7/16 火曜日
11:01~ レポートの作成を開始。
11:50 クズ土建屋がショベルカーを放置しに来て去る。河川敷には至る所に放置されている。
11:55 スポーツセンターの建物内に入るが観客席に入ることが禁止されていた。ここでも囚人の言いなり。→12:42 入力妨害とこめかみ撃ちに遭って移動する。
13:09 外に出るとヘリが唸り始める。
14:40 戦闘機。
15:00,:02~:09 こめかみ撃ちと掃除婦の取り付きに移動するとヤマトが2台で挑発。うち1台が追ってくる。
7/17
12:00 家を出るとポリ公がうろついている。
12:46 ポイントに着きレポートの作成を再開。
13:10,:22 戦闘機
13:59~14:00 ポリ公が空サイレンを鳴らして大学の周りをうろつく。暴走族がバイクを吹かすように。→15:32 大学を出るとポリバイが幽霊立ち挑発。→:38 神社で水をもらって出るとこれにも合わせてクラウンで動線挑発。電磁波盗聴のために神社に張り込んでいたが出たので解除して白々しくパトロールのフリをする。そして追い抜くと背中を撃って追いかけてくる。バレてるぞとサインを出すと左折して逃げる。→16:24,:29,:34,:43 祇園祭を言い訳にエリア外で追い回してくる。それにしてもダラダラした祭り。祭りのエリアを離れると余波も全く無いしな。
15:40,:43,:50,16:32,:34 本町通りでヤマトが動線待ち伏せ。東大路通でも。
15:25~ 偽軍人が移動に合わせて唸り出し、ポリ公に私の位置情報を知らせながら追ってくる。
こんなヤツらを生かしておいても先送りのネタを作り続けて攻撃対象を広げるばかりだ。そして憂さ晴らしに暴れて報酬を要求する。申告した仕事とは違うことをしているのだから詐欺だ。税金強盗。
会社は定められた仕事をするために人が集まる場所で各々の役割や業務が決まっていればこそ固定された上下関係や「部下を育てる」という発想が出てくる。つまり社長の言うことが社訓でありマニュアルであり正義であるという前提の下で計画の実行者たちを如何に効率的に動かすかということを追求する社会集団が会社なのである。そしてその前提の上にリーダーシップ論や組織論や上司の心得を説く理論があり悪い上司や悪い部下という分類が生まれる。
私はこの手の本に共感を覚えない。結局「自分が正しいと信じて疑わない人とは議論するな。彼に地位を与えてしまったら従うしかない」という結論で締めくくっているからだ。言い換えれば変えることが出来るのは自分か部下だけだから解釈を変えて耐えろと言っている。それでは何の解決にもならないし、話が進まない。
業績が思うように伸びないからと部下を怒鳴り散らす上司と部下に頑張ろうと言えずに不正会計をする経営陣は表裏一体であり、彼らの間違いは必然を行動や判断の基準にしていることである。科学者も「〇〇するとどうなるか?」という問いに「〇〇しないとどうなるか」または「〇〇できないようにするとどうなるか」を調べて必然的な解を得ようとするが、業績アップを必然にするには人間の欲求を固定しなければならず、いつも同じものを食べ、同じ服を着て、同じ不安や悩みや病気を抱え続け、同じ作業を黙々と繰り返す人を毎月または毎年増やし続けなければならない。そんなことは不可能であり願ってはいけない願望であり実際思い通りにもならない。しかし傲慢なリーダーはそのやり方が彼の組織において権威を主張し続けることの出来る唯一の方法と思い詰めているため方針を変えることができない。偶然に身を委ねることが出来ない。集まる人が変われば仕事でも芝居でもキャンプでもスポーツでも内容が変わるのは自然なことなのに彼は現場と人を見ておらず成功者と数字だけを見ている。生き残ることが正義で会社を大きくすれば社員「みんな」が喜ぶと信じている。しかしその大義の下に彼は社員らの自発性や善意や未熟なアイデアや向上心を圧殺し、個性も自主性もない言われたことをこなすだけの(彼の背中に向かって舌を出している)つまらない組織人間に変えてしまう。―――私が問題視するのは彼らが自発性を求められない場面で無気力になることでそれが政治や社会問題や家庭問題への無関心と結びついている。人生さえやらされていると思いながら生きている人は多く、男女関係における男尊女卑の姿勢や小さな面倒を人に押し付ける、決断を先延ばしにする、話し合いに応じない、悪いくせを直さない、あえてだらしない態度をとる、謝らない、知らないことに関与しようとせず学ぼうともしない、陰で裏切り軽視するなどに代表される幼稚な言動で人を困らせ、怒らせ、泣かせて組織の弊害を社会全体に撒き散らす。女性達は各自のパートナーにそれは違うでしょと諭しても男性は聞く耳を持たず自分が会社でされたことの憂さ晴らしを家庭内でする。女性の包容力や忍耐力に甘えながら男性の役割とやらも果たさない。
