1/17 水曜日
11:56~:59 ポイントに近づくと偽軍人がチャージ攻撃を強化。
12:00~ レポートの作成を開始。
12:14~:16 気づくとチャリ老婆がロックオン行動。
12:59 ヘリが南西でロックオン行動。
13:07 ヤマトが接近。
13:38~:44,~14:02 ベンチコート男が脱水攻撃を仕掛けながら接近し、攻撃止むとロックオン行動。スマホを切って去るのを待つ。
14:08~:11 南東の大工が横レーザーで股間撃ち。60メートル以上離れることにする。
15:15~:21 ヘリが私の周りを反時計回りに周回する。その後で偽軍人がリンク行動。縦と横。
これだけ言ってもまだ世間は私の実力を認めず乞食の暴力に晒し続けるので今週は大衆の現実に対する憎悪と差別主義を改めさせる考察をしようと思う。私は全体攻撃こそが正しい抗議活動の在り方だと確信している。
努力と勉強を放棄した凡人は人生も仕事もモラルも法律も組織化・集団化すると一段下のものになると思っている。したがって集団は愚か者を作る。秀才が社会に出た途端に普通な人になり、インディーズで異彩を放っていたバンドや芸人がテレビに出るようになった途端に並の芸能人のなるのはこのためで歴史に影響を与えた秀才達の多くも神童として育ちながら大学に入ったあたりからおかしくなり、カルトに勧誘されて人の道を外れ、凡庸な俗物に成り下がっている。
大学で刷り込まれた思想から脱却できない人は多い。大学教授なんて所詮お上や学会の顔色を伺いながら口だけで世渡りしている俗物に過ぎないのにほんの少し残る反骨心を見せると若者の反抗心をくすぐるらしい。しかし採点方式でしか生徒を評価しないので結局口が達者で早口な生徒を送り出すだけ、高卒の就活生を排除してやる程度の将来しか用意してやれない。それもきっと自由で柔軟な考えを維持している有望な若者と仕事をさせることで洗脳が解けるのを回避させるためであろう。そうして従順な卒業生たちは役人や管理職の立場から考えることをやめて強大な権力者の下で安定とおこぼれを期待する大衆の相手だけをする。怠け者達は傲慢にも分業を先回りして自分は社会の発展にも浄化作用にも貢献しないで平等な分配に与ろうとし、ともすれば他人の成果をタダで受け取るための引換券として金を求めている。このような人々は自分の収入さえ確保できれば圧政だろうと戦時下だろうと植民者や革命家の理屈だろうと何だって受け入れてしまう。それは例えば「溺れている人を2人見つけた時にどちらか一人しか助けられない場合どちらを助けるか」とか「暴走列車から線路に取り残された人を救う場面でレールの切り替えによって一人もしくは五人組のいずれかだけ救えるとしたらどちらを救うか」という詭弁を正面から受け止めて回答するということである。
我々読者にとって哲学書が難解なのはこのように対象の運動を強制停止した上で何百ページにも渡って同じことをくどくど上書きするからである。対象を運動させれば一言で済むことを口が達者な連中は相手の動揺を見越した理屈を吐き、また妨害工作をして相手を思い通りに誘導しようとする。そしてこういう論調に慣れた人は私のように自分で考えて行動しろという種類の説教に反射的に反発し、追い詰められて誘導された時に限り素直に動くようになる。乞食や引きこもりが人生をこじらせるのも運動を停止しているからであって身の程を弁えて素直に肉体労働に従事すれば真っ当な生活を送れるはずなのに頭脳労働者やイチャモン屋で生計を立てようとするから敵だの監視だのスパイだの訳の分からない妄想の世界を造り出すことになる。
