まとめてつぶやき131 マザーコンプレックス

悟りをもってしても駄目か。まあ、僕が二三言ったぐらいで改心できるな
ら坊さんは要らんわな。

 

2014/12/938(2017/06/28 水曜日) 人間は二度生まれる。一度目は受精によ
る発生。この時人は母胎の中で無形の存在として母親と感覚や記憶を共有し
ながら身体を発達させていく。そうして十月十日過ごした後、胎外へ出て来
る。これが第二の誕生。無形から有形の存在になる。それから人は母体内で
の記憶に基づいて五感を開発していくが、物心がつく頃になると失ったもの
を補完しようと試みるようになる。何を欠いていると感じるかには個人差が
あって十分な栄養を思い出す人は食べ物への執着や食うに困らない生活を求
めるだろうし、全能感を思い出す人は富や支配力を求めるだろう。母胎とい
う快適空間そのものを思い出す人は生活空間に対する強いこだわりを持つか
もしれない。しかもそれは記憶から作られた理想であるから無尽蔵に膨らん
で際限がない。これをマザーコンプレックスという。コンプレックスである
から当然求めている物が間違っているから満足できないのではという理屈は
通じない。だからたとえ金の御殿を建てようと何万もの部下を従えようとも
彼は母胎を再現することは叶わない。母胎は智恵でできているので物質的な
物で埋め合わせる事は不可能であるし、彼に課せられた義務が否応なく現実
を突き付けるからである。そしてそこにこそ仏教で言う所の「空」の思想が
ある。

 

2014/12/938 このマザーコンプレックスはこじらせると母親一人に人間の務
めを背負わせようとする悪い知恵となる。「自分はお母さんのおなかの中で一
生一つでありたかったのにお母さんが苦しい苦しいと言ってボクを外へ放り出
したせいでボクも苦しみを味わわなくてはいけなくなった。責任を持ってボク
の苦しみを取り除いてくれ」とこのように考えるからである。更にこれが高じ
て他人に欠けたものの埋め合わせをさせようとする癖が付くと貧乏が悪い、友
達が悪い、学校が悪い、社会が悪い、差別が悪い、日本人が悪いという風によ
り多くの賠償を搾り取れる所へどんどん責任を転嫁するようになる。ただしそ
の本質は何かといえば人間の務めや苦しみから免れたいという弱さであり怠け
心である。生まれなければよかったなどと言って母親がどれだけ傷ついている
かという事を全く想像せず、ただ自分かわいさに被害者意識の虜になっている。
それで人生の達観者にそんなに嫌なら止めてしまえと言われるとますます泣き
すがり、子供みたいに拳を振り回す。ただでさえ普通の人より高くついて社会
全体が損害を受けているのにその上強制労働をさせているみたいに言われたら
堪ったものではない。諦めて自立してくれ。生まれた事くらいいい加減受け入
れろ。面倒臭え。

 

2014/12/939 8:50 またクズ屋が人の家の前で騒音を垂れ流しながらだらだ
ら作業をして人の神経を逆なでている。労働に喜びを見出せていないからこ
うして自分の仕事を不愉快なものと貶めるんだね。感謝の気持ちや人の役に
立ちたいという気持ちが無いからそんな仕事しかもらえない。旅にでも出た
らいい。言葉も通じない異国の地でなぜ人がお前を助けてくれるかと言った
ら嫌々生きている奴の顔なんて見たくないからだ、縁起が悪い。自分の町に
誇りがあるからと言ってもいい。海外の人は自分たちで自治権や自由を手に
入れてきた歴史があるからそういう誇りを持っている。日本はいつでも権力
者や革命家のなすがままされるがままに翻弄されてきたからそういう誇りが
無い。自分たちで町を作っているという意識が無い。海外の福祉と日本の福
祉とでは根本的に性質が違うのだ。だから社会福祉を受けている奴は一様に
縁起の悪い顔をしている。スペインでは無職の人が平日の昼間から海で陽気
にはしゃぎ回っているらしいが日本では家へ引きこもってパソコンやスマホ
の画面に釘付けになり、金の勘定ばかりしている。何かが足りないとその事
ばかり考える。ファシスト共も四六時中逃げる事ばかり考え、僕に早よ死ね
早よ死ねと祈っとる。そんな奴は誰も助けたいと思わないからますます孤立
する。陰に籠るしかなくなる。縁起の悪い奴がメジャーになり過ぎているの
だ。まるでカビの生えた万年床。窓を開けて布団を干すしかないだろう。