キャリアカウンセラーの藤井佐和子さんによれば男性はチームワークを重んじ、集団の中で上手く立回る方法や集団を上手く動かす妙案に興味があるのに対し、女性は自分への関心が強く「なりたい自分、自分らしさ、自分磨き」などのタイトルに惹かれるそうだ。キャリアアップについての解釈も男性が出世することと解釈しているのに対し、女性は自分のスキルを高めることによって会社に認められること/人権を確立することと解釈している。そこで専門性を追求するのだが、男性上司は「専門知識を深めて仕事に生かすのはいいことだが会社という組織で働く以上、自分一人ではなくチームでの生産性を上げるために皆と協力して仕事を進めることが大事」として彼女の努力を評価しないという。私も現場に入ると女性的な立ち回りをしがちでそれが人に嫌われてきた要因なのかと理解した。女性の悩みは相手の考えていることや将来が見えないこと、把握していないこと、知らないことに対する不安でそれを知ろうと人に聞いたり情報収集したり勉強したりする点でも私は共感できた。女性の仕事の原動力は業績よりもやりがいと良好な人間関係、つまり充実感とする考え方も。それだけに「自分の非を認めない人を説得しようとするのは傷ついた自尊心を回復したいから、または名誉が欲しいからだ」という意見を聞くと差別の実態を知らないだけだと反感を抱いてしまうのだが、会議に臨む姿勢の違いを知って確信に変わった。「男性の会議は上司の意見を皆で聞いて意見を求められない限り沈黙を貫き、聞き流してその場をやり過ごす(上司の善意を信じる) そして飲み会で発散する。対して女性の会議は全員がそれぞれ思ったことをぶつけ合い、しばしば脱線しつつ共感を集約していって合意に至る。事実やデータよりも根拠が弱くても共感できることを重視する。これを言ったら相手のプライドが傷つくとか仕事がやりにくくなるということは意識しない」。
これを見ても男は一度決まったことを容易に変えないと決めているからこそ上司が後からゴネて独裁に走らないよう予防線として最初から譲歩していると思われるのに対し、女性は後から修正する準備があってそれぞれの意思確認のために会議をしてるように見える。彼女たちは皆が自分の意見を言える関係性を平等と認識しているのである。
男性社会の構造は政府や金持ちの意向に臣民は黙って従うべしとの不文律が支配しており彼らは自分がしたいことと自分や主人の外国人の利益になることしか言わないがこれは女性の平等観念や合意形成のプロセスを無視しているだけでなく男性の合意形成に必要なチームワーク(国民全体の利益、成功、幸福)も無視している。故に国民の支持を得られず、国民の意思を聞く気にもなれず、それが社会の恒常的な停滞および退行の原因になっている。我々は給料をもらって国民をしているのではないのだから会社の組織論がそのまま政治に通用するわけがないし、まして総理大臣としての実績/落書きを残したいがための政策や歴史の罪を隠蔽するための圧政なんて国民には関係無いことだ。それこそ「罪を償え」という話だ。
では社会で通用しない論理がなぜ会社では通用するのか?それは私たちの人生がお金というヴァーチャルな価値に支配され生殺与奪権を握られているからに他ならない。だからこそ修行者や哲学者や科学者を含む研究者や創作活動家らは世俗と距離を置き、孤独や無理解や偏見、時に迫害と闘いながら真実を追求しなければならない。しかもそうまでして得た知識も大衆やお上の承認を得るために内容を簡略化したり譲歩したりしなければならず、しばしばその程度の物の見方や考え方では悟りや発見や気づきをもたらすには及ばないレベルまで下げなければならない。しかしそこまでして為政者や悪党を生かさなければならない「社会」とは何なのか。なぜ私達は人智の発展の中に身を置いてはいけないのか。
