まとめてつぶやき1078 男性も対抗意識より対等意識を重視するべし

5/28 水曜日

8:16~:19~:29~:37~:44~:50~:54,9:00~:03,:20/11:51,12:12~:14,:15~:19/14:52 脱水攻撃。クスリのアオキによる攻撃を含む。

9:26,:42,:47,:55,10:04,:12,11:00,:51(空爆),13:45,14:29 スマホ起動するとヘリが取り付く。彼らの本質である暴力に浸っているのが楽なんだな。非公式の一組織にしか貢献していない奴が税金から給与を貰うのは横領であろう。組織から貰えよ。

9:30,11:53(空爆),12:12~:14(空爆) 偽軍人

9:30 戦闘機が合流。ロックオン行動。半地縛霊が己の立場を理解しない。

13:45 長靴をはいたチンピラが背中を向けて立ち止まりロックオン行動。スマホをスリープさせると去る。

仕事はニーズから生まれるもので職業ありきで造り出すものではない。しかしニーズの無い者がニーズを造り出そうとするとき社会は混乱する。しかし彼らは混乱を収束させるためのニーズを否認してこれを妨害し、個人的な利益や虚栄心の追求に夢中になる。経済偏重の社会はニーズの無い者を強いて生かそうとするゆえに要らない仕事や有害な仕事を造りすぎて人間を幸福にしないのである。

 ニーズを察知するのは空間を俯瞰的に見る能力であり、他者のテンション(雰囲気)を瞬時に感知してこれに合わせる能力であり、ホスピタリティー(もてなし、および新しい思想に対する受容力)の能力である。 文化や伝統や各家庭の幸福体質、幸福な習慣を継承するのも心であって保守的な姿勢や市場へのへつらいではないし、単に形式を残せば良いというものではない。家事はホスピタリティーである。

 勉強ができる人とできない人の違いも好きな音楽を聴くように教師の作り出す論調や授業の空気に上手く合わせられる人は理解が早く、馴染めない人は理解できない。そして勉強ができる人はできない人のグループの会話や彼らが作り出す空気を面白いと感じない。登校拒否をする児童や社会に適応できない人も同様であろう。(だから企業は彼ら「社会的弱者」を雇いたがらない) 一方で気を使いすぎる人や神経質な人、口下手な人などはテンション(意欲や目的意識)が曖昧で空虚な空間(現代風の空間)には馴染めない。面白い授業をする教師や落語家や質の高い芸人やスピーチの上手い政治家は空間を作り出す能力が高く、聞き手の集中力を引き出すのが上手い。引き込まれるという点では俳優やフィギュアスケーターや楽器演奏者らも空気を作り出す能力が高い人は観衆を感動させることができるが、ただ技術が高いだけの人は玄人受けを狙うしかない。またマイペースな人でも空間を支配する能力の高い人は自分勝手に振舞っても嫌われることが少なく、逆に人間的な奥深さや落ち着きと捉えられることが多い。ホスピタリティー能力が高いということはPTAやスポンサー企業のご機嫌取りが巧みという事ではないのである。

 同じドキュメンタリーを観ても自然を扱ったものと人や事件を扱ったものとでは没入感が違う。この例えのようにどうすれば相手に伝わりやすいかを考えることも空気作りに不可欠な要素である。面白くない人や自己中な人はサインや情報を示せば勝手に伝わると思っているから心地よい空間を作り出せない。

 他者から評価されるためには自分の空気、空間を作り出せるようにならなければならず、さらに好感度を上げるには相手にとって居心地の良い空間を作り出さなくてはならない。そこで自己表現を追究してみると女性は劣等感を感じたときに自己表現への意欲が高まるようであり、それは女性が持つ対等意識に基づいていると思われる。吹奏楽部や演劇部やチアリーダー部やダンス部、その他文化系の部活など女性の比率が高い部活動は多い。コスプレイヤーも女性の比率が圧倒的に高いそうだ。その理由をネットで検索してみると音楽との一体感や同じ目的を持った仲間達とひとつの作品を作り上げていく中で生まれる絆や達成感、感情の共有および言葉で言い表せない感情を表現するための手段として自己表現の道へ進むらしい。つまり自己表現によって自己のアイデンティティ(ポジティブな妄想)や存在意義を確認したり、仲間たちに理解を求めることで他者との対等な関係を取り戻そうとする。

