7/9 火曜日
9:14 出る。
9:48 ポリ公が葛藤行動。一昨日も同じエリアで追い回してきた“68―35”車か?
9:56~10:28 業務スーパーに入ると間もなく聞きなれたアナウンスで私服警備員が巡回していると告げて頭を撃ってきた。虚偽申告。さらに商品隠し。選べないことを平気で選ぶ。
10:15,:45,14:22 ヤマトが迷惑駐車待ち伏せ。および時間潰し挑発。こいつも選択できないことを理解できない社会不適合者。
10:57~14:13 喫茶店でスマホ作業。人との距離は近かったが電磁波攻撃を受けることは無かった。
14:35~ ポイント2に着くと旋回を始める偽軍人。111
14:55 戦闘機が合流。
14:57 ヘリ合流。同じことまだ繰り返す。
15:17 雨が降ってきたので中止する。
7/10
9:01 レポートの続きをやる。
9:30 戦闘機が取り付く。
10:15 足裏しびれと草刈りトラック2台が襲ってきたので移動する。
10:39~13:11 第2ポイント。書き上げて移動する。
12:39 地下のバスターミナルまで掃除婦がカートを引いてやって来る。頭空っぽの金の奴隷。
ついに雪男が電気を止めるという強硬手段に出た。他の工作員に追従して「生活させない」作戦を実行したのだ。普通の感覚なら大衆は私に金と情報を集めていろんなジャンルの解析を頼んで社会全体の底上げを図る場面だけど、おかしな奴がいると分かった時に「負けるな」と言えなかったから勝ったことも認められず、それよりも自分の予測が外れたことや分類を間違えたことに対するダメージ・コントロールに意識を向けてしまうのだろう。攻守の切り替えや敗北の受け入れや勝者への賞賛を潔くして後腐れなく次のゲームに移行するのがゲームの醍醐味でありマナーであるが、株でも戦争でもテロでもギャンブルでもシューティングゲームでも集団リンチでも作り物のゲームしか知らない甘ちゃんと自閉症どもは自分の攻撃しか受け付けないし自分の話しかしない。死ぬため(人生の浪費、時間つぶしを含む)、負けるためにゲームに挑んでいながら死を受け入れず、ヴァーチャルな戦いを挑み、ヴァーチャルな手段で勝利をかすめ取ることを喜びとしていながら理論的な敗北やヴァーチャルな死を認めない。むしろ自分の能力が当てにならないので託した力が無力化することを恐れて見苦しく足掻き、イカサマをし、作り話に逃げる。頭が悪いことを特権だと思っている。丸腰の学者一人相手に集団で挑んで勝てないという結論を突き付けられたら抗う資格も余地も無いだろうに。実力で負けて実力以外の方法で報復してくる奴ってどういう思考回路をしているのか。死期を自覚しろ。要らない奴ほどコストがかかる。電気を止められて分かったことだが、乞食どもはブレーカーを落としても電気を盗むことができるらしく、それで就寝中と外出中を狙って電気を盗み、月の電気料金を2倍,3倍に跳ね上げていたのだ。乞食は学者の3倍コストがかかる。これを「自分に関係の無いことばかりしている人」と言い換えると社会全体の無駄を炙り出すことも可能だ。世間がいい加減な承認をして肩を寄せあっている人々は自分に関係のないことをしている連中なのだ。企業のコスト高も人件費でなく電気代のせいだろう。彼らは家事労働者や自営農民や作家や芸術家や基礎研究者、そして受験勉強に報酬や手当を出さない。言い換えれば生産労働や創作活動に金を出さず、その流通にのみ金を払う。そして、家事も仕事も勉強もできない人や事務的なことに疎い人や持病持ちを食い物にする人々を優遇する。詐欺師と紙一重だ。こんな社会では自分を高めることも社会を良くすることもままならず、人々の人間的な能力を低下させながらしかし死について考えないという倒錯した世界から抜け出すことが出できない。
金を稼ぐことはそんなに尊いことか?国民や地元民が当たり前に享受していた文化や習慣を金がないためにできないという文化破壊の元凶であるだけでなく個人の人生の目標や育児や出産の障害にもなっているのでは人類の敵ですらある。しかも庶民の給与は年々目減りしているという。それが生に特化した生き方の結果と言えるのか。ベーシック・インカムも奴らは若者に希望を与えるため、少子化対策のためと謳うつもりだろうが乞食や怠け者を死なせないためでしかない。
