まとめてつぶやき1064 祟り神の世界を変えるのは真実である

2/17 火曜日
10:13 脱水攻撃。11:26~:29,:43~:49,12:08。14:02~:36~:39~
10:21~ レポートの作成を開始。13:27~ また曇ってきたので建物内へ移動。
偽軍人 1111111111111111
戦闘機1
ヘリ111
11:49~ 手指の霜焼け作りレーザーの出力を上げて寒さを強く感じさせることで移動を促してくる。成長しないヤツら。
13:57 また掃除婦とカートがやってきた。

良くなる方法しか書いていないのに一向に私の立場が良くなる気配がない。多くの人々はそもそも良いことをもたらす能力が無いのではないか。先祖も神も幸福をもたらすことや罪人に罰を当てることを無闇に渋るのに、たたりや報復となると感情任せに秒で効果をもたらす。古代の人々が神を祀った動機も天災を鎮めることだったし、戦国時代には倒した政敵が悪さをしないように祀った神社もある。

※祟り―――神仏の意志に逆らうことで受ける罰。また怨霊、もののけなどによって災難をこうむること。

仏教徒が仏様は人類の苦しみを除くために苦行に身を投じながら念仏を唱えておられるので私たちも祟り神/阿修羅の性質を抑制しなければならないと説いても人々も神も聞かず、家族やパートナーや子どもや部下に「私を怒らせるな」と宣って自身の祟り/暴力/犯罪行為を正当化し、嫉妬、妨害、リンチをほしいまま(恣)にしている。それで祟り神が祟り神に参拝して金や権力を求めるのは祟りの許可を求めているとしか思えない。
となると、ものづくりは自力で良いことをもたらせない人が世のため人のためになることがしたいとの願いから取り組むことなのかも知れない。職人や芸術家のパートナーが苦労するのも彼の本質と付き合わなければならないからであろう。そうして共働きによって双方が徳を積んでいる。

キリスト教が説く「人は生まれながらに罪人である」の意味もこれでこれで解ける。イエスは悪いことしかもたらせないユダヤ民衆に殺されたことで良いことをもたらせる人間であったことを後世に伝えた。ガンジーが殺されたのももしかするとインドの独立を前進させたせいかも知れない。キリストの弟子の中にさえ祟り神が居たのだから。直近で言えば政府効率化省のイーロン・マスク氏が海外で支援活動をしていたUSAIDという団体を大規模なリストラによって機能停止させた。祟り神が築き上げた社会的地位というのは祟りを自由に発動して報酬を得られる仕組みであり、多数の祟り神が羨ましい、あやかりたいと祭り上げたことで確立されたものでは無いかと思う。日本社会も悪口を許さないと言いながら中傷合戦で大統領を選ぶアメリカ人を認めないとは言わない。こういう人達が「良い人をやめなさい」とか「権力者とバカとは戦うな」と書くのはどうせあなたも私も良いことをもたらせる人間ではないし、それができても殺されるのだけだから本性を上手く活用できる環境作りに努めた方が利口だと教えているのだと思う。

私有財産に制限をかけようという議論には芸能人やスポーツ選手もきっと反対するだろう。大衆からもてはやされるにはそのような性格でなくてはいけないからだ。大衆は明らかに自分たちを苦しめる人を崇拝し、賛美している。そして生き地獄の中で酒に溺れ(CM)、歌い踊り(ティックトック)、苦しみが再現される様(ニュース、ドラマ)を見て満足している。さらにそんな自虐的な生き方を正当化するためにスケープゴートを作り上げ、そんな生き方をしていてはいけないと諭す人に反発する。比較の論理は多分ここから生じている。地位の低い人は苦しめられても仕方がない、出世や成功は見込めなくてもせめて金持ちになって世の中を見返してやりたいと復讐心に燃える人は自分を虐げることに許しを与えていることに気づいていない。しかし比較を行動原理にしているならば手近なところで人を苦しめてヘラヘラしている小悪党どもに真剣に苦しめと怒るべきではないか。彼らは怠けてぬるま湯の生活をしているから他者にもぬるま湯の苦しみをしつこく与え続けることに(その立場を確立することに)喜びや安心を感じているのだろう。ならばでかいことを成し遂げなければ金も復讐の機会も手に入らないと信じている人は中途半端なヤツらをずるいと思わないのはおかしい。あなたは小物が興じる自由をも羨ましがっているんだ。そこが祟り神の撲滅に転ずるか否かの分かれ目だ。人に良いことをもたらすことは人間関係築く上でも共に仕事をする上でも集団生活をする上でも基本的なことで最低限装備しておくべきスキルだと信じ、さもなければ自分の夢を叶えることも問題を解決することもできないと認識すれば祟り神からの決別の一歩を踏み出せるが、できないとそんなことができるのは英雄だけだといって自分像からそのスキルを排除してしまう。―――しかし祟りや嫉妬、憎悪という手段を捨てることがそんなに大袈裟なことだろうか。その程度の世界の変化が軍隊を作って抵抗しなければならないほど大袈裟なことか?その意志と労力と時間を自分磨きに振り向けた方が有意義ではないか。しかもそれらのことはどれだけやっても足りることがない。自分に向けてないから。酒やドラッグも自分が摂取しているつもりでも実際には自分の意思にそぐわない脳を黙らせてやれという意図で投下しているので脳が抵抗力をつけると投下量を増やさずにはいられなくなる。彼らの脳は変われと叫んでおり、私のレポートを含め、具体的に変化を促すものを彼らの視界にもたらしているはずで彼らは脳と和解して変化を受け入れ、感謝すればよいのだが英雄でないからできないと言って祟り神であることをやめられない。そんな世界で私はどう戦えばいい?どのようにして人生を成立させ、命を全うすればいい?イエスのように知恵だけ搾り取られて殺されればいいのか?→脱水攻撃。