そもそもが政治的・経済的・社会的圧力で国民を押さえ付けなくても凡人の進歩なんて知れている。それはカップルの行く末を見れば一目瞭然で自由で快適な暮らしの中からイノベーションは生まれない。特に男性はプライベートを軽視してだらける時間、羽目を外す時間と決めているため、今が良ければいい、問題が表面化しなければまだ大丈夫、バレなければいいといって決断を先送りにし、既に表面化している問題にいつ対処しなければならなくなるかというスリルを味わってさえいるような有様なので尚更進歩とは無縁で妻子の負担と我慢と怒りは募る一方である。そしてこれを見かねて不確かなことに敏感な女性が危機感を覚えて男性陣を叱り始める。・・・しかし彼らは(言い方は悪いが)彼女たちレベルの忠告にも耳を貸さない、対処できない。金さえ持ち帰れば家庭における役割は果たしていると言いたいのだろうが、DIYの建材をどれだけ持ち帰っても加工しなければ家が物置になるだけで男性には稼いだ金を使ってどんな家庭を作るかというプランが欠落している。犬ではないのだから食って寝て遊んでいれば満足とはいかないのだ。文明人として文化人として私たちは子孫により良い生き方や暮らし方を示さなければならない。(前時代の失敗を踏まえて) それができないのは会社でもしていないからだ。売上さえキープできれば、家計のやりくりさえ上手くいっていればワンマン上司の好きにさせておいてもいいだろう、言い出しっぺが責任を取ればいいという考えは家でも職場でも一緒なんだ。必然の力を振り回し、依存しながら実質偶然や運に生かされている。というのも偶然に適応できない人は死ぬからである。風邪に対処できない人は肺炎を起こして死ぬし、日々作られているがん細胞に対応できない人はガンになる。私たちは当然の権利のように薬や手術によって病気に対応するがこれは必然の力で偶然をねじ伏せているに過ぎない。中には植物状態になっても(家族が)生存を諦められず延命装置を付けて生かされ続けている例もある。これらはいずれも他者の大きな負担によって成り立っている不必要な力である。ちなみに黒い魂の持ち主も罪の償い及び社会への適応を拒否してあえて罪を犯し、社会的な死を迎えているにも関わらず金や法律や寿命に関する共同幻想の力で無理やり延命している。(一般市民として人知れず償いをすれば心理的、社会的負担も少なくて済むのに彼らはわざわざ囚人アピールをして自分を追い込んでいる。先送りのネタを自作しているのだろうか) 彼らはそれを無敵の力と信じて得意になっているが全体から見れば壊死した細胞あるいは枯れ草である。今世界中で議論になっているSDGs(環境、人権、エネルギー問題)もこの強大で有害な力への依存からどのようにして脱却するかを主眼に置いて話し合うべきで、だからこそその恩恵に浴している者達が議場を取り仕切ることは有り得ないし拒否権を認めるべきでもない。ここでもこれまでの会議のあり方を変えることが求められている。世俗を離れて修行するべきは彼らなのだ。政治は私たちの人格形成の基礎にはならず、してはいけないものである。戦国時代には子どもを勇敢な人殺しに育てることを善とし、帝国主義個の国民は植民活動や制裁的な大量虐殺を正当化する。しかしそんな論理は人生に何の役にも立たず思考停止の原因でしかない。私達の思考は常に自由でなければならない。冴えない人々も他人に嫉妬などしていないで自分の意見やアイデアを表現してクリエイトする機会を捕らえ、自分の能力や才能を確立すれば良い。創造する機会は誰にでもどんな職業にもあるが沈黙はその機会を放棄する行動である。女性達に言わせれば沈黙を求められる場に平等はなく、可塑性が低いのである。地上世界は人生を進める場所だという認識を広めるべきだろう。
今週出会った『よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』清田隆之(桃山商事)、晶文社という本に「ホモソーシャル」という語が紹介されており、ジェンダー研究における意味は「女性蔑視と同性愛嫌悪をベースにした男同士の強固な結びつき、および男たちによる社会の占有」とある。加えて著者が集めた女性達へのアンケートによれば、
・一対一では優しい彼氏なのに男友達がいる場だとなぜかオラつき始める。
・仕事先の男性たちが連れ立って風俗に行っている。意味がわからない。
・彼氏は男同士でつるみがちなタイプなのに私の男友達とは交流しようとしない。
・男友達は仲間内でけなし合っている。仲良しなんだろうけどけなし合う意味が謎。
・職場の男たちは集団だと女性蔑視的な発言が増える。一人のときはいい人なのに。