にも関わらず大衆は罪人どもの傍若無人な態度と破壊を支持し、「罪を償え」や「更生しろ」の声に一緒になって異常な拒否反応を示している。これを分類すると地獄出身者というよりほかに無い。キリスト教の聖書が「人間は原罪をもって生まれた」と主張するのも著者の記憶を告白したものと考えれば聖書に人間の心情を記載した所にキリスト教の発明があったと言える。世界中で地獄の風景が想像されやすく天国の景色がチープで抽象的なのも書いた人間が天国を知らなかったからであろう。「天国に行けば働かなくて良い」なんて子どもでも想像しない世界観を真面目に信じる人なんていると思えない。だから仏教では転生のループから脱することを成仏といい、仏は極楽浄土でも人々の救済について考え、祈りのポーズを崩さずにいると想像した。人は罪があるから生まれるのだと。
しかしキリスト教は罪を償えと言わなかった。むしろそのように警告する預言者や説教者を「聖人」と皮肉って処刑することで代理の贖罪をさせることを発明し、提案した。これは大衆に大いにウケた。旧約聖書にユダヤ民衆がバラバを赦してイエスの処刑を叫んだのも一見すると神話を成立させるために現実を歪めて書いたのではないかと思いがちだが、著者は実際の状況をそのまま描写したのだった。対照的に親鸞は「念仏を唱えるだけで成仏できる」と唱えて凡夫たちの譲歩の限界に歩み寄った。ために彼は処刑されることは免れたが、聖人/定命者になり切れなかった。そして彼の教えは死後革命や一揆衆の蜂起に利用され、後には仏教全体が囚人の願いを叶えるツールにされてしまった。(願いを叶えれば罪を償ったことになるのか?)
・・・こうした経験によって地獄出身者たちは彼らの望むままに説教者を隅に追いやることも殺してしまうこともできると思い上がり、罪を償わなくても天罰を受けないと虚勢を張り、裁いてみろ、殺してみろと神に挑みながら一方で自身の偶像/軍神と祓えの神(宗教的な罪や天罰と思える疫病や飢饉、天災、子どもの夭逝/早死になどを取り除く神)を祭り上げて町々を武力で制圧していった。間もなく地獄出身者が地上世界を牛耳り、囚人でありながら法律を定め、自らの死(強制送還)と贖罪を遠ざけることに成功した。彼らが地上世界で表現していることは地獄で体験したことの再現であり復讐である。普通に考えれば囚人が作り運営している宗教団体に減刑や免罪の権限が与えられるはずがないのだが彼らが理屈の通じない地獄で寄り添い合い、支え合ってきた体験を美化するとそこに特権が生まれるのである。キリスト教徒が法律や聖典に書かれていないことは守らなくて良いとうそぶき、その一方で分厚い証拠書類を作成して裁判に臨むのもユダヤ勢力が世界中の中央銀行を支配したがるのもエージェントに法律家の資格を求めるのも凡庸な支配者が判を押したように監視社会を作って人々を抑圧したがるのもすべては地獄の生活から解放されたいがため、罪を償えと迫る看守や説教者との間に壁を設けたいがためである。そしてその代償として罪への衝動と更生への抵抗を抑圧された木っ端の同胞らのために彼らは薬を作り、反乱防止のために一部の同胞の罪を免罪して平行世界/裏社会で暴れさせることにした。それ以外の半健全な人々には抑圧の中から生まれた創作物を与えて熱狂させることで発散させた。当人たちもそれを見聞きして泣いて怒って笑ってそれで自分の中の罪や悪意を浄化したつもりになっている。彼らがタダ働きで作らせた人に罪悪感を抱かないのはまずもって創作家たちが才能に恵まれて育ったことへの嫉妬があり、次に創作活動自体に浄化作用があり好きなことをして暮らしているから創作家たちは綺麗事を言っていられるのだと思い込んでいるからである。私が迫害を受けながら人間の汚れた部分をあぶり出し、吐き出させて膿を出し切らせようとしても彼らは私の境遇を見ようとせず、綺麗事だ、悪口だと言って彼らの住む世界を見てない、体験していないと言い張る。こんな被害妄想の塊に譲歩したところで彼らの空想の世界に引きずり込まれるだけである。