まとめてつぶやき1070 安定とは

4/1 火曜日

13:10~:23~:29/ 脱水攻撃。

13:24 ポリ公が撃ちながら地下に侵入してくる。

13:36 偽軍人が尻へのロックオンレーザーを強化して再チャージ攻撃を開始。

 多くの人は安定した生活を求めながら実際にそれが手に入ると惰性的になって無気力になるか、あるいは彼の安定を支えている要素(パートナー、業績、ゲーム、ギャンブル、宅配サービスなど)にもっともっとを要求して不安定な生活に転落してしまう。それは行政による保護にあぐらをかいた人が担当の政治家に際限なく保護の強化を求め、保護の確かさを確認するために世間の批判を受ける危険を犯すのと同じで資本主義社会における雇用者も労働者に際限のない要求をする。それは彼らが労働者の幸福感や健康管理や家族の説得を労働者の個人的な問題と考えて責任を放棄しているからで彼らの関心は会社にどれくらい時間と労働力を提供できるかということだけである。他者が時間と体力を犠牲にすれば商品を作ることができ、健康を犠牲にすれば薬や医療サービスを売る事ができ、平和や心の平穏を犠牲にすれば武器や娯楽やエンターテインメント、スイーツ、酒、女(性的サービス)を売ることが出来る。資本家はそれを安定した経営のあり方だと本気で信じているが、全てを犠牲尽くで揃えるやり方は子どもや戦争捕虜を誘拐して強制労働させるのと同じである。しかしサラリーマンは会社でされた扱いをそれぞれの家で家族に対して行う。つまり家庭の安定を保つのは家(無機物)であり私は家庭(妻子や両親)から仕事の気力、体力を回復させるための安定した支援を受けるだけだと考える。これは仕事=不倫のような位置付けであろうか。彼には仕事の疲れを癒し、明日の気力を回復したり新しいアイデアを生み出すための幸福な空間を自分たちで作り上げなくてはならないという認識が欠けている、そのために家族は犠牲と忍耐によってそれを絞り出していることに気づかない。彼は安定のための努力を怠った時点で幸福を放棄しているからである。故に要求を通すほど幸せから遠ざかることになる。権力保持者や不正の常習者たちも同様であろう。だから私は彼らがニュースのネタ作りのために起こす事件のすべてのコメントすることをせず、そんなことを繰り返しても幸せにはなれないし、あなた方が望む安定も手に入らないと大局観からの意見を述べるようにしている。彼らや人間不信に陥った人々は私の活動を本の知識を借りてマウンティングしているだけだと評価しているかも知れないが、年に8万冊もの本が出版される社会で世間に吸収されることなく葬られた知恵を掘り返して還流することは重要なことだし、それを職業にする人がいても良いと思う。仏教の教えも日本人は毛嫌いして無視するが、あなたがた一般市民こそ政府や経済団体から幸せを願われていませんよ、市民同士でお互いの幸福を祈り合って彼らの搾取や呪いに立ち向かう力を付けてはどうですか。社会貢献と滅私奉公を混同してはいけません、あなたの能力は他者に有機的な影響を与えて幸福や気づきに導くものであって彼らが望む無機物を作って与えることは本意ではありませんよと諭しているのです。故に権力の暴走や悪習をリセットする個人や勢力が誕生する。社会に必要だから生まれるのです。自分の潜在意識と喧嘩をしない人は他人とケンカをして考え方をブラッシュアップしなくてはなりませんが、ゼロ回答で高圧的にやり込めることを常としている人の論理を渋々受け入れていても知識や経験にはならないのであなたが苦境を脱して成長するのを助ける知恵をくれる人が現れるのです。一つ実例を挙げれば私とPCの相性は相変わらず悪く、それは職人の邪魔をしてイキった盗人のサポートに特化している。開発者がコアなユーザーが求めているスキル/機能を理解していないからで今のまま新型を何世代造り出しても私が使いやすい物にはならないだろう。人間であればそれが哲学やセンス、社会性、人間性に当たり、分からない人は一生分からない。だからそれが分かる人材がIT業界に必要なのであり、イキった人ばかり上手く立ち回っても社会も人類も進化しないのである。・・・ちなみに地球にもリセットする知恵がないからイキったヤツらに好き勝手に環境を荒らされてバグったままだ。立て直すために淘汰をやれと言っても逆ギレするだけだ。

