するが加害者が抱えている問題だって個人の問題、個人の感情論である。組織犯罪にしても一人一人の感情論の集合体であり、加担しなければクビになるとか村八分に遭うというならそれを世間に訴えれば良いわけで感情論に感情論をぶつけて相殺できればこれ以上に簡単なことは無い。会社が被る被害も社会の動揺も最小限に抑えられるはずだ。秘密を抱える人間を増やした方が社会の動揺は大きいに決まっているし、スケープゴートを作りやすくなる。そうなれば明らかに個人の問題である。秘密を抱えきれないなら断ればいいし暴露してしまえばいい。なぜ世間は被害者に「巻き込むな」という権利を与えないのか? 「1人も取り残さない」などとほざくなら世間が個人の訴えに耳を傾けて社会の損害や動揺を最小限にする努力をするべきだ。―――もっと言えば裁判所にあぐらをかいて事件を選んでいるぼったくり裁判官やポリ公なんかに頼るのをやめて不買運動や集団退職やストライキなどの社会的制裁を市民の意思で発動して罪人を適切に裁く風潮を作り上げるべきだ。そもそも国家犯罪を裁くのに彼らが作った法に則ってやる義理はないのだから。当然作り直すでしょ。法律家は刑罰の目的を見失っているから全員クビで良い。

 奇跡が世界を創るということは陸上選手などが一度目のチャレンジを基準にしてそれを上回るための努力を重ねていくことに等しい。タイムアタックには限界があるが創造に限界は無い。むしろ誰かが道を切り開くことで後輩が前段階の壁を越えやすくなる。(Re.)

これが進歩である。こうして社会は発展し、人智は開かれてきた。しかし千年前の理論のおさらいに終始している学者などは平均点を設定して努力を放棄している。彼らは自身の老いと若者の成長を考慮していない。現役で学んでいる人が枯れた人の平均点に従えるがないのにその現実を受け入れない。では彼らのような破壊者を取り除くのにどんなスケジュールが必要なのか?平均点を撤廃すれば済む話だ。それは「時代」を表すものではないのですよ、あなた個人の限界に過ぎないのですよと切り捨ててやればそれで世界は回り出す。世界というのはモザイクではない。あらゆることが歯車で繋がっていて一つの刺激で一斉に動き出す、それが世界なのだ。だからこそ横軸でしか管理し得ない。理数系はタイルを1枚、2枚変えただけで世界を変えたつもり、悪習を改めたつもりになれるので「調整」を重んじるが、それでは希望を作り出せない。現代人が疲れているのは格上に合わせるよりも格下に合わせる方が疲れるからであろう。そういうことが分からないから彼らは犯罪で影響力を保つことしか出来ないのだ。消えてもらいたい。

経済活動における子産みを考えれば衣食住を超えた仕事をすることが3人以上産むことと等しくなると思われるが日本では若者を衣食住のことで精一杯にして一人も産まない穀潰しにばかり金や社会保障を与えている。経済的に逼迫するのは当然ではないか。

 音楽配信で43億回再生というのを聞いてそれで入る金を本当にYouTubeなどの運営者が払っているのか、完全に宣伝効果を越えた出費になるだろうにと思い、仮想通貨で支払っている可能性を考えた。それっていいのか?

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