今週再読し始めた『サンデルの政治哲学〈正義とは何か〉』(小林正弥 平凡社新書)に「アファーマティブ・アクション・プラン」という言葉が出てくるが、これは社会的弱者と呼ばれる少数民族や女性や障害者の不利な状況を歴史的経緯や社会環境をかんがみた上で是正するための改善措置のことで機会の平等よりも結果の平等を推進する社会政策と補足しており、フリークショーを弁護する立場からも言及されたが、サンデル&小林は{黒人系やヒスパニック系などの差別されてきた人たちを入学試験で有利に扱うもので、「偏りの是正、過去の過ちの補償、多様性の促進」といったことが根拠として挙げられる}としてライバルのジョン・ロールズのリベラリズムを論破する材料としてこれに言及している。
ちなみにロールズのリベラリズムとは人間の尊厳の尊重を権利によって量り、金持ちも天才も自由に経済活動や社会活動をしても良いが、最も惨めな人のためを図ってある程度格差を小さくし、福祉を充実させるべきという主張でフリーメイソンおよびインターナショナルの第二次大戦後の福祉国家体制への移行に寄り添った理論である。しかしフリークス博物館の例が示すように彼らの福祉事業はおためごかしの詭弁であり先進国人の優越性を前提としなければ生まれない議論である。戦後日本に学校給食を導入したフーバー元米大統領も根底に「子供を食わせてやりさえすれば母親は過酷な状況に耐えられる」との推察があった。アメリカは現在もそれを柱に社会的弱者/工作員さえ食わせておけば一般市民は過酷な状況に置かれても文句を言わないと高を括って金の誘惑に弱い人々に差別主義を植え付けている。
繰り返しになるかもしれないが、富の再分配の議論はなぜ貧者が生まれるのかという所から考えるべきでそれは豊かさの基準を低開発国の安い生産物及び労働力、また国内のパートタイム労働者や非正規雇用者などの仕入れや人件費と商品価格の差額に置いているからで労働者が利益を得るための仕組みではないために格差が生じる、また資本家の利益にならない人は取り残されて貧者となる。言い換えれば資本家が労働者を差別してその労働力や才能や人間的価値を買い叩いて個人的な利益を追求しているから彼らのみが豊かになって社会も労働者も豊かになれないのだ。先進国の事業者が可能な限り国内の生産物と人材に頼り正当な報酬と仕入れ価格を支払うことにすれば、富の独占は生まれないかもしれない。したがって政治哲学者や経済学者が議論すべきは資本家たちの帝国主義的世界観からの脱却であって誰に課税するかとか何パーセントなら平等かなんてことは水掛け論に過ぎないことを最もらしく語るべきではない。庶民にもそうした差別感情はあって宝くじやギャンブルや犯罪行為で一攫千金を狙う人の心理には生産者や労働に対する嫌悪や差別があり、使い方が卑しいからこそ入手方法も卑しくなるのだ。そしてそれを肯定する社会風潮があるからこそ裏社会に流入する若者や老人が後を絶たない。彼らは人生を持て余して浪費と自己破壊行動に浸り、お上の後ろ盾を得たヘイトクライムと反社会的行為によってますます世にはばかるようになる。彼らは差別が通用しなくなるとすぐに挫折する。
またロールズは皆が合意できることを正義として皆が一律にこれを守る義務があるが簡単に合意できない問題については棚上げすると主張し、これに対しサンデルはカースト制社会や奴隷制社会では彼の言う公正な正義は成り立たないとして「最小限主義的リベラリズム」と名付け、自身はコミュニタリアニズムの立場から人間は伝統や共通善を受け入れるだけの受動的な存在ではなく自らの両親とアイデンティティに従ってそれらを解釈した上で自主的、自覚的に引き受けるべきと主張して福祉国家体制を支持し、全体主義を否定した。これによって彼らは何をしているかと言うと一昔前のフリーメイソンとカール・マルクスの「自己疎外」の是非についての議論及びアリストテレスによる師プラトン批判を再現してアリストテレスの思想をメイソンに取り込もうとしているのである。実際本文82ページにアリストテレスの奴隷制に対する考え方を擁護しようと試みているが解釈を間違えている。本文を引用するとアリストテレスは“奴隷制が正義に適うためには社会における必要性と奴隷にふさわしい人がいるという二条件が必要だ”としている。これは私の生態系観に似ている。