 一方男性は劣等感を持つとその元となる学歴や収入、仕事、社会的地位を高めることで正面から克服しようとするか、あるいは自分より下位の立場の人を見つけて優越感に浸ったり、成功者や上位者をヤジることで自尊心を保とうとするようで自己表現は抑制するらしい。よって容姿のハンデや学力の差を経済力でカバーしようとむやみに高収入の仕事に飛び付いたり、投機的な生き方をしたり、人生や恋愛が上手くいかない原因さえステータスのせいにしがちになるという。まとめると女性は人間性やコミュニケーション能力を高めようとして他者と共存共栄を図るのに対し、男性は動物の繁殖戦略と同じくサインの強化に努めて暴走しやすい一方で自分を表現することなしに承認を求めるために他力本願(へつらい)になりやすく、暴力的手段(脅迫、ストーキング、買春、汚れ仕事)に頼りやすい。動物は遺伝子情報と自然に手に入るものに基づいて最適解を選び、最善を尽くすのに対し、人間は自ら創り出した新たな選択肢によって能力以上の仕事をしたり健康を害したりできることがそれを助長しているのだろう。居住空間を作り上げる際にも女性は住みやすさや居心地の良さをメインにして家具を選んだり可愛く飾ったりするが、男性はとにかく家賃の高い部屋を選び、生活感のない空間を作ることに価値を見出す傾向がある。そしてステータスが易々と変動してはだかの王様になるのは困るので不変の空間を求めがちになる。(リモコンの位置とか?) この価値観の差が男女の喧嘩の原因になるとするなら男性は女性及び他者の自己表現に劣等感を抱いているのではないか。自己表現は明らかに自信や幸福感の源となる活動であるのに男性はそれを抑制してしまうから。ビジネスの会話でもむやみに理性や冷徹さを重要視しているのをよく聞く、だから私は進んでビジネス関係の本を読まないのだが。「それは誰が唱えた理論ですか?」と出典にこだわって相手の話の腰を折るのも誰かの受け売りならば自己表現と評価できないから受け入れやすいとか?そして自己表現を基に議論を展開されると勝ち目が無いから女性差別を始めた?対等意識の高い女性はイケメンに恋をして対等になろうとすることで自分を磨き、明るく、前向きで自信に満ちた性格を手に入れるが、男性は美人を見ても高嶺の花と諦めて声を掛けることすらしないらしい。それで全体的には美人よりも明るい不美人の方がモテる構図になっているらしい。

 そう考えると入社3ヶ月で会社を辞めてしまう新卒者と連休明けに職場に戻るのが憂鬱になる社員がいる会社は職場の空気の作り方を間違えているということになる。さらに夏休み・冬休み明けに学校へ行くのが辛くなる児童が通うクラスも雰囲気作りが下手だとするとそれは国民病とも言うべき日本人の欠点ということになる。飲食店の行列に並ぶのは平気だが祭りや花火大会や初詣の人混みは苦手という人は?最近、熱血漢が煙たがられる風潮が強まっているが、実は彼らはエレベーターの中にいるような圧迫感や窮屈さを和らげてくれる貴重な存在なのではないか。陰気な人、打算的な人が集まる空間は息苦しい、仕事が面白くない以前に空間が面白くない。やらされている感が支配していて発展性がないから面白くない。明日も明後日も変わらないことが予感されるから憂鬱になる。それは最近のバラエティ番組を見ていても思うことだけど。特に客席を見て楽しそうと思うことがない。普通笑顔の人を見ればそれが伝染して楽しい気持ちになるはずなのに。(笑い声を足しているのもその効果を狙ってのことだろうに) 学習塾や自習室に求められる効用もやる気や向上心の伝染とレベルが高い人と勉強することで自分のレベルを一足飛びに高めることだ。スポーツ競技の会場では観客が合唱したり楽器演奏をしたりして一体感を作り上げているので会場の雰囲気が好きでそこに通っているのだろうなというのが伝わる。それを職場やイベント会場や家庭内でなぜ再現できないのかという話。その一つの原因が男性が自己表現を抑制していることであり、近年コンプライアンスが阻害要因として加わった。本当にニーズの無い奴、空気が読めない奴らは余計なことしかしないよね。逆に職場に花を飾ったり、音楽を流したり、アロマを焚いたりして雑談を増やせばいい。どうせ8時間も就業時間があるのだから。スーパーの店員さんたちは程よく雑談をしたり「ありがとうございます」と元気が出る言葉を連呼して店内の空気を濁らせないよう工夫しているよ。いっそ高校野球中継でも流してみればいい。すると必ず一人二人野球に夢中になるお調子者が出てきて上司に叱られるという場面が生まれるがそれでいい。みんなが分かっているシチュエーション(お約束の場面)でそれによって場が和むことまで分かっている。そうやって無駄な緊張を解くことで生きた仕事ができるようになるのではないか。