空海を含む秀才はそこで処世術を弄するから主張を貫けず、貫いておかないからその後継者もまた彼らに譲歩して核の部分を割愛し形骸化してしまう。そしてついには彼らに利用されてしまう。地上の管理者という者が居るならば彼もまたバカな処世術を弄する秀才君であったために囚人の便利屋に成り下がって天に上がれなくなり、天国出身者に答えのない逆恨みをするようになったのではないか。インド神話に「定命者(聖人の務めを課せられた人間)を助けすぎた神は天界から追放される」と書いてあるが、地上の管理者は定命者の意向に従って天界からお叱りを受け、その後定命者の命令に従わず、また求められる仕事わ果たせないために蔑まれたことで板挟みのストレスと劣等感に耐えきれなくなって葛藤行動として地獄の管理者との結び付きを強めていった。つまりは天界人にも定命者に対する嫉妬や劣等感があるわけだ。事実我々は彼らが地上世界で果たせなかった任務の尻拭いをしてやり、彼ら以上の実績を残しているのだからな。(地上人が受け入れるか否かに関わらず)特に帰国後の出世を約束されている定命者への憎悪は一塩だろう。どこの世界でも無能な奴ほど迷惑な存在はなく、彼らはその地位にしがみつくことでどれだけ他者を苦しめているかについて鈍感である。彼らは社会的地位を武術や芸事の型のように考え、ただ所属を主張することで認められた権限を行使できるということで自分を離脱させる。そして地位を目的でなく手段に変えてしまう。だからこそ彼らは自分の言動に責任を取らないし、能力不足を理由に引退もしないし、間違いを認めようともしない。子どもとの会話の中で勉強の必要性を感じながら親子の上下関係がひっくり返されることは無いとの甘えから自分の意見を押し付ける多くの親と同じである。しかしこういう後天的な愚者を速やかに失脚させるシステムこそが政治であり天界人もどきも地獄の管理者諸共地獄よりも下の階層に落としてやるべきなのだが、政治を理解できる人間が少なすぎる。私の前世に対する「厳しすぎる上司」という酷評も彼らの無理解による逆恨みとしか思えない。
天才と秀才の間には天と地の差があるとはこういうことだ。天界人がわざわざおちょくられるために地上に降りて来なければならないのは地獄出身者の憂さ晴らしツアーの他に地上の管理者の憂さ晴らしを兼ねているのではないかと思う。そもそも地獄の管理者が囚人を間違いなく更生させて罪を償わせてから地上に出所させれば問題なく地上人とも天界人とも共存できたかもしれないのに地獄の管理者にその能力がなく地上に丸投げしていることに問題の発端がある。この時点で既にこのシステムは破綻しているのに地上の管理者が地獄の管理者に忖度し、さらには派遣された天界人に仕事を丸投げしようと企んだ結果、囚人が地上世界を支配するという構図が出来上がってしまったと私は推測する。できないなら天界人に地上の管理を任せ(総督のように)、地上人に天罰と天恵を与える権限を持たせれば良い。大衆が我々の言葉を決して聞かないと決めているなら彼らに劣等感を味わせ、屈辱をもって報復を受けるために地上に降りてくる必要は無いではないか。天界人のホームは天国にあり、囚人のホームが地獄にあるならば地上世界は仕事をする場であるはずで存在を主張したり確立する場でもなければ亡命先でもない。ここでの自己顕示は観光地における落書きと同じで現地の住人にとって私にもあなたにも価値はない。わずかな滞在の痕跡を残そうと余計なことをするな、言うなは私も彼らも同じことだ。何をしに来たのか。我々はただ求められている仕事を理解し、これを成し遂げて残して帰れば良いのだ。人々を困らせて満足する連中はこの世の一員ではない。金の亡者にも金を独占することで人々を困らせたい願望があり、かつ私は彼らから人権を侵害されているからこそこれを回復し、後輩たちの人権を保障することを約束させようと「罪を償え」と言い通しているのである。囚人どもは彼らを祭り上げて金で苦労することで、また貧困者を金で救済することで罪を償ったつもりでいるかもしれないが、そんな自作自演は通じないし、囚人が囚人に親切にしても徳としてカウントされないことは地獄で確認済みだろう。彼らは馬鹿な猿芝居で我々を巻き込んで罪を重ねているだけだ。―――そのことを示す本がある。
