10/28
8:36 ポイントに着くと戦闘機が取り付く。111111
8:40 墨パウロが取り付く。11111111111111
9:33 ヘリが合流。11111
9:44 10分後を計ってケムトレイル戦闘機が合流。1
10:15~:35~:42~:46~:58/ 12:17~食育の話を始めると脱水攻撃開始。また自制心を失って乱射している。
10月27日水曜日に夢を見た。そこはライオンやクマが二足歩行をして人間社会に暮らし、日常的に人間と格闘している世界で私もクマにお菓子ボックスを漁られたことをきっかけに彼の説得にあたり、温かいご飯が食べたいとの要求を容れて調理係にメニューの見直しを迫ったが、目が覚めてすぐにこれは市民感情を無視した自己満足/えこひいきに過ぎないと反省した。私たちは目に見える争いが止みさえすれば良いと思って安易に加害者の要求に耳を傾け被害者の声をないがしろにしがちだが加害者が正しいなどということは有り得ないのだからルールの統一を第一義に考えるべきで、それを拒否する人には出て行ってもらうより仕方がないと決めておくべきである。日光の猿害を見ても我慢する関係には発展がなく競争力が高まらないからいつまでもホームorアウェーの関係に依存してしまう。傍若無人に振舞っている方はそれで良いかもしれないが幸せになる権利を奪われて自分さえ略奪や虐待を回避できれば良いという考え方は奴隷の発想で、かつスケープゴートから見て加害者になる。それで被害者は戦わない人の罪を問うことになる。―――社会悪の存在を認めるならあなたが加害者を引き取って保護に努めればいいのでは?加害者とその擁護者がお互いの行為を相殺すれば被害者は生まれない、共食いに首を突っ込む人なんていないのだから。内閣支持率に照らせば4割の人は犠牲になってもいいと考えているのだからその人たちが加害者の相手をして5割の人をフリーにしておいた方が社会の立て直しに有利なのではないか。被害者が犠牲になるのは嫌だと主張すると千枚もその正当性を証明するためのレポートを書かなければならないのに偽善者は「いやだ」の3文字でそれを回避できるのは不公平だなど―――。
戦争は加害者と戦う人のせいで起こるのではなく戦わない人が戦う人の戦利品さえ享受しようとホームグラウンドの意識から勝者を選ぶことで共通のルールによる解決法が取れなくなるために起こるのだ。害虫と日和見主義者が共に共同体から出ていけば誰も戦わずに済む。スケープゴートを仕立て上げてその場しのぎに終始するから争いが起こるのだ。加害者はたとえ支配関係を確立しても手持ち無沙汰が気に入らないと言って不定期に暴れ出してルールを増やそうとする。そしてその確立のために抵抗を続ける。こういう奴を止めるには世間が彼のホームグラウンドの意識を剥奪するしかない。それが戦争をなくす唯一の方法であり、ルールの統一こそ万人に与えられた必勝法だと私は思う。社会秩序を維持するためには世間の人々がこれを徹底しなければならない。権力や金の誘惑などに屈していてはいけないのだ。
多くの人は身内のアルコール中毒や非行や引きこもり、DV、カルト信仰、嘘つき病、摂食障害、人格障害、オーバードーズを克服させた経験を持たない。その上警察や専門家への丸投げも効果がないことがデータとして出ている。政治家や公務員の応募要項に「誰かを更生させたことがある」という条項がないのだから当然だ。彼らにそんな力があるというのは神話でしかない。人々は使わないことが出来ないのに武器を取り、ケジメをつけさせることが出来ないのに脳と対立する人を放任する。喫煙者が減ったのはそれがホームグラウンドの行為ではなくなったからであって市民権を回復すればすぐに元通りになるだろう。なぜこれらを克服する技術を身につけようとしないのか?