などと感じており、しかも男性たちに改めて話を聞くと自覚がないという。恐らくこれらは男性間での競争心と絆の確認で女性を仮想敵とするのは性交時と通常時の立場の違いに対する不満の表れと思われるが、平たく言えば情熱や有り余る力を注ぐ目標がなく暇なのであろう。というのも男同士でいれば目の前の問題に向き合わなくても責められることがなくいつまでも現実逃避していられる、バカをやっていられるからである。ビッグマウスも恐らく先送りのネタを自作しているのであろう。女性同士の会話はよく話が飛ぶというがそれは思考が進んでいる証拠なので先送りを許さない。だから女性が男性グループに入るには気が利くマネージャーやマスコットになるかリーダーやご意見番になるしかない。男性集団は女性や男性説教者の存在によって目標を決めたりケジメをつけることが可能になるのである。
・・・私の敵たちも自ら作り出した問題を先送りするためにイカれた挑発とレーザー攻撃を繰り返しているが私にハンマーも渡さず30分に一度の頻度で玄関のドアを開け閉めする。私はこれをモグラ狂いと名付けた。家に居るのが嫌なら自分の家を破壊すればいいのに手慰みに傘の骨を疲労骨折させたり懐中電灯の電池の寿命を早めたり屋根を攻撃したりしている。またヘリは2日にわたり無言で45分間ホバリングを続けたがそれも自分たちがイキって私に挑戦し、返り討ちにあった結果であって敗北を認めて世間に罪を告白した上で生涯をかけて償うべきなのにこれを先送りして無意味な行動を続けている。私の足を引っ張りながら私の尻にムチを振るって(理不尽な決断を迫り)一緒に未来へ連れて行ってもらおうという腹積もりなのかもしれない。連れてかないよ?
仕事上の立場を利用して自身の派閥に入ることや支持者になることを強要するのはパワハラである。
穢れた魂は他人の魂をも穢れさせる。したがって我々は偶然の産物であることを自覚して移り行かなければならない。これを諸行無常という。古代人も現代人も国が異民族の支配を受けることを変化として受け入れるが、同胞や子孫がもたらす変化には必死の抵抗をして牙を剥く。それは既得権益への執着というよりも同胞や子孫が自分たちよりも良い暮らしや幸福な暮らしをすることを拒否しているかのようである。しかし個人の人生観を変えるという意味では赤子にだって世界を変える力がある。我々が無力な同行者と侮ってはばからないパートナーや順風時の友人や新入社員や物言わぬ花や絶景にも世界を変える力がある。逆に自分が必然と信じていることがいつまでも必然であることは有り得ない。科学者の説も10年もすれば書き換えられるのだから同じ説を唱え続けている訳にはいかない。良い商品が売れなくなるのも工場生産によって全く同じ味を再現することでお客の舌が飽きてしまうからではないかと思う。人の手で作ったものに飽きることは無いが機械が作った科学的な食品にはそもそも感動することがないし、そんなものばかり食べていると機械的に摂食行動を繰り返しているだけに思えてくる。(その点で犬は気の毒だ) 食器や家具や電化製品でもとりあえず揃えたものには愛着も湧かないし、店に行けばいつでも代わりがあると思えば大切にもしない。人は必然的なもので意欲や満足を維持することはできないのだ。
そこで私たちはただ新しいだけでなくそこに人間味のあるものを求めるわけだが、工場生産をやめて同じ情熱を持つ職人が集まって同じ数を人の手で作るようにしてはどうかと思うのである。同じ商品を作っても全く同じように仕上がらないのが自然でこの種の個性/当たり外れは変化を嫌う人にとっても程よい刺激となってリピート率を高めるのではないかと思う。発案者が提案した事業に人が集まるのではなく各々の情熱を形にしたものを持ち寄り一つにまとめたものを仕事と呼ぶ。社会主義体制の問題点は皆が一律に同じものを生産してそれ以外のことを考えない、報酬以上の仕事をしないことにあるのであって、個々人の情熱を認めれば独立して起業する必要もないし、仕事に奥行きができて客も楽しめる。革新的な仕事は同僚にとって起爆剤になり、保守的な上司に失敗の経験をさせ適度な危機感を与えることになる。そこでもう一花咲かせてやろうと思えなければ辞めればいい。年長者には肩書きで仕事は免除されないこと、時間は止まらないことを覚えさせなければならない。
世の男性諸君がずいぶん女性の信用を失う行動をしているのに彼ら以下の扱いを受けるのは納得できない。私は何を先送りしているのだろう?目の前の問題を片付けようとしてるけどな。女性から見ればマルチタスクで出来るんじゃないというツッコミがあるのかも知れないけど世間の顔色を伺って言葉を選んでいたら先送りを言い訳に何でもありの攻撃をしてくる連中に太刀打ちできない。敗北すら認めないんだからな。処世術を否定して勝つことに全振り/全集中させてもらわないと。

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