 

2014/12/939 罪人が刑務所に入るのは有ると思い込んでいた権利が無いと
いう事を受け入れさせるため。出所後の待遇は差別ではなく「空」である。
その意味で罪人は元の生活を取り戻している。しかしそれでは得心がいかん
というので再び世の中をひねた目で見る。みんなが不満や不安をごまかすた
めに何かしらの罪を犯しながらうまい事やっているのになぜ自分だけ刑務所
送りにならなければならなかったのか。不公平だ、あいつはこんな悪いこと
をしている、こいつは陰でこんな事をしているのに捕まらないのはずるい。
――運が悪かった? それならバレなければ何をしてもいいのか。警察を
買収すれば何をしても捕まらないのか。確かに何でもありならいくらでも儲
ける可能性が広がる。儲かれば国が豊かになってみんながハッピーになる。
弱者救済にもなる。悪いのは法律だ。法律が俺を裁くから刑務所送りになっ
た。法律がストーカーの被害者を見殺しにしよる。法律が無ければみんな自
由だ。みんな助かる。みんなが豊かになってみんながハッピーになる。日本
の法律なんて所詮アメリカから押し付けられたものじゃないか。常識なんて
糞食らえ、弱者切り捨てや、暴力や。日本の幸福のためには法律を変えなけ
ればならない。――とこのように考える。完全に妄想に酔いしれている。
社会は彼らにこうした妄想を抱かせないために国民全員に正しい教育を施
さなければならないのである。

 

2014/12/939 どうせやらなければならないなら楽しくやればいいじゃないか。
楽しくやる方法を考えればいいじゃないか。

 

2014/12/940 2:03 また地縛霊どもが丑三つ時にうらめしやうらめしやと
唸っている。僕の悟りの言葉が今さらながら退魔の呪文に聞こえたようだ。
両者の関係は徹頭徹尾変わっていない。決して僕が力を見せたことによって
作り上げられたものではない。もっと言えば僕が幼少の頃からすでにこのス
テータスだった。ただ悪霊どもが僕を侮っていただけのこと。それをパワー
バランスと信じてはいても今や人の寝込みを襲ったり一方的な武力行使をす
るしか方法が無い。除霊は間もなく成就するだろう。

 

2014/12/941 感情は起こった時点で成就しているのだからそれを表に発する
時にはすでに過去のものである。よって事後報告は言葉で言えば事足りる。
それを暴力に変換してあえて現在形で発するのは幼児性の表れに他ならなず、
その根底には有形の苦しみを形あるもので相殺したい思いがあるのである。
例えるならそれは肩こりの原因を考えずに闇雲に叩いたり揉んだり、湿
布薬を貼ったりするようなもので多くの人はそれが元で肩こりを持病にして
しまう。怒りの場合も同じことでそれを暴力で昇華する人はいつまでも怒っ
ている。原因を考えろと言われると「うるさい」といってまた暴力を振るう。
要するにマザコンなんです。苦しみはママが解決してくれるものと信じ込ん
でいてそれを処理する方法を考えない。学ぼうとしない。見方を変えれば感
情は自分の体に対する命令であるが、彼はそれをママへの命令と認識してい
るのかもしれない。感情を電話の着信音や呼び鈴のごとく考えている。だか
らそれを聞いて動くのは自分ではなく他人だと考える。そしてなぜ動かない
といって怒る。その暴力は感情に従っているのではないか、自分でできるじ
ゃないかと言われると顔をまっ赤にして逆上するだろう。
こういう人はまた無形の者として有形の財産を得たいと考えるので陰でこ
そこそやるのを大変好む。インターネットや監視ツールなんてものは彼にと
って理想の環境であろう。しかしだからこそ彼は四六時中不満を抱いている。
――ああ、彼は自分は発生のままでいたいと願いながら感情は誕生させな
ければ気が済まないんだな。そこから自分の存在について考えさせる事はで
きないものだろうか。

 