 先週宣言したのでここから『元No.1外資系コンサルタントが教える逆説の思考』(菅正至、総合法令出版)から学んだことを話していこうと思います。と言っても読み終えてみると経営者の視点や関心事が社内と業界のこと、そして業績を左右する要因としての顧客にしかなく、ビジネスを通して従業員やその家族や消費者の人生や考え方に影響を与えるものとしての心構えや責任や注意点などについて言及されていなかったので残念だった。例えば両親が家庭内で「金、忙しい、速く」を連呼しているような環境で育つ子がたくましい創造力を持った人材に成長するとは思えないので家庭を持つ社員に対して会社ができることはないかとか。家族の一体感を職場で再現するには何が必要かとか。(その一つの解が自己表現) 著者は理念としては頼もしいことを語ってくれてはいるけれど実は中高年の経営者の「気づき」や反省や精神的な成長をあまり期待していないようにも見える。

「マネジメントの本質はいろいろな才能をコラボレーションして全体として成果を上げること。その基本としては個々人の持つ才能への敬意がなければならない。しかし未熟な上司は自分自身という物差ししか持っていないので自分自身の尺度で部下の才能を測ろうとする。(これは採用面接でも同じ、著者は面接官が持っていない資質は見えないと書いている) こうした上司は組織を生かすことはできない。組織を生かせる能力とは自分を超えた存在に対する想像力を駆使し、それを運用する力である」

 読後の感想としてはもう金という概念を扱うのは政府と企業だけにして消費者は政治と商品とサービスの質だけを考えるようにすればいいのではないかと思えてきた。物価がタダなら金銭報酬は要らなくなるのだから純粋に内発的動機と自己満足/道の追求に意識を集中できるではないか。それでも働かない人や破壊行動に走る人々については強制労働させるか切り捨てるかしてニュースの話題を自己表現する人にシフトした方が世の中が明るくなると思う。

 「どんな会社でも優秀な社員の割合は2割しかおらず、ダメ社員も2割発生する。例え資質が高い人ばかり厳選して採用しても5年後にはこの2・6・2の法則に当てはまってしまう。その原因は組織構造にあり、階層構造で人間を統率し、一つの目的を共有すると2割の人が生かされ、2割の人は殺される。それは自然の摂理のようなのである。が、この法則を覆して社員の精鋭化を実現するには組織構造や権限のあり方や集団力学など多くのことを変革しなくてはならない。社員を有能にすることは個々の社員の幸せを作ることである」―――人は自分にできないことを攻撃対象にするので体力、記憶力、判断力の低下した中高年層は生き残るために若者にダメ社員のレッテルを貼らざるを得ない。この戦略のために日本人は儒教的な年功序列制を利用してきた。