国防の問題にしても国民を生贄(新兵器の実験台、あるいはそのモニター、軍事訓練の仮想敵)に捧げなければ守ってやらないという墨国との同盟が国益になるとは思えない。それよりも中国との関係を暴露して脅迫され不良品の武器を買わされたと国連に訴えて自分たちで国を守る姿勢を見せた方が日本の将来のためにも世界の人々にとっても良いのではないか。必要以上に失うことを恐れる人はきっと「困る」という状況を経験したことがないに違いないのだから経験させるべきだ。世論と戦って負けることは自己責任でしょ?過保護は彼らのホームグラウンドの意識を高めさせてますます反社会的になるだけ、誰も幸せにならない。成功の秘訣は腐らないことですよと揶揄してやればいい。
この流れで書くと期待した受け取り方をしてもらえないだろうけど、『情熱大陸』で土井善晴さんの話を聞いて食事というのは「気」を食べる行為なのだなと思った。料理人が心穏やかでなければならないというのは料理にその人の気が入るからであり自分で食事を作ることが大切なのは自分の健康を作るのはやはり自分の気なのだということなのだろう。だから食材も良い環境で育ったものを選びたい。外食やコンビニ食を多用する人はお金の問題というより気が乱れていて食すと心と体の健康を害する、イライラする経験をしたからであろう。大衆食堂や居酒屋や立ち食いそば屋で地元民が好んで通う店はきっと料理や空間に良い気が満ちているのだろう。反対に親が荒んだ気持ちでご飯を作れば子どもの心も荒んでしまう。引きこもりや非行を変えるには食事を変えなきゃ始まらないのでその家を出るかその子に食事を作らせるようにすると良いかもしれない。家族や恋人と気が合わなくなるのは文字通り気が合わないからだ。気の合う2人は別々のことをしていても居心地が良い。落ち着かないのはルールが違うからだ。したがって女性にご飯を作らなくていいと言う男と付き合う時にはこの人は私と気を合わせるつもりがない、ルールを共有するつもりが無いと覚悟して付き合わなくてはならない。・・・そこに幸せがあるのかね?
好きな僧侶の大西良慶さんの著書を見つけて毛嫌いしていた法華経に触れてみたらやはり俗物どもは解釈を間違っていた。『法華経 自我偈 観音経偈 講話』(大法輪閣)にはまず人間の五福に衣食住、長寿、地位、家族繁栄、そして無事があり、化学/科学で考えれば仏も人も畜生も同等で毒と薬は使いようと説く。そうして「大欲三昧」という詭弁で怠け者を虜にする。曰く、「悟ったかて何も金持ちになるわけやなし、一合のものが一升めしを食えるわけでも何でもない。背が伸びるわけでも何でもない。それが宗教で人間を科学したら世の中のためになる。宗教で人間の毒を科学的に分解すればそれが慈悲になる。我の強い、欲の深い、腹の立つ毒が宗教をもってやったら欲の深いほどよう効くようになる。それを大欲三昧という。人間の毒は命を取ることがあるけれどもこれが大欲になったらこの世界中の悪魔を退治して皆を助けるようになる。ですから宗教やったら欲かて悪いことない。けちくさいのが悪いので宗教が科学して大欲かいたら人間を助けることになる」―――こう言われてその気にならない怠け者はいないだろう。
しかしこれは悟りを開く手前に現れる「あやかし/邪魔」というものであって大欲を動機にして事を始めよと教えているのではない。釈迦は五福が全て揃った環境を飛び出して修行者になったのだから修行の先にそれを求めるはずがない。私の解釈では苦行により極限状態(空腹、孤独、何のためにという迷い、何故こんなことをという怒りなど)に陥った時に欲をひとつ振り絞って苦しみを乗り越える力にせよと教えているのである。釈迦は川での苦行中に通りかかった娘から1杯の牛乳をもらった時にこれに気が付いた。そうして苦行だけでは悟りは開けぬ、発想の転換には緊張と緩和が必要であると気付いて悟りに到った。