2014/12/941 虫は見えるものしか見えない。それは想像力が欠如している
からである。よって自分の存在にしか関心が無く、自分の何万倍も体の大き
い人間に対して臆することなく近づいたり、這ったり、血を吸ったり、威嚇
したりする事ができるのである。私たちは目の前で突然巨大な手が動いたり
足場が浮き上がったりしたらどんなに恐ろしいだろうと思うが、彼らは触れ
られても指で弾かれても全然平気な顔をしている。それは脳がその程度しか
発達していないからなのだろうが、想像力が欠如している人間というのは脳
のどの部分の発達が未熟なのだろうか。意外と視覚野が未発達なのかもしれ
ない。最近は写真やスロー再生など見る事を補助する物が溢れているからな。

 

2014/12/941 人間の悟りを妨げるものが心にあるとすれば、いわゆる理屈屋
というのは理論や原因を追究する人の事でなく感情的な人の事を指すのでは
ないだろうか。子どもは理屈ばかりだ。あれも嫌これも嫌といって泣けば済
むと思っている。それが知恵を付ける事によってだんだん我慢を覚えて抑え
られてくる。智恵と置き換える事によって理屈を取り除いていくわけだ。
勉強をしない人はいつまでも理屈をこねる。そういう人は酒やたばこで疳の
虫を抑えるがそれは泣いている子の前でレジ袋をシャカシャカやったりドラ
イヤーの音を聴かせるのと同じこと。理屈には理屈をぶつけたら収まりよる。
要するに理由なんてないのだ。母親はよく子どもの声を聴き分けるらしいが
なぜ嫌なのかを突き詰めて考えさせる教育をしておいてもらいたいものだ。

 

2014/12/941 人は自覚した時にだけ年を取る。高齢者が人の依頼を断ったり
言い訳をする時に年の話を持ち出すのは人間の務めを果たせる身体ではなく
なってきていることを言いたいのであり、死の準備として新しいつながりを
絶っていると言える。しかし現代では若い人も年の話ばかりしている。特に
女性は30過ぎたらおばさんだとか高校生から見れば二十歳を過ぎればもうお
ばさんだとかいって早々に死ぬ準備を始めている。これはうつ症状の表れで
あり悪い兆候だ。海外では二十歳でも四十過ぎでもマダムと言ったりするし、
彼女たちが出産後も女であり続ける事は有名な話である。日本も悪しき習慣
を直ちに絶つべきである。――そのためには皆がアスリートや芸能人のよう
に夢中で打ち込めることを見つける必要があるが。

 

2014/12/941 先週の放送で「悟りは一人で開いても駄目」という事を言って
いたが、『心経のこころ』の中では「自分一人の修行は一切人の喜びになる
訳で自分一人が無の状態になったという事で無辺の衆生が助かるのです」
(P.58)、と書いてあり、また「一人の発明が一般人に皆回施される。一人の
悪も一切人に回施される」(P.70)と書いてある。これは僕が唱えているOne
→ All → One の考え方であり、NHKは全体主義にへつらって嘘を教えたと
思われる。こういう事をするから信用されないのだ。

 

2014/12/941 とはいえ智恵が進むとどんなに有難い言葉にも異論が生じる
もので、仏教が説くところの「平等」というものに相容れないものを感じる
ようになった。後でもう一つ別のアプローチで平等を語るつもりだが、とり
あえずここで感じた平等論を述べておきたいと思う。
まずもって人間はそもそも平等である。各々が自分の因縁に基づいて待遇
を受取る限りにおいて。しかし先ほどの罪人の例にみられるように「空」の
状態では気に入らない、不満だという人が人の待遇と比べて平等を疑い、平
等の状態から出立する。そうして決して後ろを振り向かないようにしながら
平等を探し求める時、不平等の世界が生じる。一人の疑いが平等な世界を不
平等な世界に変えてしまう。これは足を怪我したから風呂に入れないとか歯
が痛いから物を食べられないとかテロ事件が起こったから町を監視しなけれ
ばならないとか空港にゲートを設けなければならないという発想と同じで一
人の行いが一蓮托生となって全体に影響を及ぼすのである。だから悪平等と
言ってもいい。それが果たして平等かと考えた時に注目するべきはそれが本
当に全体の苦しみであるか、あるいは全体の疑いであるかという事である。
足が痛ければビニールを巻いて湯がかからないように入ればよいのであり、
歯が痛ければかゆを食べるなりジュースにして飲めばよいのであって必ずし
も風呂を我慢したり断食しなければならない状態ではない。テロの抑止にし
ても危険人物だけをマークすればよいのであって市民を疑心暗鬼に陥らせる
必要は全くない。誰が危険かという事は市民大衆も周知の事であるし、とり
あえずそれを監視してその仕方を世間に知らしめれば事足りるであろう。
北朝鮮に対する制裁を報道するように。少なくとも世間に言えない事をコソコ
ソやっても何の抑止力にもならない。市民の不安を払拭する事が目的とは思わ
れない。無知である事が苦しみや不安を生んでいるのであれば私たちは知らな
ければならないし、勉強しなければならない。私たちは人に勉強を教える事は
できても人の代わりに勉強してやる事はできないのである。したがって共感だ
けの一蓮托生は決して平等ではないし何の意味もない。むしろ何でお前一人の
苦しみの為に皆が我慢せないかんのじゃ、お前が我慢せえ。苦しみの作り方だ
け知っていると豪語するなと非難の声を上げるべきだろう。

