8:14,9:34 出る、ポイント着。
8:11~:14,9:23~:26 出る前とポイントに着いたとき脱水攻撃に遭う。馬鹿な繰り返し。
9:50,10:05,11:06 ヘリが取り付く。手持ち無沙汰の腹撃ち。→背中撃ち
10:05 足裏しびれレーザー起動。
10:26,11:56 偽軍人がうなる。
11:00,:16,:27,12:59 戦闘機がうなる。―――90年代のイラクに設けられたノーフライゾーンで毎日監視飛行をしていた米軍機は機影が地上から見えないよう特殊な塗料を施していたそうだが私に付きまとっている奴も同じだろうか。
13:28~ 両足の付け根に低温火傷攻撃を始めるヘリ。
14:14 書き上げて移動してワードプレスにログインすると偽軍人とヘリがうなりサイトから弾き出す。
線と点の話でとどめを刺せたと思ったが乞食どもは変わらず点を強調し続けた。今週出会った本に「脳は新しいものには必ず警戒心を抱く」と書いてあったが個人的な感情で社会に干渉して社会と個人の区別がつかなくなっている人は危険である。今週もこの本の力を借りつつ線と点の話を深めていこうと思う。『海馬 脳は疲れない』池谷裕二、糸井重里著 朝日出版社

人間について無知で他人に興味もないのに政治に携わりたがる人も個人と社会の区別をしていない。小池百合子候補は子宮を全摘出した経験から子育て支援をするんだと公言したのと『サンデーモーニング』に特別出演して父親でガンで亡くしたことをきっかけに医療業界に進出し、アメリカの企業と提携してガンのA.I.データ解析をやるんだと語った孫正義氏(本当はロックフェラー財団の方針に追従しただけ、彼らの出世街道をなぞっただけ)の論調は同じで、それが欺瞞であることは彼らが病院や薬に殺された患者の遺族を始め彼らの事業によって被害に遭ったあらゆる被害者の訴えを邪魔だといって封殺する態度が証明している。彼らが拾うのは黒服を着た人の訴えだけだ。
そもそも彼らが病気に直面して思うべきことは人は必ず死ぬこと、病気には必ず理由があり、機械的に治すことが必ずしも正しいとは言えないこと、これまでの人生を振り返って必然的なことを受け入れ、理不尽な外的因子(過労や不摂生を含む)に対してのみ抗議し、あるいは反省し改善する、あるいは加害行為を速やかに停止するすることでこれが進歩であり成長である。著者の一人の池谷氏も祖母に自分のことを忘れられてしまったことがショックで脳の研究を始められ、将来的には痴呆の研究に進みたいと語っておられるし朝日やアメリカにも捕まっているが、まずは全体を把握しなければならないことをわきまえて脳が見せる世界に没頭されている。曰く海馬は数ヶ月で入れ替わるので最初の動機なんて覚えていないのが普通なのだ。しかしネガティブな経験の復讐を動機にする人はそれを何度も焼き増しして思考を固定し、今YESで通っていることをNOに変えさえすれば、あるいはNOで通っていることをYESに変えさえすれば世界を変えられると思いこみ、その弊害や他者の損失を省みず、自分の不満と他者からの抗議や苦情を切り離して考え重戦車のように突き進む。非難の火消しも単なる雑務や雑音の除去だと思っている。彼らは点でしか物を見ていないからである。これは進歩ではない。
しかし進歩は線上でしか生まれ得ない。異分野の研究者が新しい発見をした時も交点でひらめいたはずで平行世界を創り出したわけではない。進歩は線路を乗り換えることを要求するものではないのである。―――ここで「路線」と言ってしまうとロスチャイルド系とロックフェラー系の切り替えを連想するので使わない。彼らが提唱する新世界秩序やメタバースや仮想通貨や宇宙計画やいずれも平行世界の話をしている。それは彼らの活動が裏で戦争兵器を作り、外国に工作員を送り込んでクーデターや文化、宗教、民族性の破壊を画策していながら表向きには投資活動や慈善事業や寄付活動をしたり傀儡政権を操って経済発展を促す(といっても自国企業の進出を斡旋し現地の労働力や資源を食い潰しているだけ、そこに麻薬や音楽による人格崩壊作戦が加わる)ことで自分たちを正当化している。