まとめてつぶやき1013 共感中毒を克服せよ

3/6 水曜日

10:17~ レポートの作成を開始。

10:46~:55 また同じ数字に引かれてちょっかいを出してくる。そして親指1本分のコストしかかからないから相手をするまでしつこく撃ち続ける。佐川急便の警戒音と黒ずくめが二人とも右側にいる。→移動すると警戒音を連打する佐川。

11:44~12:00 移動した途端に乞食共が集まってくる。空いてるから使わせてもらおうと思ったのに。

12:08 移動を始めるとヘリが追いすがる。

12:18~ 第2ポイントを借りる。

13:03~:25~:29 脱水攻撃開始。横レーザーで耳の後ろを貫く。

10:55,13:25~:29,15:39 1つレポートを書き上げるまでに3度トイレに行かされた。

15:41~:44 それでもまだ撃ち足りないと移動にヘリが追いすがる。戦争犯罪人。

15:46 ヤマトも追いすがる。戦犯という言葉を使ってどう変わるか?

 今週は米国の世論調査会社ギャラップ社が2023年に発表した「グローバル職場環境調査」からレポートを組み立てたいと思う。(マスコミは私が「日本は市場が悪い」と愚痴っても若者をディスるだけで聞き入れないのにアメリカ人が言うとニュースにする。ギャラップ社なんて日本人は誰も知らないのに) これによれば日本の熱意ある社員の割合はわずか5%で125カ国中124位だった。ただし世界平均でも23%しかなく77%はやる気のない社員という結果だった。その原因についてメディア及び会社員らは給料が上がらないことと上司が自分よりも無能なこと、そして会社から役に立たないと思われていることだと推測したが金もアイデアも勇気も出さずに報酬や評価を上げてくれと言っても通らない道理だし、経営陣の方でも業績アップのためのアイデアだけが欲しいと思っていては従順で真面目なだけの社員の給与を上げてやろうとは考えないだろう。そして現状の社会で役ただずと思われている人々が私の主張に賛同するはずもない。社会の質を下げ、堕落させればまた活躍できるかもしれないと期待して戦争犯罪に加わるような人達に未来などあるはずもない。彼らの時代は終わったのだ。彼らはきっとAIの言いなりになっても増益できれば無能な経営者と無能な社員はウィン・ウィンの関係になれるからこれは進歩だ、良いことだと考えるのだろうな。しかしこのビジネス論において社員が無能なのは彼らの売り込み方が下手だからということになるのではないか。つまり裏方ばかり雇って演者を育てないから業績が上がらない。羽振りがいい犯罪組織は演者ばかりだ。その間を取って携帯電話会社の勧誘を見ると表紙のない冊子のようで損得の話しかしないから話を聞こうという気にならない。これに対してバレンタインデーやクリスマスや合格祈願という表紙はやはり強い集客力がある。

 祭りでも演劇、映画でも観客よりも演者や準備する人の方が楽しい。準備でくくればプレゼントやパーティーも企画する人の方が楽しい。彼らは他者または自分自身に何を与えようか、何を伝えようか、どうしたら喜んでもらえるか、どうしたら夢や希望を与えられるか、励まし背中を押せるか、立ち直らせることが出来るかなどを考え、試行錯誤しながら未知の感情やアイデアなどに出会い、相手のことをどれだけ好きかを確認することが出来るからである。現金や既存の物で済ませる人にはこの種の感動は味わえない。だから損得や見返りや成否などの結果にやりがいを求めなければならない。そうするとゲームの理論によって多くの人が同じやり方を採用するので特別感がなくなるし、他者を観察することの楽しさや気晴らしや気づきも得にくくなり閉じた世界から逃げられなくなる。「総理大臣なんて誰がなっても同じ」という諦念はその典型であろう。「悪口だ、悪口だ!」と逆恨みばかりしているカルト信者/戦犯どもも他の七方が塞がっているから「悪口(非難、追及、刑罰」に救いを求めてそれが強調されて聞こえるのだろう。幻聴にまで悪化したり。祭りと同じく犯罪に片足だけ突っ込んで利益をかすめとって逃げることが許されると思っているから唯一続けられる行動さえ彼らはやる気を見せられない。私は逆に彼らへの対応に光を見出していないからこそ油断しているのだ。人生に参加していない奴らなんかに用はないし、得るものがあるとも思ってない。―――物を積んだ時に積み方にこだわってバタバタ崩れる物は積むという行為に参加しないでクソつまらない理屈を繰り返し、私のアイデアを潰しているのである。私はそんなものに共感したりしないし、そのこだわりは必要かと思ってしまう。「えせ物理」という言葉を最近はよく使う。状況は刻一刻と変化するのに既成の法則や技術に頼って何十年もやり過ごそうという発想が間違っている。どんなに便利な世の中になっても私達はアナログな思考で手間暇かけて工夫しながら生きていかなければいけないのだ。