『この地名が危ない 大地震・大津波があなたの町を襲う』楢原佑介、幻冬舎新書によれば日本政府は地震や津波が発生しやすい危険エリアをあえて選んで原子力発電所を建てている。福島第一、第二原発は言うまでもなく中国電力島根原発も日本海の荒波によって日々土地が削られ、なおかつ活断層群が密集している場所に建てられ、静岡県の浜岡原発も日本一津波が起こりやすい海岸に建てられている。さらに日本の東西を結ぶ東名高速道路や東海道新幹線や東海道在来線も断層の上を横切っているそうだ。能登半島地震の復興を遅延させているのも石動山地の崩壊による北陸電力志賀原発の被災を(期待して)待っているのではないかという疑いが出てくる。
そのように疑う根拠もこの本には記されていて(著者は掘り下げてはいない)、二、三の大地震の時たまたまそこに居合わせたテレビクルーが地震発生時の映像を撮影したという記述があり、また阪神・淡路大震災(1995年1月7日)において被災者は神戸市東部の灘区、東灘区、芦屋市、西宮市に集中していたにも関わらずマスコミは神戸市西部の在日朝鮮人・韓国人が集住し、スラム化した地区もあった長田区に報道を集中させた。同じく東日本大震災(2011年3月11日)でも宮城県気仙沼市から岩手県大船渡市の方が被害が大きかったにも関わらずマスコミは福島県を中心に報道し、復興事業を展開している。しかも被災した福島第一原発の一号機はアメリカのGE社製(ゼネラル・エレクトリック)で東芝製の第二原発一号機が津波の高さを9.1メートルと想定して建設したのに対し、第一原発は5.7メートルしか想定していなかった。ちなみに2010年は民主党がロックフェラーに乗っ取られ、鳩山由紀夫内閣が反ロスチャイルドを掲げた年である。一部のジャーナリストはロシアによるウクライナ攻撃をウクライナにある米国防総省の生物兵器研究所を移転するための目くらましと見抜いているが福島でもそうした施設の移転が行われたのだろうか。(移転先の候補はケニア、コンゴ、シエラレオネ、カメルーン、ウガンダ、南アフリカ、ナイジェリアまたはシンガポール、タイ。同じ資料にアメリカの軍や巨大企業はアフリカを生物化学兵器の実験場として利用してきたという。そしてアフリカも百年後には中国のように生物兵器の分野で世界の脅威になるのだろうか) 集団ストーカー犯罪も人体実験場と言えるのでこれの移転および撤去作業の訓練をしたのではないか。というのも同組織犯罪は電力会社だけでなくガス会社や水道局も共謀してターゲットのライフラインを脅かすのでバレすに撤去するには災害を起こして立ち入り禁止区域に指定するより他にないからである。そしてこの本には私の住んでいるエリアの東にも「地震の巣」と呼ばれ160年に一度マグニチュード7以上の地震を起こしてきたと記録されている岡崎と粟田(蹴上の峠道エリア)があると教えている。また主犯の連中は近所の住民を殺して追い出して奪った土地に無理から家を建てて焼け太りの準備をしている。(単純に犯罪者家族同士のいさかいを避けるための棲み分けで、それでも落ち着かず一日中バタバタ出入りを繰り返している。嫌いな家、嫌いな町、嫌いな国、嫌いな世界に何故そこまで居座ることにこだわるのか。そこに期待する利益があるからである) 雪男もおばも私がこの家を守るために戦っているのを嘲笑っていることだろう。父親を憎んでいたので私のせいにして電磁波攻撃を仕掛け、病院送りにしてトドメを刺した(私は見舞いに一度も行かせてもらえなかったし入院先も知らされていなかった)後、祖母のせいにして(祖母の部屋の方向から)のび太およびウツボじじいを使って攻撃をさせ、私が戦う人間だとわかるとさっさと逃げ出してやはり祖母を病院送りにしてトドメを刺した。屑屋やポリ公やヤマトが出張ってきたのはその後からだ。勝てないから応援を外注した。祖父は私にサインを出していたが気付いてあげられなかった。だから刑罰で卑怯な殺人鬼どもを追い出して家と町を立て直し、祖父に「終わったよ」と報告したい。雪男が隔世遺伝かカルト女に染められて黒になり冷気をまとうようになったのかその経緯は知らないが、白の魂の持ち主の人権を確立する戦いから降りただけでなくバカな処世術を弄して妨害するなら許さない。とは言え経済的に自立して自力で家を守る戦いをするには敵が多すぎる。今のままでは実際に震災が起こって火事場泥棒どもが焼け太りしてほくそ笑んでも世間はそれを許し、私を見捨てることは確実なので今からリスクを取って警告を発し続けなければならない。
