9:39 9/27 レポート作成と買物に出かける。
10:24~:38~:51 米ニートが脱水攻撃。
11:27 嘘つきポリスが米ニートから位置情報を得て待ち伏せ挑発。屁理屈で犯罪被害者を騙し、コスチュームで市民を欺いて何をのうのうと税金で飯を食っている?権力はお前の社会的地位や生活の拠り所ではない。正義は普遍的なものであり悪は限定的、個人的であればこそ集団を造らなければならない、すなわち可視化しなければならないのだ。
11:54,12:45~:49~:50,13:49~:58~:59~ レポートを書き始めるとヘリが取り付く。何の根拠も反論もなく。
12:11~13:09 戦闘機が取り付く。
15:49~ 今頃草刈りの軽トラがうろつき、近くで作業を始めると左こめかみ撃ちと脱水攻撃と心臓撃ちが始まった。米ニートが罪をなすり付けるのに利用していることは言うまでもない。
9/29 9:23 レポートの加筆開始。
9:12,:19 ポイントに到着するといつもの様に戦闘機と米ニートが取り付く。
米ニート16、戦闘機6
11:25~ ヘリが合流。
13:15~ レポートを書き上げると脱水攻撃。戦闘機が威嚇飛行。読解力がない奴の相手をしても意味が無い。
ケーサツが武装集団を匿って設立以来の体質を露呈した翌週、自縛霊どもに成仏する意思は未だ起こらず、世間もそれに慣れ切った様子を見せた。
9/23
10:12~:32,:35 山科から滋賀へ続く山道に入ると米ニートが戦闘機による尻撃ち攻撃が始まり、出口には二股の道の両方にポリ公が待ち伏せをしていた。
16:41分にも消防車と一緒に待ち伏せしていたがボヤがそのために引き起こされたとしたら相当頭がイカレている。無策、無言での抵抗は暴動の扇動であって破壊活動を取り締まる役職のすることではない。 この日は別に戦闘機5回、ヘリ1回、米ニート1回、ヤマトトラック5回、ハイエース42回が葛藤行動を仕掛けてきた。またウツボが出かけている間に懲りずに人の敷地に侵入して地域新聞を投函した。これだけでもポリ公とグルなのが分かる。
それから米軍はこの日また台風を作り出したらしい。日本列島直撃は避けたようだが。懲らしめられなければ躊躇すらしない。
9/25
この日はロベスピエールに関するツイートが少しだけ注目されたせいか、のび犬が奇行の度合いを強めた。
12:06~:42,:44~:49~13:18,:26~17:39 のび犬が発作的に表のBMWを起動し、レーザーの照準を風呂場にセットすると戻して間髪入れずに軽自動車を起動、冷蔵庫に照準をセットし直して一度戻り、再び嫌いな家から離れて人の部屋を覗きつつ、昼食タイムに入ると戻す。そしてまた間髪入れずにガレージのBMWを起動し風呂に入る時間に合わせてテロ車を戻す。→17:58それから再び表のBMWを起動して電波の届く範囲内に停車し、風呂を覗きながらシャワーによって途切れた帯電を再開する攻撃を仕掛け、リビングに戻るのに合わせて照準を1F北のスマホに戻してテロ車を戻した。(風呂を覗くのに言い訳を欲しがる自閉症ゲイ) ―――こいつの家族を含め近所の連中にはこれが正常な人間の行動に見えるらしい。
体制維持と権力拡大のために右にも左にもなる政府と武装集団を組織し犯罪者を匿って市民に嘘をつくケーサツとまともな人間に見られないよう奇行を繰り返す人喰い原始人たち。こんな空間に国家や秩序などあるはずがなく、彼らと対立することは国家設立の意志に他ならない。そして彼らの活動が社会運動でないからこそ俺しか目の敵にする対象がないのだ。問題はなぜそれで公的権力や公金を動かせるのかということ。横領、地上げの斡旋、破防法違反、外患罪―――彼らの存在こそが社会問題ひいては国際問題なのだ。→14:20 この指摘にあさひ生協が葛藤行動を見せる。こいつも毎日一歩も外に出ないで人の家を覗いてばかりいる。それで人の覚醒に合わせてステンレス製ポストの窓を鳴らしたりスマホを移動すると秒で照準を合わせたりして自分が監視されているストレスと怒りを僕にぶつけている。自分で戦う勇気と実力がないから。そんなことをしたって俺はお前を救わない。自然の摂理に逆らった化け物は消えろ。俺が多数派だ!