 ツイッターに戦争の要素を大まかに分割すると飯が食えないこと、避難生活/抑圧された生活、そして言論統制と書いた。これらの要素はともすれば私たちが日常的に経験していることであり、この種の戦争体験をしたことがない人は少ないだろう。そして多くの人がこの種の社会/隠された奴隷制社会に同意している。ならばクリエイターや学者を頂点にしたピラミッドを作ればいいのにと思うが、奴隷制に反対するのは「俺はもっと仕事が出来る」「上司や権力者よりも実力が上なのだからもっと良い待遇を受けてよいはずだ」「俺を人間扱いしろ」と主張する人だけで奴隷体質の人々は立ち上がらない。リーダーに便乗して反乱に参加したとしても捕食誘発行動の類に過ぎず、彼自身に解放とか社会的地位の上昇とか重要な仕事をやらせろなどの未来志向の強い意志を伴う要求があるわけではない。

 奴隷に求められることは「限界を超えろ」ということ。これは専門職の人がコーチや師匠から言われることであり、その反論は「人生はそればかりではない」であるはずである。抑圧された生活の中で私たちは人生のコアな部分について考え、自由になったらやりたいことをやろう、友人と沢山おしゃべりをして趣味に没頭し、外の世界のこれまでとは違った景色や人に出会い、刺激を受けて時間を有意義に使おう、同じことの繰り返しだった灰色の人生ゎ多彩で豊かな人生に変えてやろうと想像する。あるいはビジネスで成功して支配者や世間を見返してやろうと思い、私が主人なら労働者をあのように扱ったりしないと誓う。毒親の下で育った子どももそう思うだろう。

 ―――しかしいざ自由になるとそこには自由人による自由と権利の拡大を求める主導権争いが容赦なく繰り広げられていることに気づき、私を支配していた人が他者の人権を奪うことばかり考えている理由を知ることになる。そして間もなく自分もその戦いに身を投じていく。そこでは市民は進歩を求められない代わりに道具のように利用される。「どうせ暇でしょ、お金欲しいでしょ」と弱みを突かれて時間と体力を限界まで搾取され、「成績を上げないからだ」と物価上昇に比して報酬を減らされる。「借金を返せないなら売春や闇バイトをやれ」という発想も相対主義的な生殺与奪権の応酬によるものであろう。奴隷の反発の原動力は自信と義憤であるが、市民の反発は権利と法律しかないのでより強い権利を持つ相手には戦うことを放棄して彼の不正を黙認するに留まらず汚れ仕事を引き受けてしまう。仕事の内容が自信を涵養する性質のものではないからだ。

 しかもその間彼らが人生のコアな部分について考えることは無い。外界に対応することに追われ、経済生活を成り立たせてさえいれば上手くやれていると信じているからだ。奴隷扱いされている時には鞭で打たれてもそんなことは思わなかった、。人生はそればっかりじゃないと確信していたから。同じ抑圧された生活でも本人の捉え方によって百八十度態度と心の持ちようが変わってしまう。しかもそんな自己疎外の軽んじられた生活を続けるために競争に勝ち続けなければならない、利益を上げ続けなければならない、金を稼がなきゃならないと思い詰めて抑圧する者、搾取する者を守り、自由を求める者を鞭打つ。見捨てられる恐怖に駆り立てられて。これを境界性人格障害という。それでも自分がおかしいことをしていると思わず常識人だと主張するのは認知症の表れである。それは社会全体に伝染し社会通念が歪んでしまうともう引き返せない。

 これに冒されないために勇気のある人は自分の会社を作ってパーソナルスペースを確保する。同調圧力に流されずに自分の頭で考える猶予を作り出すために世間から少し距離を置く。そうして賛成と反対の論理に巻き込まれず自分の考えを持つべきと人々を諭そうとするが彼らは縄張り意識をたくましくして「夢なんて見ても無駄、好きなことをして生きる人は許せない、自由を求めて戦う人には馬鹿を見せて身の程知らずを思い知らせてやろう」とうそぶく。・・・このようにいじけてしまった人々を立ち直らせるには自己の判断について主導権を取り戻してやらなければならない。それには追い込まれなければ人生のコアな部分について考えることがないというのでは困るわけで、権利や道徳や法律はそうならないように予め定めておくべきものである。自分が役立たずだと思われているとき人は惨めで情けない気持ちに支配されるが、同時に彼もまた同じものさしで他者を評価し自分の役に立つことを期待している。だから道徳の話を不都合だと思い、威嚇によって相手を退散させることができれば争いを回避しつつ排除の論理に支配されずに済むと考えて相手よりも強い権利/権力を求める。「人間の踏み行うべき道」という意味では彼はこのとき道徳的な行動をしていると信じているかもしれない。生活のため、国家の利益のための行動だから道理に適っていると主張してその実個人の地位やパーソナルスペースや利便性/有利な条件を守るために不正や暴力が唯一有効な方法であると思い込んでいる、この二面性も境界性人格障害者の考え方である。しかし本来は相手が使うことを許せる武器で戦い、その条件で勝てない場合には速やかに敗北を認めて争いを回避すること、そして敗北を認めてもなお独立した一人の人間として尊重されることこそが権利であり法律であり道徳なのである。