 

2014/12/941 禁止というのはそれをしてはいけないという意味に加えてそれ
をする者があってはならないという意味がある。よって禁を犯した者が死ぬこ
とは一つの説教になる。反対に罰の程度が知れていれば人は法を軽んじる。
同じように法を犯しておきながら社会的地位があるというだけで注意や減給で
済むと知ったら人々はどう思う? 公務員は切腹するべきというのはこのため
である。法を扱う者には禁止の意味を人々に教える義務がある。公務員は市民
を殺すために在るのではない、死んで見せるために在るのである。中学生がい
じめを苦に自殺しても社会は何も変わらないが、公務員が不祥事を起こして腹
を切れば人々を教化する事になる。逆にうじうじと生き永らえようとすれば犯
罪教唆になる。それが公務員の苦しみ、公務員の義務なのである。腹を切れな
い奴は公務員を名乗るべきではない。

 

2014/12/942 人の仕事や苦しみを増やす者はそれ自身が災いである。そして
災いの権化たる怪物を退治する事は共同体が苦難を乗り越えるための励みに
なる。化け物に苦しめられていた分は取り除いたから根源的な苦しみは辛抱し
て頑張りましょうと人生に対する覚悟を新たにする事ができるし、これには平
等を視覚化する効果もある。それは陰で化け物のせいにして(諦めて)いるより
精神衛生上にもずっといい。

 

2014/12/942 14歳の棋士にへつらうお子ちゃま日本人。彼の姿を映したパズ
ルが完売、愛用のリュックに問い合わせが殺到、将棋会館横の神社のお守りが
バカ売れ、将棋連盟主催の夏休み合宿に応募が殺到、そして彼が幼稚園で受け
たされる何とかいう教育法に注目――後半は彼と関係ないやん。とりあえず上
向きの人にあやかれれば何でもいいんだ。だから顔や生年月日や出生なんかを
洗いざらいにしよる。しかも結局会社にしか金を落とさない。彼本人あるいは
彼の家族が同じ商売をしていたら天狗になっているとか子どもをダシにして儲
けるのはけしからんなどと言いよる。自分を儲けさせてくれる人が好ましく、
上向きの人と同じご利益をもたらしてくれる物が有難い。自分の事しか考えて
いない。なぜ自分は上向きになれないかについて悩まない。
大西良慶さんも仰っている。「漫才みたいなことを云うのも皆さんに聴いて
もらわないかんからやるのです。――(それでも結局は)漫才の面白いのだけが
残っていてあとは何にも残っていない」(P.100~101)
人々はこの方が清水寺の貫主(神主?)さんだというのでまず食いつき、説法
が面白いというので聞きに行く。けれど結局面白い所しか持ち帰らない。そこ
で話が長いとか足が痺れたという気持ちが勝つと何も持ち帰らない。物の言い
方や肩書や御殿の立派さなんかは所詮撒き餌程度のもので人々は自分がそのく
らいの人間だと思っているから気持ちが動く。ダイエットでもなんで苦しい思
いをしなければならないんだと思う人が楽に痩せるという宣伝に釣られる。
そしてそればっかりになるとやっぱり苦になるというのでやめてしまう。何や
あれ、最悪や。全然効かへんと言い捨てよる。元が逃避なので苦痛が余計に苦
しく感じてしまう。だから相手はへつらうのが当然と思い、自分が強気に出れ
る相手としか関係しない。じいさんばあさんも小学生の子がアイドルをして働
いていても児童労働だとはよう言わん。若者や大人が小賢しい知恵を弄して老
人を敬わないと思っているから従順で礼儀正しい世慣れない子どもがかわいい
と思う。七光りが非正規労働者は責任感が無いといった趣旨の発言をした根底
にもこれがある。(=十分な金をやれば生意気な個人主義者も従順になるはず)
高齢者は特に年がら年中何かしらにあやかっているからね。日本のあやかり文
化を一番利用していると言っていい。義務や責任はすべて子や孫に託して自分
はすっかりお客様気取りだ。だから礼儀の話ばかりしよる。そこにしか強みが
無いから。仕事をする背中で引っ張っていくという事ができないから。
だから同じ高齢者が説教しても聞きよらへん。年下がしたら言わずもがなだ。
こういう恥さらしな乞食根性を何とか叩き直さないといけないと思うよ。

