5/17
9:50 出掛ける。
9:53 川端通に出るとポリ公と白のハイエースとヤマトが挑発。
10:25 ポリ公とグレーのハイエースが挑発。こいつらはまた街を徘徊して一日をやり過ごすつもりでいる。働かないなら刑務所へいけよ。ゴミみたいにしつこく悪目立ちするな。
11:04 戦闘機。→背中越しにみぞおち撃ち。今週はウチでも外でも四六時中みぞおちを攻撃してドクンと血流に違和感を生じさせてきた。脱水攻撃と併せて老衰に見せかけて殺すつもりなのだ。日銭稼ぎと関連しているからこそ彼らはネチネチと同じ攻撃を続けるのである。
11:42 偽軍人111→こめかみ撃ち
今週は女性がなぜ問題の解決に消極的で辛い現状に甘んじてしまうのかを考えてみた。基本的に女性は男性からのアドバイスを聞かず、ただ話を聞いてくれるだけで良いと言うがそれは彼女達がスタートとゴールを設定できず受動的な人生を送ることを習性としているからではないかと思う。狩猟採集民の時代まで遡るのは本意ではないが、男性は今日の失敗をくよくよ悩んでいても狩りの成功率が上がるわけではないので頭を切り替えて次の狩りに備える。そのため男は着地点を決めて話し、行動し、上手く行こうと行くまいと話を閉じて次の目標を考える。これに対して古代女性の一日は待つ人生であったので長い時間話し続ける必要があってその技術を向上させてきた。それで女性は家事を細分化し、家族の些細な変化にも気を配れるようになった。女性にとっておしゃべりは不安を慰め合うための手段であるので裕福になって何一つ不自由ない暮らしを手に入れると却って不安が増し精神を病むことになる。これが中世の貴族に見られた退屈病といわれるものである。・・・ただしそれが生存戦力という程のものではないことは男に共感を求める女子をぶりっ子とか男好きといって軽蔑することから明らかである。
女性が目標設定を苦手とする一つの例はブランド物好きである。彼女たちはメイクでもファッションでも自分の魅力をアピールするのにしばしば他者の権威を窓口にして興味を引こうとする。そして目標が決まると脇目も触れず頑張り通す。収集癖や偏食、貯金、ストイックなトレーニング、ダメ男やホストへの奉仕、子煩悩など彼女自身のためにならないことも少なくないが、本人は人生の空白がもたらす不安に耐えるくらいならしんどいことを我慢する方がマシとして親友がやめろというのも聞かない。
逆に目標がないと女性は女友達やパートナーや子どもの足を引っ張るようになる。たぶん置き去りにされるのを恐れているかそのグループに飽きているのだろう。彼氏や旦那をディスることを要求するのも同じ心理。従って女性は問題解決に積極的になれないし、政治や社会問題に興味を持てない。
定められた枠の中でしか頑張れない女性のために男が道を示してやらなければならないことは分かる。では男で終わりと始まりを認識できずケジメをつけられない人は何なのか―――マザコンである。用もないのにふてぶてしく生き長らえているように見えるのも男性の方が圧倒的に多い。女性は子どもの頃から時間を埋めるためにすることを探し続けてきたので年をとってもなんだかんだとやることを探して一日を充実させようとするご、男は子どもの頃からぼーっとして過ごしてきたので年をとってもすることがなく後天的に手に入れた序列意識に縛られて内弁慶になるだけだ。そうして老化した男は女性化する。いわゆる女の腐ったような奴になって人に目標を与えてもらわなければ頑張れず、しかし自分より序列が上の人の言葉しか聞かず、結果人のやることにイチャモンばかりつけるようになる。そこで私などが女性政治家や女性管理職を認めないなら高齢男性の政治家や管理職も排除しなければアンフェアなのではと非難しようものなら彼らは水を得た魚の如く私を潰しにかかるだろう。つまり彼らは女性/妻とポジションが競合すると考えているからこそ女性の出世を認めたがらないのである。しかし彼らが上司以外には妻の意見しか聞かないというのであれば夫婦同伴、保護者同伴で出社してもらうより他にない。そうして恥を視覚化してやらなければふてぶてしい人は態度を改めない。彼らに必要なのは介護士でなく保育士である。
女性に話を戻して、彼女たちにとってしゃべる相手のいない家は何も無い部屋とおなじでストレス極まりない空間である。それで年頃の娘は家に帰りたがらないのだろう。父親や男兄弟が彼女をあちこち連れ回すような人なら耐えられるのだろうか。ただし現代女性は男の帰りを待って家に閉じこもっていなければならないということは無いし、女性向けの趣味も仕事も沢山あるのだから古代女性の習性を書き換えてマザコン男をどんどん踏み越え率いるようになれば頼もしいのだが。
意固地な老害を見ているとアフリカなどで乳幼児が死ぬ環境の方が正常なのではないかと思えてくる。先進国では子どもが死なない代わりに産業廃棄物とも言うべき人でなしによって善人が抑圧され殺されている。生かすべき人材を殺している点では両国に大差はないように思う。そんな有様で偉そうに貧困国の子どもに支援しようなんて呼びかけている団体を見ると虫唾が走る。まずは善人を殺す悪魔の習性を克服しろや。
5/16 火曜日 ブログの更新に合わせてのび犬が3台の偽乗用車を起動し、これにウツボと魔女が連携してうちの電気を盗んでてんかん攻撃。関西電力が電気料金の通知をしなくなったのは盗まれている電気があることを突き止めたためであろう。
5/15 月曜日
23:15~0:20 またキチガイが視聴予約した番組を見させまいとてんかん攻撃を仕掛けてきた。自分が天罰の時間を使い切れないからと他人の時間を無駄にさせて誤魔化している。正義と悪の決定的な違いは「浪費」の有無で判断可能と思われる。悪党はただただ浪費を繰り返し生まれたくない地上世界を破壊することに必死になっているが、正義は浪費を規制し命を粗末にする人を処分する。これにより刑罰と暴力は明確に区別できる。・・・といってもポリ公はとっくの昔に正義の立ち場を諦めているけどな。「肉を切らせて骨を断つ」とはこの事だ!
気絶から目覚めた後にNHKでレスリングの金城梨紗子(旧姓川井)選手のドキュメントを見た。大衆はリオ五輪の代表選考に挑む彼女に伊調選手の五連覇を阻む悪役のレッテルを貼って「試合に出るな」とか「負けてしまえ」と中傷したそうだがこれをゴールデンタイムに放送できない所に日本人の闇/病があると思う。私も現在おなじ境遇にあるので彼女の痛みがわかるが、彼女が実力で誰に勝とうと世間には関係ないことだ。(だからこそアスリートたちが勝利者インタビューで皆さんのおかげですと言うのを好きになれない) それで明日世界が変わったとしても対応するだけだろうが!彼女だって強い選手や苦手な選手に対応して克服して1番になったのだ。権力者のように一方的な場外乱闘と物量攻撃で勝利を奪い取ったわけではない。競技者でもない人達の持つ勝者のイメージというのは誰のためにあるのか?サッカーのフーリガンもそうだし、野球の大谷選手びいきもそうだが勝者を決めて試合観戦に望むことは競技に対する冒涜だと思うし、応援しているチームや選手自体を追い詰めていることも少なくない。まるで勝利を義務付けられているかのような気持ちで選手たちを試合に臨ませることは好きなことをして生きている人に対する嫌がらせなのか?それこそ自分が目標を持って生きてないだけじゃないか。こういうのをホントにやめにしてもらいたい。無駄を扱う能力がないなら浪費なんてやめてしまえ。

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