*15:14 9/27 どうでもいいがさっきから後ろの道路でトラックが11台もうろついている。朝日の屑屋も来た。
ウツボも10:26~16:57の間に11回葛藤行動を見せた。尻撃ちレーザーを避けて机の向きを変える度に。カブも6回。ナマハゲもポリ公に共犯者として名前を挙げてやったら陰湿に絡んで気やがるようになった。もちろん無言。勉強している人間を見て銃を撃ってやろうと考えるやつを街に置いておくべきか?日本人はもはやそんな判断もつかないのか。
9/26
10:35~13:04 自室で資料整理を始めるとのび犬に命じられてのび子のガキが玄関のドアととベランダの窓を8回開け閉めし、ウイルスでも撒いているのかと問うて窓を閉めると背中撃ちレーザーに切り替えてきた。
12:06~15:49 のび犬が無言で表のBMWを起動する。取り残されたのび子は玄関で呻く。だから無理して家族のフリをしなくていいし、無理してここに住まわなくていいって。
16:01~ のび犬が前日に続いて連続で軽自動車を起動する。・・・のび子は免許を返納したのか?逃げないように。
15:58 9/27ヘリと作業員が接近しレポートを書き終える。こめかみ撃ちと脱水攻撃が強化される。
9/28
10:18,11:25,12:46 魔女がガレージ内で2度軽自動車を起動し、3度目にやっと出すという奇行をした。のび家ガレージではこれが9回繰り返される。しかも結局ナワバリから一歩も出ない。ウツボ6回。
12:17,14:38,15:21,16:15,:47,17:00 あさひ生協がポストを鳴らした回数3回。
10:43,:45,:57,11:09,:20,12:07,13:03,14:07,15:26,16:07,:10 ヘリが取り付いた回数。
13:01→:03 勉強机に張られた電磁場に気づいて避けると戦闘機が水平レーザーで空爆しながら接近し、それを鉄の棒で相殺するとヘリが援護射撃にやってきた。それが無駄な行為だと気づかない馬鹿。蚊と同じレベル。蚊も戦闘機の風邪切り音を聞くとバーサーカー状態になって遮二無二かかってくる。(戦闘機が通り過ぎると散っていく)
16:30~:40 資料を深く読み込むために寝転ぶと自縛霊がすかさずてんかん攻撃を仕掛けてくる。
18:00 ステ車レーザーを1F廊下のスマホにセットしているため浴室電磁場を起動できず1F中央に仕掛けた軽自動車か表のBMWのレーザーで入浴後の帯電を仕掛けるのび犬。呼吸が浅くなるほどの出力。→1F北で食事をとると23:34~58に表のBMWを起動した。そして0:10からてんかん攻撃。(これは手元のファンネルによる攻撃である可能性が高い)
9/29
7:24 目覚めて自然にトイレに行くとあさひ生協が挑発ポスト。 自分が監視されているストレスと怒りを僕にぶつけて甘えていると言うと我も我もと僕が出かけるのに合わせてのび犬、マスオ、ウツボが取り付いてきた。追いすがる犬のように。
人に従うことに慣れた人はまず現象があってそれに感情を乗せていくこと(共感)を正しい変化の在り方だと信じている。確かに受け取る側は感情だけで取捨選択するのでそう思うのも無理はなくこれが唯物論の興りと考えられる。それで人々は良い変化を起こすために容姿を整え、金と注目を集め、資格を取らなければならないと考えて目標の濃度またはレベルを下げる。他者は100%の真実を受け取らないからだ。そこで人は富、名声、友人の獲得と引き換えに自分を見失い、もはや「人格的な威厳」の高まりや成長を望めないので「人為的な威厳」(by『群集心理』)を追求してますます本来の自分からかけ離れてしまう。足軽が将軍になった時のように。
武家社会や貴族社会が腐敗や欺瞞や抑圧なしに維持できないことは歴史が示すところである。これを打開するには将軍や官僚をリストラし、あるいは民主化しなければならない。こうした個人の改革は自己批判によって行われる。例えば壁にぶち当たった時に「私なら出来る、乗り越えられる」と言い聞かせることは自己批判の一種である。それができない人は自信をなくし、人に流され、他者や道具や貧乏や環境のせいにして独裁体制を敷く。共産主義者のように自身の葛藤から逃げてそれを商売にする者もいる。『潜在意識をとことん使いこなす』の著者C・ジェームス・シェンセンによれば「自尊心の低い人は他人を喜ばせたいと感じやすい一方で自分には何かをしてもらう価値がないとの思い込みから自分の欲求を抑えて人に尽くし過ぎてしまう傾向がある」といい、悩みやトラブルや怒りを抱えた人に近づきやすい。こういう人はまた被害者意識が強く、保護されるべき状況を自ら作り出すことも少なくない。よって権威主義的で社会的影響力のある人や趣味嗜好を同じくし世界観を共有する人の言葉しか聞かない。(=唯物論)