ちなみに先週の『踊るさんま御殿』で湘南出身者特集を組んでいたが、楢原氏は湘南もこれまでに五回マグニチュード7以上の地震に見舞われ、関東大震災(大正12年9月1日)の際に液状化現象を経験して東京以上に大きな被害を受けたのでできるだけ人口集中を避けるべきで名をブランド化して人寄せするべきではないと警告されている。さらに大阪湾も地震に伴って津波を発生しやすい地形になっていて「難波」という地名によって古代人はそれを我々に知らせているのに舞洲や夢洲などの埋立地を造成するのは防災上有り得ないことで橋下徹氏がそこに府庁を移転してなおかつ首都機能の分散を提案するなんてとんでもないと書いている。
ついでに2004年10月に起こった新潟中越地震は日本有数の産油地帯で、180年間大きな揺れを観測していない「地震空白地域」であったにもかかわらず突発的に起きた地震だった。邪推すればその背景にアメリカがおり、同年11月にロシアで批准された京都議定書に対する報復行動ではないかと思われる。(アメリカは2017年にパリ協定から離脱している) また共和党のブッシュ大統領率いるネオコン政権が石油利権のためにイラク戦争を引き起こしたのは2003年。その飛び火で第二次世界大戦を思い出させる挑発攻撃を仕掛けてきたとも受け取れなくない。要するにアメリカとユダヤ勢力はいつでも日本列島の好きなところに震災を引き起こすトリガーを握っているということ。しかも定命者狩りと連動して日本人が彼らに「罪を償え」と声を上げるのを待ち、かつ挑発によって促している。この国難を如何にして取り除くか。日本人の存亡をかけた戦いにおいてしょうもない処世術をろうしている場合ではないことは明らかである。私も二つの障害を突破するために大衆に受け入れさせなければならないことがある。一つはオーラの問題。オーラが見えない人に白とか黒とか天国とか地獄の話をしても伝わらないし、過剰に反発してそれ以外の主張さえ無効にしてしまうので説得を続けるしかない。
人は困難に直面すると闘争か逃走を選ぶといわれているがより詳しく言えば闘争には実力に訴える戦士タイプと法やモラルに訴えるモラリストタイプがある。次に団結には反乱軍または保護団体の組織の二タイプがあるだろうし、追従には部下、支持者、奴隷になるの三タイプある。分析にも哲学、数学、戦略の三タイプがあり、内向には沈黙、忍耐、諦めがあり、あるいはその他の行動の中から選ぶ。ただし時と場合に応じて行動を使い分けられる人は少なく、あらゆる場面に一つの選択肢で取り組もうとして成功、失敗、発見する。そしてそうした行動の積み重ねによって私たちの魂は磨かれ、あるいは汚れ、成長、堕落、個人差として現れる。当然白に近い方が成功体験が多く、言動が確かでポジティブ思考を持つ。見た目にも自信があって堂々として見え、華がある。争いを好まず、無垢で素直、故に天然、ぶりっ子、天才肌とからかわれることも多いが毎日楽しく生きている。ただし他人のオーラに影響を受けやすく親や恋人が黒の魂を持っていると一気に穢れてしまう弱点がある。女性が好きな人以外の男性に触れられることを嫌うのも汚れを避けるためだし、芸能人が輝いて見えるのは実は大衆の嫉妬や野心などの黒いオーラ(生霊もこの一つ)が貼り付けられるのを守るためにガードを張っているのである。よって白の魂を持つ人には浄化行動と別れが避けられない。(瞑想、冷水を浴びる、塩と酒を溶かした風呂に入る、開けた景色を見る、掃除をするなど) 私なども黒い奴が触れた物に間接的に触れるだけで黒に入り込まれるのを感じて直ぐに手を洗う。物にまで怒りや憎しみを込めるなんてお前の体は蜂の巣かよ!