 指乞食の味方である6チャンネル(テレビ朝日系)が提供してくれた「プリゾニゼーション」という言葉が彼らによく当てはまる。これは刑務所暮らしで看守の指示に従う生活を長く続けた人が釈放後も自分で行動や状況を判断する能力が回復せず指示待ち人間になってしまうことをいう。ネットで調べるとさらに「刑務所のような環境に過剰適応して無気力状態になること、それによって従属的、依存的、受動的になって人の言いなりになりやすくなる、病的に歪んだ模範囚になってしまう」とある。これを指乞食や右翼団体や右にならえの腰巾着政治家や官僚の行動に当てはめると「指示されたからやるんだ」と言って自分の責任を放棄し、したがって善悪や状況の判断を放棄し、しかしやめろと言われるとキレて囚人のべき論を執拗に主張する。社会復帰することを断念してもはや人生に用もないのに人に迷惑をかけること、人の人生を妨害することに執念を燃やし、生きていてはいけないことを理解しない。人生を統計的に評価すればこういう連中にこそ大衆は「生活させない」の呪いをかけて不安定な生活を送らせることで更生を促すべきなのだが、知恵が足りない故に踏み切れない。

 私たちは我の使い方を学ぶべきなのだろう。一般に我が強い人はワガママで他人の迷惑や不利益や犠牲を省みない、他方、優しい人はいつでも相手の言い分を聞いて相手の気持ちを汲み、相手を立て自己犠牲精神をもって相手に先を譲ることを常とする人というイメージが定着しているが、これでは優しさから出た言葉やアイデアで状況を変えることが悪いことのように感じられてしまうのではないか。本来なら悪い我を抑え込むほど強い愛と優しさによって現状を良い方向に変えていかなくてはならないはずである。つまりイキった人や弱者を装った貪欲者を保護してやることは優しさではないということ。自分自身に優しくなれない彼らに愛や優しさに基づく願望とはこういうものだと示して貪欲や攻撃性を抑えることを覚えさせることが本来の優しさだと私は思う。そしてそういう下地があって初めて人に優しくない言動や政策を正しくないと批判できるのだ。

 しかし地獄出身者に同胞の指導を任せると金儲けを主体にするので悪徳に勧誘して罪を重ねさせる(魂をより穢れさせる)例が非常に多い。彼らはまず人間恐怖症を治療するべきでその不安感にそそのかされて優越感や権力や社会的地位や庇護者や悪友を求めてしまい、それが権力集団や武装集団になると最悪を極めてしまう。犬みたいに自分よりも下の存在を作りたがる本能もこれを手伝っているかもしれない。あるいはより根本的な原因として地上の神が提供できる幸福の限界が暴力団の形成であることも問題であろう。人類の進化や幸福を考えるとどうしてもこの神との対決及び克服を争点とせざるを得ない。先述したように彼は暴力主義の信奉者で仏教で言うところの小我の持ち主(個人の利益や感情優先)だからである。自分の本質的な願望を人間に代理させ、それを隠すために善人も大事(誰も見捨てない)としているが、彼は善人の向上心や夢には努力不足、実力不足、時機ではないと言ってゼロを経験させるのに悪人にはレベルに応じた犠牲を待ち時間無しで与える。しかもスケープゴートに選ばれた人がこれに抗議すると持ち物を破壊したりチンピラを使って報復攻撃をさせる。さらには優しい人や思いやりがある人が幸せになれないのは神と波長が合っていないからだと信者に言わしめている。神が悪口を嫌うという定説も人間から自分の幸せを願われてこなかったことでひねているのである。ということで地上の神はヤクザ集団(かつての一向宗でもよいが)を形成して自分の威光を高め、従順な信者に富と権力を与えて布教活動をさせている。それを人間が真似して作ったのが政治団体や宗教団体、フリーメイソン、企業、経済団体、国際機関などの閉鎖的な小集団なのである。部外者/犠牲者が喜んで金を出そうと騙されて金を出そうと脅されて金を出そうとワンパターンの範疇である。彼は彼らが破滅的な活動をしても刑罰を与えて人生の修行をさせようとはしない。それどころか神のチンピラのように振る舞う者を可愛がって小遣いをやるような奴なのだ。ために組長になる資格のない人は死ぬまで組長と同等の幸せを求めることができないだけでなく世界を変える権利も与えられない。しかし女性が暴力団の組長を目指すはずがないのだからこの体制下では男女同権を半永久的に叶えることができない。人々が金や体力や感情、職能その他を持て余してしまうのもヒエラルキーが邪魔をして優しさや進歩を表現できないことが一因であろう。それこそ牛舎の乳牛のように身動きを封じられて乳/金を出すことだけを命じられている。それで真面目な人々は金儲けのための限界突破や悪徳に傾倒し人格を歪めてしまうのだ。地上の神の限界に従って幸福を求めていても人類を進化や幸福に導くことは出来ない。それを実現するために立ち上がった者が天国に行ってこれを倒す力を付けるのである。優しい世界は良いことをどんどん吸収し学習して考え続ける人を尊重する世界であるべきである。そこではプレイヤーの意見は尊重するが怠け者や代理行為に走った人の言い分は聞かないという姿勢を共有することが重要である。立ち止まれない人は進んでいないし、立ち尽くした人は考えていない。そんな人たちを保護する世界なんて私達はもう懲り懲りなのである。