しかしサンデル&小林は“アテネの奴隷の多くは戦争に負けて奴隷になった人々だから生まれながら奴隷にふさわしい者ではない”という記述を取りあげて彼は奴隷制を不正義と認めていたと解釈する。―――私はそうは解釈しない。彼らのしていることは結局シンクレティズムでありWikipediaにも「アリストテレス学派とプラトン学派を調和しようとする努力」をその例として挙げている。欧米人は西洋医学の対症療法的な考え方しかできないので決してアリストテレスにはなれない。彼らはホメオパシーの考え方を政治や経済や哲学に取り入れるべきだろう。西洋医学は表面に現れた症状に対してこれを相殺する薬を投与し、また外科手術を行うが、ホメオパシーでは「病気を引き起こしたものと同種のものを用いることで病気は癒される」という毒を以て毒を制すというやり方で根治療法を基本とする。しかも投与する薬/レメディーは希釈度が高ければ高いほど効果が高く副作用がないので薬の乱用や依存が起こらない。その希釈度は海に一滴の溶液を垂らすがごとくと言われ、元の物質が全く残らないほど薄められるという。(この考え方からすればやはり石油で薬用成分を抽出する製薬方法には石油が混入するリスクがあるのではないかと思えてくる) 私が社会正義における刑罰や社会的制裁にも毒を持って当たるべしと主張するのはこういう理由からで世論がその役割を果たすべきなのだ。ルールというものは成員の知能や集団心理に先行して決めるべきで彼らの能力や感情に寄り添った決め事は馴れ合いや不文律に過ぎない。もっと言えばブームやトレンドである。集団ストーカーも博物館ブームと同列に考えているから組織の連中もマスコミも世間の人々もブームが終わるように誰も責任を負わず誰も罪を償わないままそれをフェードアウトして次のブームを盛り上げれば良いと考えている。NHKも今月の『100分de名著』でまた改革のために警察やマスコミを解散させるべきではないと主張する活動家を取り上げて同じ論調を展開しているが、歴史上その革命が成功したのは活動家がメイソンの手下でユダヤ系国際資本家から潤沢な資金と武器の提供を受け、かつ政治的圧力やロビー活動の恩恵を受けることが出来たからであって純粋に市民だけで運動を起こしても他ならぬ市民から多く沈黙によって妨害されるだけだ。そして彼らの口車に乗って「自分の主張が世間に通り、ご褒美と名誉が手に入れば満足」という彼らのプロファイリングを成立させて、歴史は繰り返される。
ジーン・シャープ(1928~2018 米政治学者)が唱える変革論は対王制、対貴族制社会だから有効なことで彼らが市民の代表ではなく市民階級との基本的信頼感を築いていなかったからこそサイレントマジョリティーは市民の代表を演じる革命家に乗ったのだ。イスラム教徒の基本概念にも「政治は突然上から降ってきて我々に税を課すだけの不必要な存在」とあり、アメリカのリバタリアンはこれを借用して課税に反対している。しかし民主制社会では政府を国民の代表と設定しているので政権交代には改宗が必要になる。つまり与党系右翼団体を全て解散させて支持者たちにもこれまでの信仰や不文律を捨てさせなければならない。王政時代のように市民面をして虎視眈々とクーデターを計画しているような連中は民主主義国民ではない。したがってロビー活動によって議会の中だけで首相や政権を交代して組織の計画を次に進めるというやり方は通用しないのだ。それはユダヤ勢力が歴史上散々やってきたことで彼らは中世よりずっと信教の自由を主張して宗教一色ではない変わりゆく世界を否定して民主主義者を弾圧する立場を演じてきた。彼らこそ民主主義から最も遠い改宗の頑固な抵抗者でありプラトンもアリストテレスも彼らなような革命家が作る民主主義社会は乱暴で不確実性の高い政治体制と否定している。