読む本がないのでシェイクスピアの作品を読み返してみたが、面白くなくてやめた。アイロニーは耐え難い現状を知性で納得する助けにはなっても前進させる力を持っていないのでその力を手に入れた今の私には響かない。私の批判は前進を促している。

『こうして思考は現実になる②』(パム・グララト著、桜田直美訳、サンマーク出版)を仕入れてきた。これに「敵に感謝しろ」と書いてあるが、不思議と抵抗はなかった。哲学者として研究材料に困らない環境を与えてもらっているという見方をすることは私にとって屈辱的なことではなかったし、一般の研究者達が研究室に人を集めて白々しい課題を与えて小さな結果を積み重ねていることを思えば日本中の人が同一テーマで反応を示してくれるのでこれ以上の規模のフィールドワークはないと思えるからだ。テーマは『人はなぜイエスを殺すのか?』・・・ただし、私が研究のために犯罪組織の延命を意図せず助けていたとしたら世間の人々に謝らなければならない。これからは彼らにサヨナラを言っていこうと思う。
本文にこうある、「ある問題を取り除こうと躍起になり、それに人生の全てをかけているとその問題に実力以上の力を与えてしまい、解決する可能性の芽を摘んでしまう」。だから「ネガティブな事柄に支配されてはいけない、それを自分のアイデンティティにしてしまってはいけない」と。
しかし一方でこの本は悪党と無能を保存する悪法でもあるなと思ったので私の解釈とセットで読者には処方しなければならないなとも思った。

ちなみにこの本にもネガティブな連中が悪口と受け取るであろう箇所はある。
「悲しいことにほとんどの人は愛することと前向きな期待を持つ訓練をすればいいところをなぜか問題だらけの嘘の現実をしつこく分析し、次のようなことを考えている。―――私に優しくしなさい、そうすればあなたを愛してやってもいい。/まずお金を見せなさい、そうすれば喜びを感じてやろう。/まず私に得をさせなさい、そうすれば話を聞いてやってもいい」である。これは私が敵や世間の人々が取っている態度と思ってきたが、活字で示されると私も世間の人々にこのような含みを与えていたのかもしれないと顧みることができた。しかし私はこの文章を悪口とは受け取らなかった。彼らは他者に自由な感じ方を禁止し、かつ自分の行為を棚に上げておきながら自分の感じ方を絶対視して相手にそれを共有しろと強要しているに過ぎない。彼らは彼らの思考の癖が作り上げた現実を分析することは無いが、上記のような高圧的な要求を常に誰に対してもしているのである。

