8/27 水曜日
9:16~ レポートの作成を開始。
今週は『喘息&アトピー性皮膚炎の解読から人体の本質を知る2』を作成していますが一巡目の検索500枚では完成しそうにない。誰も疑っていないことの反証をするのだから当然か。世間の学者や評論家たちはオレキシンの働きを別腹を作るホルモンだとはしゃいで私の指摘を受けても修正する様子はない。それどころかポリ公と医師学会のメンツを守るために私の仕事を無視して知恵を盗み、自分たちの手柄にしようとしているらしい。そしてそれを正当化するために「サイバーテロ対策」を叫んでいる。これは水分補給に最適と指名した商品を数か月後にドラッグストアで宣伝していたことからの邪推である。維新政府が牛耳る日本には「ブランドが仕事の価値を決める」というご都合主義の信念があって内容や理念を守るよりも主要団体の存続とメンツを守るべしという異常心理がサラリーマンにまで感染している。移民国家のアメリカにも去勢恐怖に基づくこの差別主義的・選民主義的な考えがあり、ユダヤ思想との接点となっている。
ゆえに庶民は無名・無力の自分の意見なんてどうせ社会および会社で聞き容れられるれるはずがないし、頑張っても無視されるか当然と思われて軽視されるだけなので頑張るだけ無駄、考えるだけ無駄と諦めて例の先月より労働強度を上げないとか、ためになる本を読まない(自分への興味の喪失)とか頑張っている他者に自分を重ねてその苦しみを理解しない傍観者の目を演じることで「評価されないのに頑張っている自分」に復讐するという態度を固めることになる。これはいじめを傍観する特に女子の心理でもある。
その失望自体には同情の余地がある。しかし傍観者になることで自分の被害(妄想)をエスカレートさせることには許容できない。私は明らかに政府・ケーサツ・米軍・朝鮮人とその近隣住民から仕事の妨害や健康や家や家電の破壊、プライバシーの侵害等を受け、それがエスカレートし続けて今週は毎晩熱中症レーザー及び足の筋肉破壊レーザーによる異常な寝汗と腰破壊レーザーによりマットレスに留まっていることができないという被害に悩まされ、偽軍人は外でも建物内でスマホ作業すると気絶攻撃を仕掛けてきたし、SIMカードの破壊も始めたし、清掃員に扮した共産主義者が足の裏へのレーザー攻撃をセットし、また照準の修正のために私の周りをうろついたが世間のサラリーマンやフリーターはそんな妨害を受けながら仕事をしているわけではない。にもかかわらず私が電磁波攻撃をやめさせろといくら声を上げても自分たちの被害の範囲だとの認識を譲らず復讐代行サービスを中止しようとしない。・・・言わせてもらえば日本人の仕事や人生なんて街に出て通行人や商品棚を見れば真剣に生きていないことが明らかで失って何が困ると思ってしまうレベルである。彼らは自分への言い訳で手を抜いているだけだ。多くの人が夕食の献立に困っているのも店か母親のどちらかが手を抜いているからだ。おいしいものに値段は関係ない。むしろ値段や産地で私たちを説得しにかかる商品ほど是も非もないつまらない商品に仕上がっているし、それを手抜きと気づいていない。(ちなみに今回の論文の問題提起の発端に選んだ病気を調べていくうちに医者がいかに手を抜いてこれに類する病気の診断を下して患者や視聴者を混乱させているかがよく分かった)「自分の身は自分で守れ」というのも建前の捨て台詞で、彼らこそ「意地やメンツがあるなら自力で克服しろ、虫けらみたいに抗体をもらおうとたかるな。そして死セリ機で克服した人を素直に認めろ」と言われるべきなのだ。現状完全に俺の一人勝ちだろ、金メダルだろ。