「儒教思想は江戸時代において安定した社会構造を構築するのに大きく貢献した。現代の企業社会においても安く使われる若者を納得させるのに使い、判断を伴う仕事をやらせない(自分にしかできない形にして独占している)。若者側も経営に関しては長い年月を必要とする経験に裏付けられた深い判断があるものと信じている。しかし企業において40歳以上にならないとできない判断力などほとんど存在しない。むしろ年齢とともに判断力も低下すると考える方が科学的である」

 「収益が悪化した企業はとかく管理強化に走りやすい」。ゆえに「社員が本当に危機意識を持った時には次の転職先を探し始める。そしてその目処が立たない人のみ会社にしがみつく方策に知恵を絞る(主に仕事の効率を阻害する方向で)」―――これはスランプに陥ったスポーツ選手や連敗が続いているチームと同じ状態か。更には人生をこじらせている個人。べき論に縛られそのスポーツが楽しい、好きであるという初心を置き去りにしているせいで創造力を喪失して相手のミスや不幸を祈ったりする。極めて男性的な反応。業績が悪化して経営者は危機感を感じているのに社員達は自分たちの生活が変わらない限り危機感を持たず経営者をイラつかせているというのを知って会社でもそうなんだと一瞬思ったけどこの経営者も普段から社員の自己表現を抑制しているから欲しい時にアイデアとか危機感の共有を得られないのだから自業自得だよね。「組織には慣性の力が働いているので急激な変化には対応できない」というけどこれは普段運動をしていない父兄が子どもの運動会で転ぶようなもので頭ではいつでも走れると思っていてもやらない事は何でも衰えていくのが人間の生態であるのだから欲しい時に欲しいものを引き出したければ普段からそれを機能させておくべきなのだ。

 ここに「人脈とは一方的な関係ではなくお互いに何かをしてあげられる関係でなければならない」を挿入しておくと面白いかもしれない。トップダウン式の命令する側とされる側の関係は「人脈」ではない。だからプライドの高い経営陣は平社員に借りを作ろうとは決してしない。その代わりにコンサルタントの人脈を利用して新商品の売り込みや経営の立ち直しを図るそうだが、こういう人は人としての基本ができてないと思う。

しかし世の中は彼らが乱発する否定的な行動には賞賛、弁護、報酬を与え、ダメな行動や反社会的な行動、非人道的な行動に対する否定的な言葉には制裁を課す。この著者も「現実に能力があるのに成功していない人を見るとネガティブな発言が多いと気づく」「能力があっても否定的な言葉を発するクセのある人は人生に報われていないことが多い」「報われない人は流れに乗れていない、あるいは逆らっている」と疑いもなく書いているが、報いる報いないを決めているのは多数派の感情であってこれに支配された成功は単に彼らの願望の具現化に過ぎない。では6割の可もなく不可もない社員に創造力や変革を起こす能力はあるか?ある日突然凶悪事件を起こす「大人しくて真面目な子」でしかないのでは?否定的な行動は破壊につながり、否定的な言葉は改良や創造につながっているとすれば後者に報いるのが自然であるのに大衆は否定的な行動に報いる、この反応はおかしいとそろそろ気づくべきではないか。「人間は衣食住の生理的要求を叶えるだけでなく価値観を購入している。希少であることに価値観を持てばレアなものが欲しくなり、特定の生活シーン(メルヘン、ゴージャス、ミニマム、シンプル)に価値観を置けばそのシーンを実現する道具が欲しくなる」というが大衆は人間も基本的に暴力でしか他者に影響をもたらせないと考えるゆえに否定的な行動を許すのだろうか。しかしそれでは大衆や政治家がコントロールできない大きな変化に対していつまでも無力なままである。ユダヤの法則と呼ばれるものに「七十八点の法則」または「七十八対二十二の定理」というのがあって人間は最高に上手くできたと思っても78%までしか達成できないという法則がある。残りの22%は発展や改善の余地であるが、未来と他者の領域と考えるなら自ずと当人がこれまでに気づかなかったこと、見えていなかったこと、やらなかったこと、知らず、考えなかったことということになる。つまり私たちは社会や個人の人生を一変させることを知らないまま完璧を目指し、自分は正しいと思い込んで反対者と対立しているのである。実際、内容はいい加減なのに形式だけ律儀に守って真面目ぶっている人は多い。こういう人は他者にいい加減なことをやれと押し付けているので厄介なのだが、彼に対して「内容にもっと真摯に向き合ってはどうですか」と非難することは許されないことだろうか?生き残りに必死になった人や組織は人間性を抑制してサインの強化に躍起になる。このような泥船に全員で乗るわけにはいかないではないか。たった78点の事業を失って傷つく安い尊厳なんて捨てて下さいよ。迷惑です。