世間もきっとこのように誤解しているから僕に団体を作ることを勧め、それを目指さない僕を行動しない人といってなじる、嘲笑する。人々がケーサツと闘う人を馬鹿だと笑うとき、ミャンマー軍やタリバンや中国当局と闘うミャンマー人やアフガニスタン人、台湾人、香港人のことも同じ目で見ているのだが、表面上は彼らを応援するふりをする。つまり前者に対しては右翼を表明し、後者に対しては左翼を表明する。そうやってケーサツまたは資本家という存在と現象に沿って変化に適応することを生存戦略と信じているからこそ不正や犯罪や暴力を日常的なもの、普遍的なもの、多数派の意見とみなし、粛正や政府批判や勧善懲悪を個人的なもの、非日常的なもの、反社会的なもの、危険なものとして限定的な範囲で処理することを求めなければならなくなる。
しかし私たちは「このままではいけない」と思うからこそ変化を求め、感情に促されて行動を起こす。それは自己批判の範囲でやることであってわざわざ集団を作って訴えることではないとからこそ悪党がやるような神経質な弾圧を行き過ぎた正義と評価し眉をひそめたり恐怖政治だと不本意ながら非難したりするのである。そうした一人一人の心がけが徳の高い人間を育て、ひいては国家の品格を高めるのである。
僕が若者たちに歴史修正的な政党を作れとか自由民権運動を起こせと呼び掛けるのも独裁体制をリセットする必要があるからであり、それが物の分かった大人から見て「若気の至り」と見えることが肝心なのである。そもそも学問は立身出世のためにやるものではない。
創作物の主人公だって一人または少数精鋭で明るく元気に闘うし、体内でもウイルスやガン細胞を発見した時に戦うのは免疫細胞であって正常な細胞が総攻撃をかけたりしない。暴動や戦争は市民の側にも損害を及ぼし、破壊の程度によって発展が遅れるからである。だから犯罪被害者や政府批判者は公費で彼らの不正や裏の顔をバンバン暴いて暴力に頼らない戦い方を発展させることによって同時に彼らの暴力革命を永久に封じ込めることが望ましい。
日本人には先人が遺してくれた「世直し」という立派な遺訓があり、これを受け継いで発展させるには社会の本質を見極めなければならない。誰が何と言おうと社会の発展を担っているのは学者であって独裁者や資本家や軍人ではない。彼らは確かに学者の理論を使用するがそれは金や権力で表現・具現化しきれるものではないし経済的な豊かさが社会の発展に繋がらないことは誰もが実感している。社会性動物たる人類は「少数派の」意見に従うことで良い子供、良い生徒、良い友人、良い社員、良い消費者、良い国民として社会に迎えられ、彼らを少数派ゆえに蔑ろにする人を厄介者、変わり者、頑固者、危険人物、精神病として排除する。とはいえ権力者たちも多数派に迎合すれば軽蔑され、同類の厄介者(出しゃばり、仕切りたがり)に転落してしまうため少数派であり続けなければならず、彼の支持者や服従者もまた左派集団の域を出ない。だからこそメディアや教育者たちも彼らに個人主義や自由主義、個性教育、他者の尊重を勧めるよりなく、既得権者のために庶民は愚かであれと願い、真面目に生きると馬鹿を見る社会を維持しようと平等主義を唱えて無政府主義を呼びかける。これは学者がまとめたものをこんがらがせて無駄な仕事を増やしているだけで大衆もそこに現実を見出せないからこそSNSで本来の自分の意見や感性に近しい人を探し続けているのだ―――そして学者から離れる。
しかし学者は平等主義など唱えない。理論上成立しないから。権力者に反対するのは左翼じゃなく常識人、現実主義者である。仏教者はその教典を見直すことができないから貴族やブルジョワジーにへつらったが、歴史家は事実をひとつ発見する度に関係者の行動や相関関係を洗い直し、その欠片を繋ぎ合わせて新たな真実をつむぎ出す。
資本主義もまた自己批判できない故に不断の拡大再生産から逃れられず全世界を従属させようとする。それは共産主義世界だ。彼らは自国民が望むと望まないとに関わらず海外から珍しいものを持ち帰り、ゴミ屋敷から逃げられないよう消費者の経済力を奪って快楽を押し付ける。これは共食いのために家畜を囲いに閉じ込めるようなものだ。彼らは自身が持たざる者であるときには自由、平等、進歩、革命と威勢のいいことを叫びながら自身が古い、くどい、チープ、食い飽きた、要らないと言われると離れていく者や台頭する者を許さない。