 ここで脳科学の弁護を頼むなら人間の二面性をもたらしているのはオキシトシンである。このホルモンは他者への共感を高めそれを行動に移す働きをする。ただし脳の共感の対象は他者の痛みであり、ACC(前帯状皮質)が刺激されると脳は自分の痛みや苦痛だけでなく他者の痛みも自分のことのように感じ取ることが出来る。そしてこれを克服してやろう、または耐え切ってやろうという前向きな意識を喚起する。ただし別名愛情ホルモンと呼ばれ、親が我が子を守ろうとする動機を促すことを主目的としているため外敵を排除するための攻撃性をも喚起する。つまり愛することは差別することであり、これが過剰な自己防衛に働くと境界性人格障害を発症し、集団への帰属心に働くとカルト教団やテロ組織、右翼団体の構成員になる。またアルコールはオキシトシンと似た働きをするので人は飲み仲間と親密さを深める一方でその場にいない人への嫌悪感を強めるらしい。そこから「他人の不幸は蜜の味」=ACCの働きで他者の痛みを自分の痛みとして感じることに快感を覚えている=代理の自己破壊行動/代理の自殺=ACC中毒が成り立つ。

また境界性人格障害者に見られる行動として仲間や味方を求めながら、見捨てられる恐怖に支配されていながらその相手に不寛容を示し、些細なことで排斥してしまうことから彼らは他人を傷つけること、また傷ついた人を見ることで生じた自分の痛みを相手が見ることで共感、同情が生じで自分のことを好きになってくれることを期待し、それで親和欲求を満たしているつもりでいるのかもしれない。行為のエスカレートはそれが理解されないことに対する怒りと焦りか。=男児が好きな人をいじめたくなる心理またはストーカーの心理。

 同時に彼はパーソナルスペースを強調してもいる。自分の正体を知ろうとするな、分析するなという恐怖の感情。彼らが恋人と別れたくなる理由、恋が覚めると喧嘩が絶えなくなる理由もそこにある。これ以上自分のことを知られたくない、相手を通して自分のことを知りたくないという拒絶。散らかった部屋を片付けたくないが故に人を家に上げない人の心理。自己嫌悪に陥らないための防衛行動。それにACCの働きを利用して「喧嘩するほど仲が良い」を原則化しようとする。陰口を叩くことの快感も相手との心理的距離を確認することで安心を得ようとしているのかも知れない。それが上司なら仕事の評価についての恐れがあり、あまり喋らない相手ならもっと来いよという不満がある。自分の失敗談や欠点を打ち明けることで相手との距離を詰める戦術は正にパーソナルスペースの共有であり、陰口の了解でありながらこれ以上は掘り下げないでというメッセージでもある。大衆が私のことを恐れるのも同じ深さの話ができないからであり、私のことを人に嫌われることを恐れない、血も涙もない真理の探求者と評価しながら深い愛情や寛大さも同時に感じているために敵か味方かを決めかねているのだろう。しかし彼らが威嚇の手段として頼みにしているケーサツは人間の心理なんか知りやしないし、ただ自分の論理だけを主張して議論を中断させる話の通じない認知症集団に過ぎないのだから真に問題の解決を望むなら私に裁定させた方が良い。さらにコアな議論を避け続けている国会なんて詭弁を弄して遊んでいるだけで八百長の試合としても演出不足のクソ面白くもない見世物なのだから多数決で物事を決めなければならない時には仲良しこよしじゃダメなんだと悟って政党政治をやめて全議員が個人で活動することを求めるべきだろう。そうして群れる奴は信用しない(オキシトシンが暴走する)という社会通念を築き上げれば反社会的勢力なさやカルト教団への警戒心も養える。さらに政治資金の節約や腐敗の抑止や自浄作用の健全化にもつながる。

 日本人の「察しろ文化」は自分と向き合いたくない人々による共感の強要であり同調圧力の根源。多くの日本人は「自分と向き合え」と言われるとキレる。火曜ドラマ『マルス』の演出がコンプライアンスに引っかからないのもこれを象徴している。ハッキングや不法侵入によってしか得ることが出来ない証拠を持ってこいと要求するのは犯罪教唆だよね。毒を以て毒を制することでしか犯罪を止められない法律なんて無いに等しいのではないか。これも歴史の修正に対する圧力も不干渉主義への同調圧力で推し通している。ケーサツなどは市民の悪口ばかり言ってかき集めて吹聴しているが自己保身のために表向きには罰金刑で敵の行動を抑制し、裏では戦争犯罪を指揮してマスコミにさえ自分のことを嗅ぎ回るなと脅している。戦闘機を使った攻撃行動はどう取り繕っても戦争犯罪を免れないし、それが外国機を使ったものなら外患誘致罪である。この戦犯は死刑を免れない。