私もそれでずいぶん異性の好みを修正してきた。どれだけ可愛く見えても大人しそうに見えても親切でも内面は真っ黒ということがあるので見た目は当てにならない。親や恋人の影響で黒になっている人もいるのですべての黒い人が悪い人間ではないし、楽しく生きていれば光のオーラがコーティングして黒の性格や悪癖を抑えてくれるようだから共存は可能だ。白人や黒人、日本の高校生などに多い。新生児の小学生は耐性が無いせいか親の影響を受けて心配になるほど真っ黒な子がいるが学年が上がれば薄くなっていくので良い導き手に出会える事を祈りながら見ている。しかし日本人は成人を過ぎるとコーティングできる人が極端に減り、黒や透明化する人が多くなる。それは彼らが他人に気を遣いすぎ、合わせすぎ、集団に安定を求めすぎ、内に溜め込んで自己主張しないからであろうが、最近増えた若者への街頭インタビューを見ると2:8の割合で黒が多い。(それは奴らが黒服にばかりインタビューするせいでもあるが)
人の言いなりになると魂が汚れると覚えておいた方がいい。
―――ここで今週のテーマに戻る。日本人はなぜ黒に感化されやすくオーラのコーティングを続けることが出来ないのか。外国人はできているので年齢のせいではない。宗教観は仏教国の方が成熟しているのに自己主張やアイデンティティーの確立の点で遅れを取っている。それは日本人が生産活動や創作活動や家事労働を軽んじ、ギブミーチョコレートや他力本願などの依頼心、射幸心に甘えてヴァーチャルな価値ばかり追い求めていることと無関係ではあるまい。
彼らは誤解しているが、「罪を償え」というスローガンには「人を愛しなさい」とか「他者を栄えさせよ」とか「自分の話ばかりしていないで相手の幸福や利益や勝利や自由な感じ方を認めよ」など今彼らに必要な課題が盛り込まれているのであって彼らが支配する世界のように禁止ずくめで自分自身さえそれに縛られて身動きが取れなくなっているという不健全で非合理的な要求ではない。自縛を取り除いてやろうというのがどうして屈辱に感じるのか? 4月の未使用の考察に「やりたいことを償いや罰(緊張、禁欲)に求める者は弛緩(休日、ねぎらい、感謝、成功、達成感)に喜びを感じることができるが、罪(弛緩、逃避、快楽、貪欲、復讐、他罰)に求める者は弛緩が無いゆえに常に緊張と不安を強いられることになる」とある。「万引きには緊張と弛緩があるではないか」と言う人があろうが万引きは他の抑圧を緩和させるための代替行為に過ぎないし、彼が真に安心するのは捕まった時である。罪と償いの間に安定を求めることが彼の狡さでありそこで共存できる人などいない。
例えば調理中に全ての食材を片っ端から食べてしまう人は家族と食卓を囲むことが出来ない。家族は彼/彼女に何を期待して待てばいい?彼/彼女が作り過ぎて残飯が生まれることか。そこに人権はないだろう。ならば家族はどうして彼/彼女から人権を回復すれば良い?それはつまみ食いをやめてもらって調理中は家族のことを想って緊張して取り組んでもらうより他に最善策はないであろう。それが彼/彼女にとって大きな負担になるとも思えない。むしろ処世術を弄して他の人が作れば彼/彼女はテーブルで待つ時間に緊張を覚えてキッチンに向かって騒ぐかもしれない。論点は弛緩からより大きな弛緩や満足を得ることは出来ないということ。毎日ぐーたらな生活を送っている人がマッサージ店に行っても店員とのおしゃべりを楽しむつもりでなければ退屈や窮屈さを感じるだけであろう。黒い魂の持ち主にはこうした願望のクセを持っている。地獄の生活から解放されて気が抜けたことで仕事をする気が起こらないと彼らは言うかもしれないがそれと人を困らせることを面白がることには関連がない。私は罪を犯してもいないのに生き地獄を味わわされてきたが黒に落ちなかったし罪を犯さなかったし人の幸福を妬んでメチャクチャにしてやりたいとも思わなかった。そして人権を回復する戦いをやめなかった。彼らもこんな所ですねて八つ当たりしている暇があったら帰って地獄で人権を回復する戦いをするべきだろう。ちゃんとした更生施設を作れと。自分の戦いから逃げて人のせいにする奴を俺は許さない。「人に死ねと言ってはいけない」という戯言もどうせ彼らが言い出したことだろうが、真っ当な人間は罪人の淘汰、強制送還や処刑を祭りと捉えて共同体全体で共有し、発散し、そして日常に返るべきだと思う。彼らのように暗殺や破壊を日常にする奴らは死ななければならない。我々は罪人ではないので彼らと同じかそれ以下の扱いを受ける理由がないし、まして彼らの憂さ晴らしに利用される筋合いもない。不満があるなら慰安旅行や修学旅行気分でのこのこ憂さ晴らしツアーになんか来てんじゃねえよ!