この話から読み取るべきことは追い込まれるとすぐに生きる気力をなくし、自暴自棄に陥って自傷行為や万歳アタックを繰り返してしまう人は欲が浅く、表面的な欲しか持っていないから踏ん張りが効かないのだという事。つまりわだかまりを捨てられないが故に湯呑みに茶がなみなみと注がれた状態になり、もはや良いも悪いも入らないから感情を次へ移せなくなっている。これを欲張りという。だから蟠りを捨てよ。
良慶さんの立派なところはここから知恵を日光に、感情を雲に例えて感情に支配されたら知恵が見えなくなる。工場の排煙でも経済発展のためと言って皆が日照権を諦めたら弱い人が喘息になったり汚染された魚を食べて病気にならなきゃならないからそれではいかん、知恵を有難いと思わないかんと説かれているところ。いくら経済的に豊かになっても病気持ちの子どもや老人を量産しては世話がない。健康な心と体を受け継ぐ以上に大切なことは無い。さもなければ人の道が進まない。
とこういう教えであるのに広辞苑には「大欲は無欲に似たり」と書いて「大欲の者はとかく欲のために目がくらんで損を招くことが多く、その結果無欲の者と同じことになる。また大きな望みを持つ者は小さな利益を顧みないので一見無欲のように見える」との訳をつけている。全然本を読めてない。娘から牛乳をもらった釈迦を見て「あいつは堕落した(女人禁制と断食を犯した)」と言った人と同じで、体験した者にしか真理が見えないなら書物を読むことには意味がない事になってしまう。これが形式主義は通用しないということ。
またカルト信者どもがせっせとあやかしを演じるのも私が法華経の悟りに到るのを妨げることで暗に法華経及び釈迦を否定しているのである。そして怠け者や苦しんでいる人にあなたは生きているだけで苦行に耐えているのだから大いに欲を発揮して苦難を乗り越えよ、あやかしになって金を稼ぎ社会を見返してやれなどと唆す団体はやはり暴力革命を目的とした秘密結社であろう。
・・・そもそも他人の成功があなたにどんなわだかまりを生むというのか?他人の不幸や失敗を飯の種にしていることの方が遥かに問題だろう。
ケチをつける―――縁起が悪いと思わせる、悪いことが起こる前兆を示す。=嫉妬。他人の成功に物惜しみしている。
こういう歪んだ解釈を持つと古代の渡来人や九州の田舎侍のように神やその子孫または皇族を自称して去勢コンプレックスと戦うことになる。彼らに感化された庶民にしてもその程度の身分制度しか知らないから世間が捨てた者たちをわざわざ拾ってきて社会に対立を引き起こすのだ。努力家はオリンピックでもW杯でもインターハイでも入試でもメジャーデビューでも裁判でも成功をけじめの日と認識しているが彼らには「成功」という概念がないのか勝者に成功後の生活をさせない。そのため成功者はイメージの実現に走り出せず迎合的になったり活動を自粛してつまらない人間になってしまう。社会が良くなっていかない原因の一つだ。庶民はわだかまりを捨てて成功者の描く未来を共有すべき。井の中の弁慶なんて見捨てていい。
海外旅行ネタは鉄板で面白いし、たくましい女子は好きだなと思うけど海外でもやはりクズの相手をさせられるのはアウェーの人間なんだね。クズは社会を憎んでいながらもホームグラウンドの意識を捨てないんだな。むしろ犯罪心理の根源にそれがあるためには悪党は「ホームの人間は何をしても許される」という信仰があってアウェーの人間を作り出すために閉鎖的で反社会的なグループを作るのではないか。つまり犯罪行為や脅迫、暴力、常識への反抗はホームグラウンドの意識の表れで社会が変化に適応できない愚図を過保護に守るから人々はそれを優遇と勘違いするのだ。よって国内で傲慢に図々しく鈍感に非常識に生きている人は海外旅行にでも行ってアウェーの立場を体感してくるべきである。


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