 先日もまた祟り神が私の自転車を壊して地上の物のみ自由にできることを誇ったが、車輪用のナットが市販品では絶対に合わないようにしてあり、ホームセンターに行くとたった4つで890円もした。さらに自転車屋に行って一つだけ売ってくれと頼むとこれを拒否して4つ分の代金を工費として請求してきた。何故こんなことをする必要があるのかと言えば祟り神の逆ギレの有効性を確実にするためにである。そして彼は地上の満足を貪っているからいつまでも天に上がれない。

 ここで安定とはどういうものかを改めて考えてみると彼らが目指しているものではないことは確かである。私たちの細胞は分子レベルで常に振動し、新陳代謝をして絶えず入れ替わることで健康を維持している。視覚も視覚情報を選別して映像化しなければ幻覚や幽霊やオーラを見ることになる。投げたボールの残像を見たり人や物がブレて見えることもあるだろう。脳の自制力が弱い乳幼児や高齢者は幻覚を見やすいというがこれは正常な状態ではない。さらに本の知識を借りるなら仕事人間は毎日仕事のことだけを考えて偏った脳の使い方をしているせいで並行処理能力が低下しており、予定をうまく立てられないとか人の名前を覚えられない、自分の使い易い言葉ばかり使っているので人から話しかけられた時に内容をすぐに理解できずに聞き返しがちになるなどの悪影響が出る。(脳内では聞く中枢と話す中枢が対になっているため) ネガティブな思考に支配されがちになるのも毎日そのことばかり考えてネガティブな情報との結び付きを強化しているからである。テレビをダラダラ見続けると脳機能が低下するのも目まぐるしく画面が切り替わっても脳の処理方法は変わらないので捨て情報が増える一方だからである。ものを選択する時でも自分のための選択は固定化されやすいが、他人のための選択なら色々と考え始める。頭を切り替えるには対象を切り替えることの他に簡単な運動(ウォーキング15~30分)をして思考系脳番地から運動系脳番地に切り替えたり10~15分間昼寝をしてやはり思考系をリセットするのが良いとされている。

 恋愛関係においては男性は話し合いができないことが指摘されており、まず自分からそういう機会を設けようとしない上に場の雰囲気がそうなると責められると身構えたり論破したり話をはぐらかしたり口先だけで謝ったり、黙り込んで不機嫌を察してもらおうとする、脳科学的にも脳の論理を司る部位を遮断して攻撃性に関わる部位を活性化するようだ。彼らは人の親切や善意や優しさに逆らうようインプットされているように見える。ために男性は愛する人とも共存共栄できない。強欲な企業家が社長同士なら気分を察したり考えを合わせたり協力したり主張を譲ったりできるのに従業員や消費者相手ではできないように。彼らは状況や問題や自分の感情を言語化する能力が乏しくパニックを起こしやすい以上に前進することに集中するあまり身体性を欠いているらしい。これは先の家庭のことは妻任せに通じることだがRPGを最短時間でクリアすることを自慢したい彼らはそれ以外のことには無頓着になり、だらしなくなる。男同志の友情も勝負をしていない分野の欠点や無関心を許容することで成り立っているところがある。それで人間関係一般では友情を深める要素といわれている相手のために時間やお金を使うことが男性同士では当てはまらないことがある。仕事もこの調子で絶えず前進し続けなければならないという思い込みに捕われているが、実際には数字で自分や批判者の目を騙していることが多い。彼らの考える効率とは部活動やスポーツチームで現メンバーが良い成績を残したので後輩にも同じ戦術の継承と同レベルのパフォーマンスを要求するようなもの。その監督は他人の成功を真似しても同じ成果を得られるとは限らないことを知らず、目の前の問題と向き合っていない。目の前の試合に勝つには戦術の確認ではなく相手のプレーに合わせた適応進化こそが求められているのであり、このために必要なチームプレーとは分析したことを実現する能力、その意味での連動性なのである。柔道やボクシングなら自分一人の手数や体さばきで相手を崩すことが出来るが、チームスポーツは一人で相手チーム全体を崩すことが難しいので連動によってそれを見出さなくてはならない。しかしアイデアがあってもチームメイトがそれを実演できなければその効果を確認することさえできない。それで負け試合をズルズルと続けてしまうことになる。あるいは負けないために相手の弱点をつき、プレスを強化して相手のプレーやコンディションを低下させることによって勝とうとする。格闘ゲームでも執拗なコンボ攻撃で相手に何もさせないようにして勝つ人がいるが見ていて何も面白くない。相手の言葉を聞かずに自我を押し通す態度だからである。勝つためにはゲームが成立しなくても構わないという態度である。しかし私はカウンター攻撃や読み合いをすることで対戦相手とも最高のプレーや華麗な展開を創造することを好む。私が他人への要求が高いのもその理想を持っているからで、だから本質的に嫌いな人とは戦いたくないし、一緒にプレーしたくないと思うのである。賞レースに興味が無いのもゲームや賞レースに勝つことよりもそれによって獲得できる待遇を上手く使って面白いことをすることに興味と自信があるからである。