彼らは第一に時間の経過による理解の深まりや心変わりを理解できず、発展を「無個性化」と信じているために個性的な人を淘汰し、それを政敵として抹殺せねばならないと思い詰めてしまうのである。維新志士らが西洋から学んだのも個性を合法的に排除する方法だった。唯物論は自然神を排して科学神に置き換えることにより変化、浄化、リセット、死すなわち空に返ることを拒絶する。世襲制と私有財産と既得権益の保護を正当化することにその目的がある。人生や社会にはバイオリズムがあって必ずリセットしなければならない時が来るが彼らはそれを乗り越えようとせず、他者が起こす化学変化(成長や心変わり)を金や快楽で克服しようとし、ただ自分の主観的な世界の発展だけを追い求めてジオラマ化(箱庭化)する。
それは煩悩に捕われた仏教以前の野蛮人の発想で、目の前の獲物や果実を欲望のままに採り尽くして絶滅を待つばかりの種族が共食いでそれを遅らせているうちに自己目的化しただけである。そんな方法で生き永らえてもなんの価値もないし、旧人類と新人類の境界は消えやしない。『やりすぎ都市伝説』でも僕に下等生物と言われた共産主義者が宇宙の話に逃げて遺伝子操作で進化するなどと嘯いているが彼らは宇宙人になる前に自力で人間まで進化するべきだし宇宙へ行く前に刑務所へ行くべきだ。肉体を超越するという仏教の思想に注目したのはよかったが所詮パウロの子はパウロ、自分を完全体だと思っている限り解脱には到達し得ない。個人を超越することは進化を打ち止めにすることではないのだ。読解力が低いから彼らは敗北を理解できず、その先の物語を見い出せないのだ。
歩き疲れた時に老人のように腕を背中に回すと楽になる。ウォーキングの時に腕を後ろに振りなさいというのも潜在能力を引き出す動作をすることで健康の増進を図っているのかもしれない。水泳選手なども基本腕を背中あるいは耳の後ろに回して泳ぐ。マラソン選手も後半腕を後ろに回して(忍者のように)走ればタイムを縮められるかもしれない。
・・・尤も水泳選手は一日に4000~5000kcal摂取しないと体重(筋肉)を維持できないらしいから潜在能力を引き出し続けることは勧められないが、人間の能力にはまだまだ伸びしろがある。テクノロジーに頼るのは早すぎ、怠け者の論理で人体を弄ぶのは止めるべきだ。旧人類が滅びることは免れない。
人や社会に助けを求めて生き残ってもその甲斐を示せるのはひと握り。しかも成功者と同じく救われる前からその片鱗を見せている。見えるもの全てを救おうなどと考えるのは大きなつづらを選ぶようなもので彼は自身が解放したお化けによって社会がこうむった損害をこそ賠償すべきである。・・・それにどうせ彼はお化けの完全な自立など求めておらず生かさず殺さずの状態を保つのがベストだと思っているに違いない。少なくとも手に負えない数の人を引き受けるまでは。動機が腐っているからその活動も腐る。だから彼はそれを粛清する気配を持った人物を救わない。
一日7,8時間勉強しても結局「使う」のは1,2行分であり自身の閃きや気づきであるから大半は下積みに過ぎない。企業の面接や世論調査、マーケティング戦略とて大多数の受験者や消費者や国民の行動からその一部を選び出したり類推して実践に役立てる。つまり大多数に注目している限り全体の利益になるアイデアは生まれず、小説のように決められた結末に向かって導線を辿るだけだ。勉強法で言えば単なる暗記、テスト対策だ。全体のことを考えるということは大多数の意見や感情を切り捨てることであり多数決の呪縛から逃れることである。それができた人は貧富の差や社会的地位などで人を判断したりしない。
犯罪を始めるのに根拠はいらず、やめさせる時に限って根拠の提示を求める人はそもそも社会に所属する根拠を持っていないのかもしれない。しかし生存に必要なのは結局のところ食料なのだから食料の調達に直接関わらない人を略奪するのは根拠がない行動ではないか。病気になった人に内蔵狩りを認める訳にはいかないだろう。そんな化け物は秒で死刑にすべきだ。そして犯罪マニアとその共感者は地獄へ行ってあらゆる種類の死を体験してこい。現世でやる事ではない。
色々言ったが今週の『プロフェッショナル』の空港グランドスタッフの中山弓子さんの考え方と仕事への姿勢は素晴らしいと思った。読者は屁理屈に走らず正しく飲み下してくれることを祈る。


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