 

2014/12/942 智恵はどうして作られるかと言えば苦しみから作られる。お坊
さんは修行によって智恵を付けられるし、職人は手仕事によって智恵を付ける。
特別勉強することなくスポーツ推薦で進学するような子がきちんとしているの
もトレーニングによって智恵を付けてきたからだし、見るからに頭の悪そうな
ヤンキー娘も結婚して子どもを産めばちゃんとした女性になるのも結婚や出産
で苦労したからである。貧困国や戦場に暮らす人々を見ても十分な教育を受け
ていないとは思えないほどしっかりした受け答えをしていてしばしば驚かされ
る。反対に日々を漫然と暮らしている人たちは何を聞いてもぼやけた事しか言
わないし、無責任な旦那は子供みたいなことばかり言っている。智恵を蓄える
機会を逃すとそうしてはっきりと差が出る。そうなってからうちの嫁は鬼嫁や
とか女のくせにとか虚勢を張っても負け犬の遠吠えに過ぎない。マザコン同士
の会合では通用するかもしれんが自立した大人には通用せん。何がみんな苦労
してるや、何が一生懸命生きているや、本当にそうなら智恵として表れている
はずや。智恵を見せえ。顔つきで語ってみい。

 

2014/12/942 世の中を良くするという事は各々が自分の苦しみと向き合うよ
うにするという事である。円滑な人間関係を築くには輪の中心に行くほど大き
な苦しみを背負わなければならないが、それは指導者がみんなの苦しみを背負
わなければならないという事では決してない。が、人々が苦しみを和らげるた
めに人や物にあやかる習慣を持っているために指導的立場の人の負担が増え、
処理し切れなくなって不正に走るのだ。そしてその歪みが全体に波及して毎日
多くの人が原因不明の苦しみや悩みに直面する事になる。さらにそれがあるか
ら今さら自分の苦しみを突き返されても困るといって世の中を良くする事を拒
絶するのだ。少なからず自分で選んだ苦しみならまだ耐えられると言いたいの
である。出生は選べないからもしもの話ができないが、自分で選べるなら出世
すればあるいは金持ちになれば苦しみを克服する事ができるかもしれないし、
希望があるから耐えられるというのだ。――そこに彼らの誤解がある。
金持ちになる事も出世する事も結局縁の話であるから美男美女に生まれる事
や天才に生まれる事と何ら変わりない。スタバでコーヒーを注文するように何
から何まで自分で決めるという事はできないのだ。不可能な望みは確かに希望
であるが、結局苦しみを克服する事を放棄しているわけだから周りの人にとっ
ては迷惑でしかないという事を知らなければならない。要するにそれは愚痴な
んだ。愚痴ばっかりの社会では誰も助からん。

 

2014/12/942 常識を説く事は平等精神の表れである。そしてそれを拒絶する
人は平等社会を望んでいないという事。現在の日本はどうやら警察でさえ平等
社会を望んでいないらしい。そのくせに差別はいかんと常識人を脅迫しよる。
なんじゃこりゃ。カルトか。

 