 こういう型にはまったブロンズ像のような人にはトップアスリートの89%が自分のことを内向的だと答え、楽器の演奏家も一日の大半を一人練習に費やしている(ハラミちゃんは一日9時間をピアノ練習にあてると言っていた)、また逆に社交好きであまり一人の時間を作らない若者は才能を培うことが出来ないと伝えると喜ぶが、サラリーマンの仕事などの社会生活や金儲けは別の話で、多くの男性はその戦術によって恋人や妻子よりも会社や上司の求める理想像を演じていることを選んで一番速く前進する方法を選んでいるつもりになっているがその実ルームランナーに乗って足をバタバタ鳴らしているだけである。それだけでなく外向的な人の欠点である犯罪、不義、自動車事故、自信過剰(頑固)、金融的なリスクを厭わない性格(浪費)を表面化してしまっていることが少なくない。身体性が希薄になると自分自身に対して言論統制、情報統制をすることになって衝動を抑えられず自分の健康や力量や支払い能力を考えなくなったり、また身だしなみや他人の目にも無頓着になりがちだからである。しかも相手の言論も封じにかかってひと目でわかる間違いや不自然を認めず、どういう理由でそれを最善と信じているのかを答えることができない。

他人を嫉妬したり妨害する人も前進することができない。進み方を知らないから相手の進歩をご破算にしたい衝動に駆られるからである。勉強でも人に教えることで自分の理解が深まるといわれるように知っている人は他者に教えたくなるのが心情で健康を害してやろうとか勉強や努力を台無しにしてやりたいと考える人は勉強することなしに前進したいという不自然な願望に捕われて妨害することが自己目的化している、そのキャラクターに居場所を求めているから人格が崩壊するのである。これこそが囚人のべき論、自分で作った監獄で許された手段に頼るしかないという強迫的な思い込みが彼を犯罪から抜け出せなくする。しかし前進し続けることを使命と位置付けるなら健康な相手と健全な方法で戦い、目の前の問題と向き合って確かに前進することだけに取り組むべきである。企業にとっての進歩も新商品を開発し続けることや業績を伸ばすこと、店舗数を増やすことばかりでなく、社員が意欲的に働ける環境を作ることや才能の開花に貢献すること、更には成長する人を再評価する社会風潮を作り上げるために資格の勉強を頑張った女性や家庭環境や子どもの教育を向上させるために努力する女性を適切に評価し、その主張を尊重することなども進歩である。また機能や栄養素など強みを押し出すことよりも原材料の常識的な調達法によって消費者の財布や健康に優しい商品を作ることも求められていよう。個人では批判や叱責を可能性や伸びしろと解釈して改善することを楽しみとする意識改革も必要だろう。歌手がファンのために毎年ライブの演出を考えるようなことは良い進歩で株主や組織票を持つ有権者や自分の出世を左右する人物の便宜や利益を図ることは悪い安定である。これらを適切に判断するために特に男性は並行処理能力を回復しなくてはならないし、このようなことを考え続ける社会にこそ安定がある、そして私はこれに貢献しているのだから世間から仕事と認められて当然だと考える。

コメント

タイトルとURLをコピーしました