 YouTubeに自己表現を仕事にしたい若者や爪弾きにされた優秀な人たちが集まるのはそこにしか表現の場が無いから。全ての職業で管理職や定説を超えることが許される開かれた職場を作ることができればあなただけが地位を脅かされるわけではないのでもはや下克上を恐れることに正当性はなくなるはず。自己顕示したければ表現方法を磨いてください。ただでさえ技術に遅れを取りがちな人間の精神の進歩を止めてはいけません。遅れたら男性も中高年も対等意識を高めてなにか自己表現になる活動に打ち込んでください。対抗意識をもって他者の足を引っ張っても遅れは無かったことにはならないのですから不毛でいたずらに魂を汚す行為はやめましょう。そんなことはもう時代遅れにしてしまいましょう。みんなが対等に発展して笑顔で無理なく暮らせたらそれでいいじゃないですか。

 ちなみに若者が一日の食事を小分けにして食べる習慣は自信の喪失や花粉症と因果関係があることが分かった。蓮村誠さんの『毒を出す食ためる食 実践編』(PHP文庫)で解説されているアーユルヴェーダの教えによれば消化力が落ちてアーマ(未消化物)が溜まりカパのエネルギーが増えるとたとえ素晴らしい能力があっても周囲から高く評価されていても自信が持てなくなるという。さらにこの状態が悪化すると閉所恐怖、広場恐怖、対人恐怖などの恐怖症やパニック障害を引き起こすリスクが高まる。カパとは人体に流れる三種の生体エネルギーの一つで水の性質を持ち、人への作用としては心の落ち着き、愛情深さ、気分や思考の安定、遅く深い理解力、知識や体験を深く求める傾向、所有欲、収集癖、からだの重さ、潤い、冷えやすさ、強い体力、持久力、全身の臓器や器官の構造などを生み出す。ただしカパのエネルギーが強くなりすぎても弱くなってもこれらに関連した悪影響が出る。

 アトピー性皮膚炎や花粉症、慢性副鼻腔炎、気管支喘息もカパの増加が原因。本来子どもに多く見られるのはゼロ歳から二十五歳まではカパのエネルギーが優位になる時期だからです。プラス甘いお菓子もカパを増やす。さらに日本食もカパを多く含む食品が多いそうですがこれを挙げると一日の食事の組み立てが無理になるのでここでは伏せて治療法としてアーマを消化するためにしょうがと白湯を毎食時に摂ることと甘いものと炭水化物の摂取を減らすこと、それから食べ物の消化には3時間かかるそうでその途中に何かを食べても消化の作業が終了してしまい、それで未消化物が体に溜まってしまうそうなので何かものを食べたら必ず3時間は何も食べない時間を作ること、それから心と体の重さになる環境のカパを減らすために掃除をして不用品を捨てることを勧めるに留めておきます。あとは若者には抵抗があると思いますがオリーブオイルで頭や体をマッサージするのもアーマをデトックスする効果と滋養と活力を回復するのに役立つそうです。さらにこれらにより冷え性や朝の目覚めの悪さ、低下したストレス耐久や思考や行動の鈍さなどが解消できます。元気を取り戻して運気を高めましょう。