 オーバーツーリズムの問題も関ジャニや宮崎氏や成田氏が宿泊税や入湯税、入場料を引き上げることしか考えてないのを聞いて大変不愉快な思いをした。それは各国の旅行会社が日本の円安を利用してツアーを組むから起こっていることで日本の旅行会社だってしている事だ。争点はトレンドに流されやすい情報中毒者たちの判断力の低下であってスイーツでもラーメンでもペットの画像でも安易な便乗者にいいねをする人が悪いのだ。後乗りをわざわざ投稿しなくていいでしょ、かっこ悪いよ、自己主張を手抜きするなという空気を作ってやれば自然に無批判な模倣は減るはず。行列ができる店の方でも全ての店主、店員が喜んでいる訳ではない。「どこで食っても同じでしょ」と思っている人だっているはずだ。自分の料理を食べて午後から明日から仕事を頑張ろうと思ってくれるなら作りがいもあるけどただ自分の虚栄心を満たすための道具として利用されて嬉しい人はいない。こういうのも罰金刑で解決する問題ではない。本人の性格や甘えや悪意に踏み込まない、否定しないという方針がこの問題の原因になっている。同じ性質のものをぶつけるのは共存戦略なのだから解決を図っていないじゃないか。詐欺集団を摘発しないで高齢者にその注意喚起だけしているのと同じ。犯罪者に公然と宣戦布告しろよ。金さえあれば客という立場で好き勝手に生きられるというクソッタレな生き方に対してノーを突き付けなければ変わらないでしょ。ケーサツも庶民もそれに共感していることが悪循環を生み出しているんだ。これを断ち切らなければ同じ種類の問題が発生し続けるし彼ら同士の話し合いには何の意味もない。話し手が変わらなきゃ世界は変わらないよ。

 ・・・自転車に対する青切符を切る案だって移動中にスマホを見るなというのは自分と向き合えの文脈に含まれている。その時間を記憶の整理やアイデアを考え、相手の呼吸を読み、また無心になる時間に使いなさいと教えるべきだし、信号無視にしてもその信号に意味が無い(いつも同じタイミングで邪魔をして馬鹿じゃないの?)と思うから無視するのであって防止したければ信号のリズムを変えればいい。そして何より自転車の運転技術の向上を呼びかけるべきだ。それらをすっ飛ばしてただ威嚇に使うから独裁者と言われるんだ。戦犯を量産しているお前は何なんだ。世間が沈黙しているうちにのび太は2台も車種を変えて住民の撹乱に走っているし、ウツボは4本のレーザーを1階の2部屋に張り巡らせて毎朝4回ドアを鳴らす。(単純に自殺衝動が4倍になっている)それはお前のせいじゃないのか。さっさと責任を取って電気椅子に座れよ。今更ジェノサイドの認定云々の話をしている国連ももう要らないよね。ユダヤ人の罪と向き合えば全て解決する。政治や宗教の議論や見解が一致しないのは同じゴールを目指していないからだ。ルートの違いなら極めればやがて1本の道になる。その道がゴールにつながっていないと言われたら別の道に切り替えるはずだ。抵抗するなら議場を去ればいい。「私は騙されない」と言われてキレる者はその唯一の光の道に身を委ねよ。

 鳥インフルエンザの発生原因をユダヤ人の民俗習慣「カパロット」に求める。それは贖罪を意味し、毎年ヨム・キプルの日(贖罪の日、1月10日。ユダヤ教の新年は9月25日)の前日に新年を清らかな身体で迎えるために行われる儀式で生きた鶏を頭の前で振り回すことによって彼の罪を儀式的に鶏に移し、これを屠殺することで罪を肩代わりしてもらうという信仰です。(ただし原罪をイエスに肩代わりしてもらうことによってのみ救われると考えるのはキリスト教の信仰) 古代バビロニアのユダヤ人が始め、今日では白い布で包んだ硬貨で代用しているそうだが日本における発生時期を見ると鳥インフルエンザによる全頭処分を利用している気がしてならない。

発生時期は環境省が通年秋から翌年の春まで観測しているらしく2022年には10月28日~23年1月17日まで観測したとある。他の年でさっと検索すると出てくる日付けは2004年1月12日、2007年1月13日、2010年12月17日、2011年2月13日、2022年11月10日(過去最多)、2023年12月12日など。

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