6/25 火曜日
11:18,15:15 ヤマトと佐川がセットで動線挑発。
11:41 レポートの作成を開始。
12:09 偽軍人がうなる。
13:00,:40,14:01,:05 ヘリ。全て左から右へ移動。→06 構ってもらえると右からも出てくる。
14:50 レポートを書き上げると戦闘機がうなる。
人はなぜ怒られると反抗的になり、より簡単なことにつまずくようになるのか。何十年も言われ続けている夫婦間の不満に大した課題はないのだからさっさとアップデートして次に進めばいいのに何故お互いに怒りを我慢しながらつまずき続けているのか。その始まりと改善策を考える。
子どもはテストの点が悪くて親や教師に叱られても級友から承認を得てさえいれば気にしない。つまり数字による評価システムに適応しようとしない。テストをアンケートくらいにしか考えていない。彼は就学前までは何も出来なくても親から承認を得られていたことを覚えているのだろう。しかし社会に出れば一定の就学レベルを求められ、学年が上がれば自我の発達により友人間であっても人間関係のスキルが求められるようになる。彼は恐らくその時点で適応への失敗を自覚し、自己否定を始めているのだろうが、一人でも承認してくれる人がいる限りできない自分を貫き、その場しのぎの反射行動を繰り返す。彼が「自分らしさ」を意識し始めるのは承認されない環境に移行してからであり、なおも反射行動/自由に固執すると挫折(成長の拒否)を選ぶ。そして承認されない人々のグループに居場所を求め、生活費を稼ぐために低いスキルのまま通用する(拾ってもらえる)仕事を求める。また誘われるままに良くない方に進む。しかもこういう人に限って金持ちになることで名誉挽回(スキルフリーの承認)を狙って不相応に高い報酬を求めがちだからカモにされやすい。
あるいは恋愛に承認を求めて短命な恋を繰り返す人があるが、若い頃の恋愛は男はワガママになり女は言いなりになる関係が多いので人間関係のスキルアップには役立たない。むしろ早熟な女性は子どもから常識や忍耐を学ぶことが多い。
では男はいつ学ぶ?男が確実に学ぶ姿勢に入るのは孤独になった時だろう。ただし経営者の例で言えば社員を観察する人は学ぶがノルマで監視して数字や業績ばかり見ている人は学ばない。売れない理由を考えてもその意味を考えないからだ。これを承認欲求という。つまり彼は孤独から逃げるために利益を追求しているのであってその点でYouTuberと同類である。目立ちたいだけ、承認されたいだけ。でも業績を上げているから世間や経営者仲間や社員から承認され頼られて辞められない、反省しない、進歩しない。腐敗した社会はこういう連中とその支持者のいい加減な承認によって成り立っている。悪の巣窟は承認欲求の森に紛れているからこそ容易に潰せないのである。そして彼らが未熟な反抗心の支えとなってその時々でいい加減な承認を与えることで強化されて「承認しない奴が悪い」という態度を築き上げる。・・・こうしてやはり境界性人格障害に行き着く。
なぜ人々がいい加減な承認をしてしまうかと言えば親や上司や国家の言いなりになって自分の意見やNOを言わないからだろう。パートナーや友人に対して私的な意見を言うことはあってもオフィシャルに自分の感情や考え方を表現する訓練をしていないから言語化できない。多くの人が日常会話において私よりも遥かに饒舌に喋れるにも関わらずNOの一言が言えず権威者の言いなりになっているのが不思議でならない。真面目な子に限って犯罪や売春に巻き込まれやすいのも彼らの周りの大人にその対処法を知っている人、実践している人がいないからだ。例えば政府は給料や税金について市民の意見を認めないくせに投資や資産運用をしろと言う。イカサマには必ずこういう断線があるが市民はこれに突っ込みを入れない。だから彼らはロジックが破綻したまま調子に乗って無理難題を次々と押し付けてくる。(それこそ裸の写真を送れと同じレベルの自分勝手で幼稚な要求) 彼ら自身もいい加減な承認と悪の絆で延命している(言いなりにならなければ維持出来ない)不安定な団体で、支持率19%が物語っている通り社会的に失敗しているにも関わらず減らず口を控えず、傲慢な態度を改めない。彼らの反社会な支持者たちは人のことを悪く言わないとか丁寧な言葉遣いを崩さないという信念は立派だが、ずるい人に騙されやすく美人局や詐欺商法の窓口に利用されやすい点で無責任であり、自分の周りの人しか大切にしない都市民の地方民に対する優越傾向が見える。そして彼らの陰でクレーマーやモンスターペアレンツや指殺人が暗躍する。いい加減な承認といい加減な非難は表裏一体なのである。