この本を読んで得た私の見解は批判は変化の方向性を示すのに必要なことだということ。本文にはある出来事や対象に関する個々の見解はさまざまで批判することで別の可能性を潰すことになるから審査員になるのをやめなさいと書いてあるが、先に書いたように現代人は良いことをもたらす能力を欠いている人が多く、マニュアルがなければ仕事を進められない人も多いので単なる禁止や中止は不毛だが、方向性を持った批判は循環を促すために必要なものである。誰もが間違いだらけとわかっている世界を変えることは何も大袈裟なことではない。しかし人々は正解や理想あるいは普通を表現、具現化、デザインする技術が無いから甘んじているのであろう。もっと言えば状況の共有に必要な言語化能力が未熟であることに原因がある。人々が地位や名誉を守るために嘘をついたり言葉を濁す習慣を持ち、いつも通りを維持したいがために赤点の答案や失敗を隠し、不都合なことが起こらないことを祈ってばかりいるから物事を実現させる言霊が育たない。失脚すると惨めなことになるのも元はと言えば彼ら自身が地位や名誉を守るために小細工したり圧力をかけたりするからで、それが流動的なものだという認識を共有していれば上がろうと下がろうと人は合唱のパート分け程度のこと、すなわち適材適所としか考えないはず。全体のバランスや総合点で良いものを目指さないのは競争の目的を履き違えている。野心家はなぜ上流と下流を作って「琵琶湖の水を止めたるぞ」と言いたがるのか。管理者を称するならば思考の流れ、時間の流れ、金の流れ、変化のエネルギーの流れを滞らせないように計らうべきで海に流れ出た水が蒸発して再び雨となって山頂に降るのを感謝しなければならないのに多くの支配者は雨を恐れる。そして支流を5万と作らせて海をなくしてしまう。実際市場から安価な余り物が消え、中古品や一昔前のアンティーク未満の物にも大層な値段を付けて貧乏人が腹一杯食べ、古物を大人買いして生活を楽しむ道を絶つ風潮があからさまになっている。まるで墓地からの復活を阻止するように。本来ならフアッション業界で起こるリバイバルが政治を含めたあらゆるジャンルで起こっても不思議はなく、海/人々が見捨ててしまったものはその源泉なのだがな。しかし海を水溜まりに変えたところで人々が肌で感じた心地良さや気安さ、懐かしさを忘れることはできないので人はこれを価値観の柱に組み込んで話すようになり、拡散され、積もり積もって山頂から降り注がれる日を待つことになる。やがて今の社会はおかしいという感じ方が生まれ、不満や批判に変わる。フアッションブランドがリバイバルを弾圧したらどうなるか?人々はブランドをボイコット(不買運動)をするだろう。誰にも循環を止めることはできないのだ。
現在の思想や技術と過去のそれを組み合わせて新しい価値を生み出すのは第一線の人々ではない。歴史が示すように捨てられたものに注目し、また再利用せざるを得ない下層の人々の中から進化は生まれる。それは個人の価値観や能力にも言えることで最先端を追い求める者や他者の進化を恐れる者は進化しない。しかし人は循環を繰り返して強く豊かになっていく。だから自分に嘘をつけない。

本文にも「今日の人生が昨日とまったく同じに見える理由はあなたのエネルギーがそこだけに集中しているから。一つのパターンをくり返し、すでに知っているものに依存しているから身近なところで起こっている奇跡を見逃している」と書いてある。また「あなたの人生はあなたの思い込みをそっくりそのまま反映している。だから人生は苦労の連続だと信じるとその通りになるし、男はみんな浮気すると信じるならそれがあなたの現実になる」とも。ために多くの人々が常識と信じている限界と苦痛が社会を支配して私たちの幸福への前進/覚醒を阻み続けている。著者は古い常識は私たちの思考の癖に過ぎないとも書いている。だから世界は嘘で塗り固められており、真実に耳を傾けなければならないと。問題の根源はエネルギーがブロックされていることなのである。
米民主党支持者のカルト集団/圧力団体が盛んにCMで「常識を疑え」と叫ぶのは言葉足らずである。自分たちに祟り神をやめる覚悟がないからメッセージを省略するのである。(抜け道作り) こんな中途半端なメッセージに大衆は付き合ってはならない。

私は今週から数字崇拝者たちの引き寄せ術を肯定するのをやめる。時間を細かく記録しても真実を受け入れたくない人は嘘だと言うし、フラットな人たちはすでに真実と認めているのだから神経質にならなくても良いかと。自分の負担を減らしても良いかと。彼らは幸せになる気もないくせに引き寄せ術を実践している。そして本には「不足を訴えるな」と書いてあるのに一日中足りないと愚痴ってボタンを押し続けている。都合の良い部分だけ拾って信じる者は自分が何を信じているのかを見失っているに違いない。そしてつながりが分からないから前に進むことができない。彼らは自分の状況を把握して人生を再開しなくてはならない。したがって私たちも彼らの古い意識とさよならしなくてはならない。それに仮に彼らが私の幸運に群がり、歪んだ人気を表しているとしてそれに対して私が近づくなというメッセージを発し続けているから後続の一般市民が続かないのだとしたらこれもまた解きほぐさなければならないし。

今週は北西のワタナベがのび太とルークに続いて偽給湯器型レーザー装置を導入した。庭に逃げ道があるのが気に入らないとして。敵をでっち上げて武器を購入するのは戦争ビジネスへの投資である。彼らもいい加減真実を受け入れなければならない。

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