まとめてつぶやき1100 発展は地続きではない

 私たちは複雑な問題を子どもでも分かるシンプルな答えに変換して具現化することで進化をもたらすことができる。その種はほとんど常に組織のしがらみに煩わされていない個人から生じる。そして集団は成長の妨げでしかないことに気づく。これを『一流の人に学ぶ自分の磨き方』(スティーブ・シーボルト、弓場隆訳、かんき出版)の一流の人と二流の人という分類でまとめると進化の種を持つ人は社会集団の5%しかおらず、95%は旧体制の考え方やイメージや固定観念を死守するために神経をすり減らし、扁桃体ハイジャックに縛られている二流の人々であり、その筆頭は政府、警察、経済団体、学会などの支配者層である。ただし支配者層と被支配者層のイメージには乖離があって多くの場合形骸化しており、実際には支配者層の利害の追求や罪および罪悪感や現在の地位を失う恐怖に下位の者が忖度、同情し、毒素が食物連鎖によって濃縮されていくように漠然としていながら強い脅迫的な恐怖とバイアスに感染しているのである。

 イメージを守るという使命感にはおそらくバソプレシンが働いており、したがって付き合いたてのカップルのように排他的な世界観を形成しやすく、問題が生じても外部からの助言や忠告やサポートを受け付けようとしないため成長が止まる。成長が止まるとそのイメージについて考え直すこともなくなるから成員の間でも齟齬や乖離が生じるようになり、分裂が生じなければお互いに自分たちの信条や活動理念について話すことを避けるようになり、相手の行動を監視したい気持ち(恐怖)に駆られることになる。そして内部分裂や抗争を避けるために外部に敵を作り出す。持て余した時間をすべて恐怖の表現に費やして暴力団化する。これは共産主義的な集団の典型的な崩壊プロセスである。――イメージの維持と時間つぶしの手段は常に矛盾している――

 ただでさえイメージを守るだけの生活は充実感がなく退屈で時間が余るので不安や焦りや罪悪感を生じやすく、一人の時間を持つと「自分はこんなことをしていてもいいのだろうか?」という疑念や葛藤にさいなまれてしまうので手っ取り早く金儲けや自警活動に盲進することになる。現在の日本社会も成長しない出涸らし(でがらし)が同じ商品やサービスしか提供できないくせに毎年収益が上がらないとモチベーションを維持できないからと戦争や災害を起こしたり、第一次産品国のように国民の需要分まで輸入に回して物価を無理やり引き上げたり、善良な市民や一流の人間を容疑者や重病人に仕立て上げてサイコパスの金づるや欲求不満のはけ口に供している。そうして少しでも国民の罪悪感の同調性を高めようとしている。そんな中で子どもたちがスマホに依存するのも芸能人がエゴサーチをやめられないのも同じく閉鎖的な組織のルールに縛られている政府・警察が市民を監視したくなる理由と同じである。今週オーストラリアで小中学生のSNSの使用を規制する法律が成立したことが話題となっているが、子どもたちの探索行動を規制したところでそれで政府や年長者の恐怖に同情的な優等生になるわけではないし、彼らは子どもレベルの問題行動に無力さや無意味さを感じているわけでもない。政府や教育者がするべきことはネットに潜伏する、あるいは闊歩している悪の誘惑者、社会を憎悪する者たちを取り締まることであり、教師はむしろ教科書よりも優れた勉強法や知識を持つ人を授業で紹介して子どもたちの世界は学校と家庭で完結していないことを教えると共に情報リテラシーを高めるための検索とはこういうものだというのを示してやるべきである。

 馬鹿や反社会的な人物を生み出す集団やその首脳陣を否定しないから馬鹿や犯罪者を生み出す道具も否定できないし、それを作ることを規制することもできない。一流の人間は人間社会から恐怖を失くすために社会をよくしようとしているのに二流の人々はこれを妨害して恐怖を生きる原動力としている。そもそも二流が権力を持つ社会構造に無理があるのであり、ために常に5%の一流人を恐れなくてはならず、覚醒者の数を集団に影響を与えられる30%に増やそうとする当たり前の活動に気が狂わんばかりに抵抗しなくてはならないのだ。