古代ギリシア人はものが存在するには秩序/コスモスが不可欠であり混沌無秩序/カオスな状態にあるものを厳密な意味で存在するとは認めなかった。(現代人の自由主義、個人主義、利益追求) 中でもアリストテレスはさらに一歩進んでそれぞれの存在には一定の型/エイドスがあり、人間の証明たる知性を全く欠いた人は他の何かであっても人間ではないし、それが活動していなければ真の意味で存在しているとも言えないと賢ぶっている知識人を辛辣に批判した。また「人は人を産む」という意味深な言葉を遺し、人間は人間しか産まないのが秩序であると言っている。―――ちなみに「医師」の名を持つメディチ家の守護聖人の聖コスマスはこの「秩序」から採ったのではないかと推測する。聖コスマスは4世紀にキリキアで内科医として無償で市民に奉仕してキリスト教への入信者を集めたとされる人物で時のローマ皇帝に迫害されて殉教した。今週は書くことが多いのでここまでにしておこう。
人生には誰にでも波があって不遇の時期が訪れるのだから好調な時から乗り越えられないような返す波を起こさないよう自制して生きるべきである。しかしそれを恐れて無難なこと/利益追求ばかりしていると乗り越えられる波やハードルがどんどん低くなり、認知閾も狭くなる。すると大食漢のように消化に必要な栄養を補うためにさらなる過食をし、歯止めが効かなくなる。彼らにとって最大の不安要素は失敗に対する対応策が単調で直ぐに手詰まりになってしまうことであるのに彼らはそれをなくすための努力をせずに失敗や追及をかわしたり負債や賠償を踏み倒すことばかり得意になろうとする。それは相手を同じように単調な動きしかさせないこと、もしくは運動を停止させることに他ならない。そうなれば彼らは全く現実に対応する能力を失っているのに権利尽くで延命を主張しているのであり民主主義の反対者となる。利益追求と無難を混同すると差別や暴力/パワハラや犯罪に頼らなければ成り立たないことを自覚して失敗や過ちを素直に認めるべきである。間違っても「ウィンウィンの関係が理想です」などと言わないように。そしてあなたに単調であることを求める政府の各種の対応に不満を感じたなら成功法でないなら従わない、見本を見せてくださいと言うべきだ。自民党が日本一仕事のできる組織だと思ったことのある人が一人でもいるだろうか?そんな組織が作る社会のどこが利益の追求/無難なことなのか。トラブルメーカーをどう始末するかということこそ世論やマスコミの議論の出発点である。ブームは議論ではない。
アメリカの動作分析を用いた野球選手のトレーニングをニュースで見たがAIの学習法を見ているようだった。好不調の波を小さくしたいと選手が話すのを聞くとバッティングマシンにやらせろとツッコミたくなる。私が昔から野球を好きになれなかったのは利益追求型のスポーツだったからなんだなと納得した。野球はバッターもピッチャーも野手も全ての場面で成功しなければゲームが成立しないのでメイクドラマばかり期待してしまう。それでテレビゲームでプレイする時もまず打てなきゃ面白くないし、三振を取れなきゃ面白くないといってワガママばかり言っていた。サッカーやバスケのように成功と失敗の繰り返しでゲームの流れができていくスポーツの方が私は好きだ。野球にはキャッチボールがない。(野球なのに)
・・・それにしても今年の占い雑誌は歯切れが悪いな。フジテレビの占い番組も関西で流さなくなったし、関西に幸運期の訪れを知らせたくない人でもいるのか? 所詮占い師は金持ちや権力者におべんちゃらを言うしか能のない仕事に不誠実な連中なのだな。準備中と言う時だけ生き生きと語りよる。
被害報告はもう邪魔くさいな。気づいたことは外でロックオン行動のために近づいてくる乞食は高い確率で単独と2人組が順番待ちしてやってくること。一人は横レーザーを担当し、2人組は縦レーザーを持っていると確認した。まだやるのかね。プロファイリングとしては俺が出すデータの方が貴重だろうに。奴らのどこが監視者なんだ。もはや100%犯罪者の行動しかしていない。彼らは民主主義社会には暮らせないのだからもう淘汰して終わりにしろ。

コメント