2014/12/942 動物にとって暴力は食糧調達の手段であると同時に天敵から身
を守るための自衛手段である。しかし人間の暴力は仕事ではない。人間にとっ
てそれは常に苦境を打破するための第三の解答に過ぎず、義務や責任の放棄の
ために用いられるものである。個人や国家の苦しみ(小事)に煩わされていては
競争で後れを取ってしまう、弱みを見せれば馬鹿にされる、格好悪いというの
がその動機であろうか。しかし一方でアルコール依存症や鬱状態である事は簡
単に告白する。犯罪者でも告発者を威嚇しながら罪の証拠を自ら暴露したりす
る。自己管理ができていない事も出世や競争に障ると思うのだが、その辺りの
整合性にまで頭が回らないらしい。――暴力もあやかり文化の一つに数えられ
ているのかもしれない。そのグレード(破壊力および価格)は豊かさの象徴であ
ると同時に即効性を表す指標として考えられているのかも。長い物に巻かれろ
という考え方もきっとここに根拠を置いているのだろう。そうするとたぶん金
で人を思い通りにする事もへつらいに当たる行為なのだろう。金で人を買った
という事で主人面をしているがそこに効果を期待しているのであればそれは相
手にへつらっている事になる。だから無能な金持ちはしばしば実行にかかる費
用より高い依頼金を支払う。これでなぜ政治に金が掛かるかとの問いにも答え
が出る。それは政治家が自分でできる事が無さすぎるからである。自分でやれ
ば何でも安上がりだ。他人の仕事や能力にあやかるほど高くつく。事業主はそ
の事を棚上げて人件費を切り詰めろとかリストラだなどとほざいている。一番
高くつくお前が辞めろ。

 

2014/12/943 僕は自然の法則や賢者の智恵と照らし合わせる事によって自分
の思想や判断力を評価するが、僧侶はその手柄というか功績をさらに神仏に帰
するらしい。けど自然は適応しかしないのでそれでは発明が生じない。神仏に
帰したものをさらに客観視する事によってひらめきを得、神仏の力をアップグ
レードしなければ世の中が進んでいかないのではないか。

 

2014/12/943 痛みに弱いマザコン気質の人々は頑張っているという評価を労
苦を減じてもらえる条件か何かだと思ってしばしば自らそれをアピールしたり
するが、実際頑張っている人に代わってやろうと声を掛けるのはアメリカ人が
好きな買収屋の手口であり、権利の乗っ取りである。上向きの人がそんな事を
望むはずがないし、誰も人の苦労を買って出たりはしない。彼らは母親や医者
のお世話を当てにし過ぎている。自立心を養うべき。

 

2014/12/943 人生の苦労を厭わない人は全てではないにしても恋愛における
苦しみもいとわない。その逆もまた然りである。現代人に不足しているのは忍
耐力というより苦しみの中から喜びを見いだすストイックさである。一つの事
に夢中になる気持ちが足りないから表面的な行為だけサルみたいにハッスルし
て肝心の内容を深めようとしない。至らないところを見られたくないから一定
以上の仕事を自分に求めないし、求められたくもない。それは資本主義の商業
戦略にはまっているんだ。つまり客としてでなく従業員として仕事を制御して
いる。それはまた客としての品格の表れでもある。自分の人生にクオリティー
を求められないから人の仕事にも本物を要求する事ができない。そうして我慢
するポイントがずれているから忍耐力として機能しないのだ。
無難に生きているのになぜ私は苦しむのかと彼らは問う。それは自分に嘘を
ついているからである。あやかり文化に乗っかるのは今のままの自分では満足
していないからではないのか。スマートな振りをして抑えきれない自我に振り
回されてばかりいるから苦しむ。乗りこなそうとしないから振り回される。マ
ラソンでも人のペースで走れば余計に疲れるものだ。自分の野心やいやらしさ
を認めてここまでやると宣言して取り組めば苦しみの質は変わってくるはずだ。
良い人ぶるのはよしなさい、少なくとも僕にはそう見えてないから。更にやる
と決めたらメリットだけでなくデメリットもちゃんと受け入れること。ごまか
せばまた苦しみを増やす事になる。

 

2014/12/944 東京詐欺選挙の結果が続々と報道されている。昨夜にもちらっ
とテレビで観たのだが、「(首相)辞めろ」のヤジに対して「負けない」と応じ
るのは民主主義的ではないよね。あいつはホントにどうしようもないガキだな。
で、選挙の数か月前までグルだった宗教政党が無傷というのはいいの?
未だ世間の価値観を測りかねている。