そもそも日本人がいつまでも維新政府を信じていることが間違いの現況なのだ。彼らはクーデター以来一度も市民に利益を与えたことがないというのに。いま私を迫害しているのも市民利益を与えるなという方針から始まり、抵抗の強さに対応できなくなって「市民に知恵を与えるな」を追加しているだけなんだ。そして彼らの駒の武装集団も金をやるから市民の利益になることをするな、させるなと言って雇われているのだ。防犯なんて言葉は妄想である。イスラム原理主義者が女性に教育を与えるなと主張し、大宗教が豚肉を食うなと命令するのと同じこと。重要なのはそれによる国民の精神状態や健康状態への影響なのにそれを無視して団体のメンツやコントロール感を第一義として本来無関係な第三者の思想・価値観を狂わせる。これを洗脳というのではないのか。彼らの存続を許しているのは「要らない」「無駄」という感じ方を封じ込める先進国の社会通念であろう。その通念はどこからきているかと言えば自分への無関心、自己疎外である。人間にはそもそもどうでもいいことを楽しいと感じる心理があるらしいが、一方で社会や依存する他者やテクノロジーや医療に機能の充実を求め続けるならばその快楽は欺瞞である。食の快楽に例えるなら消化も栄養も味も考えずに視界に入った食べ物をとにかく胃に詰め込んでいるようなもの、それは食事ではない。むさぼりである。知能が退化しているとしか思えない。これも自分への無関心の結果なのである。それで耳障りの良い言葉しか耳に入らなくなる。ミニ四駆のようにコーナーでも構わず同じ速度で走り続けたいと願い、コースアウトを機能や性能のせいにしてベアリングを交換しても課題を克服できないと癇癪を起こして走るのをやめてしまう。あるいは新しいマシンやパーツを求め、あるいは代行サービスに任せてしまう。そうして自分のことも課題も軽視してしまうから他人や社会のこともなめてかかるようになる。それで生きていると言えるのか?要らないと言われて当然ではないのか。
しかし「要らない」や「無駄」には複数の防衛ネットがあり、一つは差別という暴言によるカウンター訴訟、もう一つは「ただ働かせ」に市民権があること、すなわちケチが幅を利かせている社会体制である。文化人類学では人類が戦争を始めたのは分配の拒否が始まったからだといわれているが、他者に投資以上のリターンを求めながら自分は報酬の高い仕事(前払い)がしたいと考える人は自分の仕事は人助けにならなくてよいと考えている人である。したがって彼らは常に反対者に助けられながら生きている。しかしその助けが自身の投資や幸福や財産の分配に比して小さいと感じると損をしているという気持ちが強くなって不満を募らせ、家族や恋人にさえ別れを告げてしまう。女性の場合は支援の方が大きくなるとさっさと見切りをつけて別れる。とにかく人々は分配に対して強い拒否感を持っている。だからこれを物価上昇などの形で公然と表現しても理解を得られやすいのだ。そしてその代償として彼らは神仏や株や宝くじやギャンブルや詐欺師、ホスト、ホステスあるいは慈善事業につぎ込む。そこには自分への大きな見返りを期待しているからで喜捨ではない。したがってこの中に反社会的勢力の飼育が含まれる。これが「要らない」や「無駄」の議論を圧殺する。
テレビで放送された雑学をメモした中にここまでの流れを書き表している情報がある。「オーガニックや手作りのお菓子しか与えられない家庭の子はいじめられやすい。(全体の40%) そこでその子は一人暮らしを始めるとジャンクフードに依存しやすくなる」。これは腸内環境がきれいで落ち着いている子はジャンクフードや冷凍食品(加工食品)ばかり食べている落ち着きのない現代人にとって脅威であり羨望の的であるということを表し、しかし彼らの仲間に入れてもらうためにその子はジャンクフードを食べたり悪習に染まるなどして必死に自分を汚す。後者には自己への関心があり、自分はなぜ排斥されるのか、どうすれば仲間に入れてもらえるかという考察を経て彼らと同じ行動をとることを選択した。自己への関心とは現在の状況や自分の性格、ストレスや嫌なことや対人関係における反応その他についてなぜ自分はそのように振る舞ってしまうのかを省みてその答えを求めることである。本を読めというのはそのことについて先に考えて一つの解答例を示してくれている人がいるからそれを参考にしてアウフヘーベンを起こすなどして自分の答えを出す手がかりとせよとの勧めであり、人生の基本である。そして自分の行動の結果に興味がない人は脳が壊れているのである。