 二流の人々はイメージを具現化することを目指さないし、可能でもない。仕事を選ぶ時も漠然とした社会のイメージや民族性を意識してこれに対立しない選択(突出せず、失敗もしない)を心がけているために肝心の自己イメージが固まらず、自分の仕事に出会えない。それでとにかく金を稼いで生活の安定や存在意義の確保に走り、大金をつかめば支配する側に回れるのではないかと夢見て報酬の高い仕事を選び、結局イメージの奴隷となる。トレンドや固定観念、スポンサー感情を敏感に察知してこれに合わせた商品やサービスを提供することが大金を稼ぐセオリーだからである。自分がトレンドや大人物になって金を出させるという選択には時間とリスクがかかるので夢を持つ人を馬鹿にし、自己表現を仕事にする人々をヤジることで自己存在を高めようとする。それによって自分のイメージで彼らを支配していると感じられるからである。彼らの思考法には好奇心がなく、常に計算尽くであるから二流から抜け出せない。

 クリエイティヴな仕事に就くと自分らしさを取り戻すことができる。創造は偶然の産物であり、発展は地続きではない。活動を続けることで網様体賦活系の働きで方向性は決まるが、ある程度進むと分野の異なる情報がもたらされることがあり、疑わずに突き詰めると成長につながっていることと基本理念や持論に矛盾しないことに気づく。だから私はこれまで壁にぶつかったことがない。二流の人々は前提として人生がぶつ切りの出来事で起こると信じており、チャンスや環境が訪れれば別のフロアに移動できると考えている。一方で自分が取り組んでいることは一つの分野の中に完結する答えがあると信じて壁にぶつかる。陸上選手がコンマ一秒の記録更新を目指している時と同じ心情である。格上の人が答えを持っているからそれを真似すればいいと思い、同じようにできなくて悩んでいる、自分には才能がないと悲観する、あきらめる。しかし仕事や人間関係や学問、真理・真実の追求はそれでは答えが出ないし、進むべき道を見つけられない。単純に男女関係を見てもイメージを持つ人が二人いるわけでイメージのすり合わせをしなければ理想や計画を実現することはできない。お互いがそれぞれのイメージで相手を縛り付けても関係は悪くなるだけだ。二流の人々はそれに気づかずに同じ失敗を繰り返している。一人の人生と二人の人生は地続きではないのだ。二流の体制が進歩によって解体されなくてはならない理由もそこにある。彼らはクリエイティヴに生きていないのでそれを理解できずに同じ過ちを繰り返し、過ちの繰り返しの中で安心する。そんな連中に報酬を出して弱者救済したつもりになっている。そんなことを95%の国民が壁の前でやっていてどうして社会が安定するのか?恐怖イメージの大元の利益追求のための破壊活動が目立つばかりである。そして自分が壁にぶつかって進めないからと「まだ」を連呼して他人の進行を妨害する。(あなたは道を譲るだけだ) もう本当にこのような潰し合いを終わりにしなくてはならない。

 敵か味方かではなく要るか要らないかを判断基準にしましょう! 所属集団に要らないものが増えれば身動きが取れなくなるし、敵対勢力に必要なものが増えればこちらは譲歩しなくてはならない。これが現実に基づく状況判断である。数が多いから生き残るべきと生産者に圧力をかけて消費活動に専念するのは害虫の考え方なのでやめるべき。それでは誰も幸せになれない。95%が変化を恐れるグズなら報われることを求めて努力する戦略も捨てて自分が目標に向かって進んでいるかを確認することで幸運度を決めるべきだろう。一流の人が1%でも増えますように。

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