 

2014/12/944 無知な者は群れ、悟りを開くと離れていく。なぜ離れるかとい
うと平等世界が破たんしている事を悟るからである。離れる事で新たな知恵
を得て平等な世界の再構築を図るわけだね。試みが成就すれば仏の智恵がアッ
プデートされるし、失敗すれば暗黒時代が続く。その間世界を支配するのが人
智である。人智には必ず成果が伴わなければならないから空白を許さない。仏
の智恵や自然の法則は成果にこだわりが無い、だから歴史はしばしば手順通り
にいかないのだ。人智は手順通りにいかないと気が済まないので間違いであろ
うが無策であろうが突き進む。だから平等な世界には程遠く、賢者は離れてい
く。人智を論破し、仏の智恵を更新するために人間の支配圏から離れていく。
そしてここにOne → All → One の法則が成立する。しかし支配者にはこれが
気に入らない。自分が一番偉く、賢いと思っているから自分が造り上げてきた
ものを全否定される事が許せない。彼は権力や財力を手に入れた事によってマ
ザーコンプレックスを克服したと思い込んでいるので自らこしらえた揺りかご
を破壊される思いがするのだろう。しかしそこは平等の世界ではない。平等の
反対は権力である。権力がはびこる所に平等はない。対して賢者が最善と考え
る世界はどんなものかと言えば発生から誕生の間に見た安全で安らぎに満ちた
母胎である。そこには平等なくして何があるというのか。仏教が言う所の平等
世界においては仏と人間の間にさえ垣根が無い、すなわち自然と人間と仏のす
べてが溶けあって存在している世界。人間が凝りもせず一か所に集まって暮ら
しているのはかつてそんな時代を経験したからこそなのだろう。そこに不具合
を生じた原因は次の例を考えてみれば分かると思う。
例えばバレーボールに要求される事はコート内の六人の選手がボールを落と
さないようにつないで3回以内で相手のコートに返す事である。お互いのチー
ムがこれを実践する事ができれば一応ゲームは成り立つ。――しかしそれだけ
では得点することはできない。ネットの際にはブロッカーが立っていてそれを
妨害するからである。彼らが得点するにはブロッカーとレシーバーの手をすり
抜けて相手のコートにボールを落とさなければならない。それをどうしてする
かと言えばボールを打つリズムやタイミングをいろいろ変える事によって相手
がついて来られないようにする。言い換えれば作用と反作用の働きによって相
殺されていたものを崩す事によって作用の働きを強くする。病原菌より強い薬
を体に入れて殺す事が必要になる。――というと私たちはすぐに力で物事を解
決する事を考えるがそれは間違いだ。確かにバレーボールでは相手のブロック
を吹き飛ばすほど強いスパイクを打てばそれでも得点する事はできる。しかし
それは万能ではない。野球のピッチングで力いっぱい投げてもアウトは取れな
い。肩を壊すだけだ。野球においてはストライクを三つ投げる事が前提となる。
「それでは通用しない」という事で変化を付けたり打たせて取るという事を考
えるのである。先ず常識があってそこに変化を付ける。楽器を演奏する時にも
楽譜通りに演奏する事が前提ではあるがそれでハーモニーが美しく響かないの
で個々の音符にぶれを作る。楽隊の申し合わせによって同じ音でも高めに弾く
(吹く)所もあれば低めに弾く所もあるという風にする。決して楽譜そのものを
いじるわけではない。これが常識を超えるという事である。人間社会が複雑に
なれば通り一遍の正しさでは通用しなくなる、だからうまくいかなくなった時
には常識を超えなければならない。しかし人間は合理的に何でも早く結果を出
そうとするからすぐに力ずくでやろうとする。非常識に逃げて後でつじつまを
合わせればよいと考える。それでは平等な世界から懸け離れてしまうからメン
テナンスとは言わないし、甲斐が無い。だから賢者の智恵が必要なのである。
それを嫉妬するのもお門違い。仏の教えが私たちに平等世界を築く事を指南
しているからにはそれを実現するための全ての智恵は仏の智恵なのである。そ
して仏と人間は平等なのであるから結局あなたの智恵でもあるのだ。つまらな
いこだわりを捨てれば私たちは何でも手に入れる事ができる。あらゆる夢を実
現する事が可能なのである。

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