ではいじめグループとその傍観者たちの態度はどうか。彼らは自己管理の放棄が社会活動の放棄にまで悪化しており、満腹ホルモンの制止を振り切って食べ続けるひき逃げ犯のような生き方を対人関係においても実行してしまっている。根底であらゆる価値判断の狂いを露呈し始めていると言っても過言はないだろう。これを矯正するのが教育であるとすれば大人たちは彼らにジャンクフードを与え、人殺しゲームに興じさせてラリっているのを放任している場合ではないのだ。ーーーしかし数の論理はこれを拒否する。
行動の矛盾はゲーム中毒による眼精疲労その他の健康被害にも表れている。ネット検索によれば私たちの目は遠くを見るとき交感神経が優位になって獲物を探すのに適した視力を発揮し、近くを見るときには副交感神経が優位になるとされているが、ゲームは近くの画面を見ながら狩りや格闘をして交感神経を優位にするので脳に混乱が生じて脳疲労による悪影響が現れるのだ。したがって登山や旅行などで遠くの山を見るとリラックスできるとか視力回復に良いというのはうそだと思う。それで私は近視の改善には遠くの画面でゲームをすることで交感神経を刺激する治療法を思いつき、実践している。私の生活は交感神経を使わな過ぎているように思うので。
それからもう一つ時事問題から矛盾を指摘しておこう。テレビで再び高齢者の免許を剝奪せよという議案が持ち上がっているが、反対者の意見を田舎の老人に限定しているところに彼らの欺瞞がある。大きな事故は都市部で起こっているのになぜ都市部の老人に聞かない?おそらく都市部の老人から「車に乗って外にいた方が体が楽なんです」という言葉が出るのを放送に乗せたくないからだろう。これは私の体験からの推測でもあるが電磁波攻撃の実行犯はターゲットを24時間電磁波に被爆させ続けることにこだわっており、私が部屋を移動することにすらストレスを感じ、数分のフリー時間も我慢できずにバタバタ玄関のドアを開け閉めして、あるいは上空を旋回し、あるいは用もないのに車を出して照準の修正を行う。私の足腰を潰したいのも外出、特に遠出させたくないからである。さらに言えば特定の車(トヨタ車やクズ屋のトラック)は私に近づくと米軍機が照準を合わせたレーザーを自動で照射する装置を取りつけており私の後頭部(気絶に使う部位、骨が鳴る)やテレビ(背面の板が鳴る)を撃っていくが、この装置(連続使用、1人でやらないところに彼らの狡猾さがある)で任意のドライバーを気絶させることができるとすれば高齢者による自動車事故は彼らの仕業である可能性があるし、それは電気自動車の普及に応じて増加する可能性が高い。その頃には年齢による事故率なんて関係なくなっているだろう。そしてマスコミはこれを含めて無くすと経済(自分たちの利益団体の利益)を維持できないと主張しているのである。――悪いのは彼らの攻撃を回避するターゲット化、それとも四六時中人の家を覗いて逆恨みを募らせている彼らか。私は高齢者の免許を剥奪するよりも免許の更新に際して精神疾患の有無を検査して剥奪の条件にすることを提案する。それで危険運転も同時に予防できるはずであるし、暴走を続けるポリ公からも剥奪できるし、ハイエースやBMW、ヤマトトラックなどのスパイ車両も排除できるだろう。市民の平和にとって大きな利益になる。コンプライアンス作戦もテレビで噓を流す奴らを対象にする方が成果は大きい。市民が彼らの「無駄」を許容するのをやめれば彼らの自滅による利益を受け取れるのに。彼らの悪意に気が付かないのはアプローチ法を間違えているからです。貯めにいつまでも新しい間違いを指摘され、人を恐れ続けなければならない。悪いのは自分でしょ。いつまできれいに生きている人を憎み続けるのか?
私は決して自分の仕事に手を抜かない。大好きな土井善晴さんもおっしゃっている、手を抜かずに作れば自然においしいものができる、体が喜ぶものができると。一人一人がこれを実践することがそんなに難しいことですか?それを妨害してるのは誰ですか?

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