・・・最後に断わっておくとこれは白い魂の持ち主の総意ではない。できるなら天然、ぶりっ子、天才肌とからかわれながらも可愛がられて地上生活を穏便に笑って過ごしたい人がほとんどだろう。私も当初はその予定だった。しかし実力差や時間の感覚の違いは隠し通せるものじゃないし、面白くもないのに笑えない、愛想笑いばかりしていられない、人に譲ってばかりもいられないという人も一定数いるからやりたいことが見つかったら退くわけにはいかないのだ。私だって持論の先の世界を見たいので囚人の落書きに付き合っている暇はない。奴らの一番の罪で厄介なところは好き勝手に世界をデザインしても愛し、落ち着く世界を造れないことだ。どこまでやっても愚痴が尽きずバタバタバタバタやかましいんだよ。世界一高いビルを建てたところで誇らしく思うのはオーナーだけでその他の建築士や建設業者は誰もすごい物を建てたなとは思わない。それがヤツらの仕事の限界なんだ。もちろん全ての黒い魂の持ち主が世界征服や戦争や混沌を願っているわけではないだろうが、それでも彼らが人に夢を見ていないで真面目に働けと言う時には人生の目標を下げて自分の能力を隠してただ報酬に見合った労働だけを黙々とこなせ、目立たず騒がず世代交代なんて起こそうとするもんじゃないという意味を含んでいる。それこそ亡命者の態度でそういう戒めは黒の支配者や金の亡者に言うべきなんだ。実力を隠すことなんて誰も求められるべきじゃないし、一段上の仕事を要求されることは必ずしも苦ではない。先週言ったように脳はやり始めることでギアを切り替えるのだ。だから黒に生まれたからといって黒に従う必要は無い。黒と手を切って地獄からはい上がれ。それが住処としての地獄と仕事場としての地上世界の違いだ。
もう一つの障害は日本政府と警察その他ライフライン企業が日本人の敵であることを世間が認知することだ。そもそも専門家になりながら身内の不正や腐敗と戦わないことがおかしい。腐敗の処理を含めて分業でしょうが。仕事の意味を理解していない。報酬を受け取る手段としか考えてないからバカな処世術を弄して外敵を捏造するんだ。戦えないなら辞めてしまえ!職場に居場所を求めるなガキめ。(自営業者を除く)
どうせみんな地獄に落ちるのに罪を犯さない奴はバカだ、勇気がないという悪魔の理屈を野放しにしてはならない。
ちなみに病変は黒変しやすく治ろうとする力が強いと光のオーラに包まれる。つまりオーラは心や体の活性を示すサインになっているということ。だから皆が見えた方がいいに決まっているんだけどなぜ見えないんだ?見えるようにする訓練があるのか?私は浄化しか試したことは無いが、人々の理解を得て公然と活動できるようになったら教育や医療や各文化のレベルアップそして説教活動などにもオーラ診断を取り入れていきたいと考えている。既に勝利を確定したしょうもない戦いに生涯を費やさせたいならそうすればいいけど。俺はまだまだ本気を出してない。やることも出来ることも山ほどあるぞ。使わなくていいのか?

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