若者の不安は自分が置かれた場所(家庭、職場、友人グループその他)で達者に振る舞えないこと、集団の成員と対等に話せないことにあると思います。例えるなら水族館に恋人や子どもと一緒に行ったときに魚の知識があってスラスラ話せれば堂々としていられるが何も知らないで行くと「質問されたらどうしよう」とか「共感を求められたとき対応できるだろうか」とか「かわいいやキレイだけで通用するだろうか」と考えると不安になる。
その対策の一つは当然魚について勉強することだが、世の中には語り手タイプと聞き手タイプがいて、後者は学問的なことを語ることが好きじゃないとか自分には似合わないと思っているのでその選択肢がない。したがって聞き手の哲学を主張しなくてはならないわけで「話し合いは大切だけど全てを言葉で表現できるわけではないから語るよりも共感の方が大事、つまり伝えようとするし努力と理解し、受け入れようとする努力のどちらも必要だ」というスタンスで知識を深めていくことになります。
すると語り手は相手がただ自分の言うことを聞いて従順に従ってくれさえすれば誰でもよいが、聞き手は相手の要求を受け入れ続けてはいけない人を選別して上手に離れる技術を身に付けなければならないことを知るでしょう。(語り手はそれを許さないし、想定していない)とげが多い人や要求が多い人(被害者意識が強く依存的な人)、チャクラが汚れている人などは味方の自由を奪い、ともすればその心や健康を傷付けることに安心や優越感を覚えているからね。優しい人はそういう人こそ救わなくてはならないと思うかもしれないけど自己犠牲は哲学じゃない。好きな人の笑顔を守るには束縛や独占を慎まなくてはならないが自己犠牲も断らなくてはいけません。「あなたの笑顔が好きだ」と言われたらそれを守ることに特化した振る舞いをし、権利を要求するべきです。「君はいいね、笑っているだけでよくて」と嫌味を言われても「それが私の役割ですから」と笑顔で返せばいい。実際集団には人と人をつなぐ存在が必要なのだから。それはあなたの才能だ。専業主婦も同じ。チャクラの話をすれば聞き手タイプの人生のテーマは愛を表現すること。彼らが自分の居場所に不安を覚えるのは愛情を表現する方法が乏しいため。若者が介護職に流れてしまうのも社会に愛情を表現できる会社や応援したい語り手がいる会社が少ないからです。彼らにとって愛を表現することが創造力の発揮であって同時に応援したい語り手を見続けることで彼ら自身がしたいことがリアルタイムで構築されていく。そうして社会に新しい愛情表現が生まれ、増えていくというのが彼らの社会奉仕の様式なのです。だから彼らは思うままに愛を注いで感謝してくれる人や「好きだ」とか「すごいなあ」「かわいい」と言ってもらえる人たちの側や会社で生きるべきで、技術的なものが欲しければ分離したものや無関係なものを「結びつける」ことに特化した能力を養えばいい。そのためには大企業より中小企業の方が適しているでしょう。現在の大企業の一元化の動きは完全に間違っている。そこは語り手が集まるべき場所で聞き手が生きるように作られていないから。金を稼ぐことだけが不安を払拭する唯一の方法とする社会に幸せはない。愛の仲介がなければ高い次元とはつながれないのです。三勢力(第1~3チャクラと第4チャクラと第5~6チャクラ)に分かれた人間社会を今こそ一つに統合するために若者たちは魅力的な語り手を探して「乞食党(共産主義革命)はいらない」と叫ぶべきです。

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