・・・余談ですがこれに関連して賞賛も非難も暴力と仮定してみるとアイドルのファンは本当は好きではないが、それが日本社会における成功法だから仕方なく彼らの立ち居振る舞いや言動に注目して成功の鍵となる要素を見極めようとしているのかも知れない。非難は「それなら俺にもできるよ」という不満の表れである。(ここにそればっかりでは成功しないよという教えを付けるなら理解できる) 人々はファンという団体に属し、アイドルと一緒に歌ったり踊ったり一斉に声援を送ったり、手作りのうちわを振ったり、ペンライトを振ったりすることで自己表現をしながら仲間意識を高めて居場所と存在を確立する。(これが暴力に分類される活動なのか?) その一方でアイドルに殺人的なスケジュールを組んで苦しめる。(個人でもサイン50枚を依頼したりする) 愚痴や弱音を吐くことを許さない空気も作り上げるし、アンチによるタレントいじめにも立ち向かわない。(それもアンチにとっての自己表現だから?) 同様にステータスの高い男性と結婚したがる女性も夫の苦しみには無関心で冷え切った家庭を作りやすい。そしてこれに離婚率の増加を合わせると社会的地位と人間性の乖離が激しいということ、ひいては成功者を承認する基準/価値観が間違っているということ。(科学技術と精神レベルの乖離に同じ) それはサインの強化と生活感のない部屋を好む男性の幸福観が生産性に上限をもたらすことによって資本主義を滅ぼすという事実からも明らかで、彼らはそれを経済政策や主義の変更によって敵や脱落者を作り出すことでニーズを偽造しているのであるが、暴力的手段であるから世間は許している。・・・逆説的に言えば暴力や戦争を非難する人やいじめや性被害に遭っている人、不遇の人、ホームレスなどの惨めな人たちが孤立するのはそれ以上の暴力を加えることが人道的にはばかられるからではないか。身体障害者に近づかないのも同じ心理。

まとめると私たちは成功を求めれば不特定多数を傷つけることと彼らに傷つけられることを覚悟しなくてはならず、恋愛をしようと思えば好きな人を傷つけ、また好きな人に傷つけられることを覚悟しなくてはならない、そして子どもを産めば我が子を傷つけ、また子どもに傷つけられることを覚悟しなくてはならない。それは幸運もまた誰かの損失で成り立っているからである。したがってその際に相手が可哀想だとか、自分にはそこまでして幸せになる資格がないとか悪いことをしたとか考えてしまう人は幸運を回してもらうことが出来ないし、恋愛もできない。(批判もこのように解釈されているのかも) 私たちは身に起こった幸運を有難く受け取りつつお互い様の精神をもって自分も損だと思うことや面倒なことを引き受けなければならない、すなわちホスピタリティーの精神を養わなければならないのである。それが社会人の心得で誰も傷つけたくないと思うことも自分だけが一方的に傷つけたい(利益を独占したい)と願うことも双方子供の考えで間違っている。誰かを傷つけなければ生きられないからこそ私達は償いをするんです。だから罪を償いたくないという考えは許されないのだ。

ちなみにZARDの曲を聴いていると恋愛において女性もまた男性に変わらないことを求めるようだが、男女の関係において男性の態度が変わるのは女性の自己表現に触れて劣等感を抱くからだと思う。それでステータス/サインの強化を図るか、敵前逃亡して浮気に走る。それで女性は自信を喪失した男性に愛想をつかして別れを決断する。

同じ文脈で介護もどこまで許容するかを議論しなくてはならないだろう。介護は一方的に傷つけられる関係を基本としているので健全な人間関係ではなく、介護者が人から避けられる条件を満たしているからである。互恵関係を徹底するなら特に若者に介護などやらせるべきではない。社会は人々の暴力志向を上手く利用しつつ、ホスピタリティー能力を涵養(かんよう)するために知恵を絞らなくてはならない。「道を極める」という崇高な動機と改良の連続に人々を導くことは一つの方策ではないかと思う。二度言いますが人々の精神の進歩を妨げてはいけない。そして年功序列制や国会議員等の不逮捕特権を始めとする間違った習慣を早急に廃止するべきである。

 最後まで読んで下さってありがとうございます。

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