これらを克服するには自分の神を持つのが良いのではないかと思う。人の言いなりになっているうちは自分の信念も価値観も自立心も育まれないからだ。古代の遊牧民族は貿易商人の活動の一環として芸術作品や日用品を制作し、それをその民族や集落特有の文化として定着させていた。彼らにとって芸術は外国人に売るために作る商品であって客の好みやニーズに応えるために外国の文化や宗教を積極的に吸収していった。―――しかし都市国家に成長すると都市民の内で作り手から買い手/収集家への心理的変化が起こり生産活動をしなくなった。お上が指定した宗教と文化を享受するだけ、さらにそれを受け取るための金を稼ぐだけの非文化人となった。そうしてまず作り手への想像力を失い、次いで他者への想像力を失っていく。私の印象ではアジア諸国の貧富の差も科学部門やIT部門を除けば屋台文化を持っている国は栄え、手仕事をしない国は貧しい。日本人のような都市民でも手仕事をしない人はサービス業に流れがちで自分の行為にダイレクトに見返りが発生するような仕事を好む。返礼品目的のふるさと納税やクラウドファンディングもそうだろう。見返りがある行為には変化や進歩を求められないので気が楽なのだ。高い報酬を求めて大工の仕事を選ぶ人も多いが、この仕事には人の家を壊して自分たちの砦を築く、縄張りを広げるという快感があることが問題で日本の土建屋は明らかにそれが自己目的化している。ライバル会社と陣取り合戦をやって不法な地上げ行為をしている。彼らは政府の承認を笠に着て客や住民の期待を無視している。
そこで貧しい国は多神教の世界観に立ち返って独自の偶像や寺院や捧げ物やお守りなどを手作りする事業を立ち上げてはどうか。宗教団体や統一された教義を作る必要は無いが、一人一人が自分の経験や家訓や教訓などを信念とし、形にしてそれを神に捧げるつもりで内職する。そしてそれを外国人に売ったり観光の目玉とすることで国民を活気付けようというプロジェクトだ。日本でもイラスト好きな人がSNSに自分の作品をたくさん投稿しているが、日本人にでなく外国人に売るべきなのだ。そしてこのトレンドが浸透したら他者を非難する時にも「それがあなたが育てた神の教えか?」という使い方をする。金のために人を傷つける人や靴下を脱ぎっぱなしにする人や悪口を言うなと減らず口を叩いて居直る人などにも「それはあなたの神がそうしろと言っているのか、人の信念を破壊しろと?」と媒体を通してあなたの倫理体系はどうなっているのかと問うことで反省を促してやるといい。長いものに巻かれる人には「それがあなたの神が叶えられる願いの限界か?」と問い掛け、「人それぞれだ」と減らず口を叩くなら「ならばあなたの神が叶えられる以上の願いを持ってはいけない」と諭してやる。
料理人は他者の料理の欠点を一瞬で見抜き、その改善点を提示することが出来る。それは彼にとっては既にクリアした段階で型にはめる作業になるかも知れないが教えられた側にとっては目からウロコの新たな発見である。反復練習は本番で緊張や疲労によって思うように体を動かせなくなった時に体が覚えているという形で練習通りのパフォーマンスをするためのものであると同時に新たな発見やひらめきのための行動でもある。つまり線の思考があってその中から点を閃く。推理は点を集めて線でつなぐ作業で確認でしかない。(資料屋の思考回路) ダンスで例えれば振り付けを覚えるには反復練習をすれば良いが振り付けを創作するには反復練習によって培った線から新しい動きを生み出さなければならない。大会で勝つことや売れることだけ考える人は優秀なコーチやアイデア豊富な振付師を雇って覚えることに専念するが、彼が権力を持つとダンスを極めたい探求者を切り捨てることになる、結果が全てだといって。しかしそれでは後輩が生きられなくなる時がくる。結果は全てではない。
したがってこれを予防するために「神は誰にも所有できない」ことを規約化しておく必要がある。政府でもスポンサーでもうるさいのは常に所有者だが、その根拠を問えば脆い。「金を稼がなければ生きていけない」といって犯罪行為を承認させようとする人にも「刑務所へ行けば金はいらない、再び入るためにしょうもない犯罪を繰り返す奴がいるくらいだからな」と言ってやれば逃亡と報酬への依存を断ち切らせる突破口になる。刑務所は報酬への依存を断ち切るための施設である。彼らがするべきことは手仕事や社会生活に必要なスキルを身に付けることであって金を稼ぐことじゃない。世の中からいい加減な承認をなくすために他人の神を拝むのをやめるべきだ。

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