普通の人はその二面性を示されたら彼らを承認しないし、支持者とてネガティブな情報をひた隠し、見ないよう、世間に知られないようにしながら彼らを支持しているのであってお菓子をくれる誘拐犯について行く子どもレベルの判断力しかそこには働いていないのであるが利害関係者の立場になることで豹変して自身の判断と団体の正当性を主張し整合性を取るために部外者からの糾弾に逆上し、他者の危険回避や幸福や利益や安全の追求を認めず、多数派(支配者側)の利益のために少数派(大衆)の犠牲はやむを得ないと言い放つ。(利害関係者が社会を回してやっているのだから優遇されて当然だ!) そして彼らの再評価を求める声には陰謀論だ、フェイクニュースだとわめき散らす。彼らと対峙しているとなぜ私は利益を求めては行けないのかといつも思う。
人は絶えず新しい刺激や情報を求める割に一度分類してしまうと再評価を受け付けない。それはその時の感情を記憶した海馬の神経細胞(担当者)がいなくなったために再現することが不可能となり、それで整合性をとることに比重を置いて分類結果を盲信し、焼き増し・強化するしかないと考えるからであることが推測できるが、そのために人は「あなたは騙されている」とか「あんなDV男や浮気者とはさっさと別れた方がいい」と指摘されると高い確率でキレるのだろう。後にも言及するが土台が崩れることを脳は恐れる。アルコールやゲーム、ギャンブル、麻薬への依存、そしてトラウマも恐らく同じ仕組みで一度作った回路は上書きすることは出来ても消去することはできないのでそれを強化するか意識的に忘れるかの二択しかないと楽な方を選択して継続を選択してしまうのではないかと思う。それが偽りの感情であることはその人が別の対象に見せる態度から窺い知ることができる。すなわち彼は映画や音楽やスイーツや恋人など常に新しいものを求めるが分類し終えてしまうと興味を失い、飽きて目移りする、見限る、軽視して対象の変化や成長など自身の分類を覆すような言動を許さなくなる。そして別れるように仕向ける。
分類とは省略化であり線のものを点にして整理する作業である。ドラマや漫画を飛ばして見る人やせっかちな人は分類することに満足を覚える(自己目的化するという)二元論者で実はその対象にも自分にも興味が無い。反射行動で目の前のことをこなしているだけ。こういう人がおしゃべりになるのは点と点の間を補正する必要が普通の人よりも多いからで嘘をついたり自分の話ばかりしなければならないのも同じ理由である。線を作れないのでこれで充分が分からない。酷い人は言葉のキャッチボールができなくなる。しかし人が他者に寛容や譲歩や我慢を示せるのは線を意識するからでその延長に再評価があるはずである。したがって正当な非難は再評価の能力及び準備がある人から発せられ、彼から進歩の道筋が示されるのだということを私たちは認識し、共有しなければならない。
自分の考えがいつも正しければ確かに学問はいらない。直面した課題の答えが一瞬で頭に浮かぶのだから。そんなものは書き留める意味もない。しかし私たちは未だに古代人が導き出した教訓や知恵や法則さえ先天的に備わって産まれてくることができず、むしろ私たちの行動や反応は常に予測されてほらね、やっぱりねと言われてしまう。コンピューターに頼らなくても私たちは経験でそれが分かるから学問があり、気づいたことを書き留めておく必要と見返す必要があるのだ。義務教育を否定する人も結局そこから学べる以上の人格を形成し得た人はいないだろう。古代人の予測すら超えられない、書き換えられない人に学問なんていらないという資格はない。ましてたった一人に潰される組織なんてどれだけ巨大でも一つの点に過ぎず、それを失ったところで私たちの世界に何の損失も無い。
繰り返しになるが人間には古代より脈々と受け継いできた知識や経験という共通認識があり、個性や天才や落第者もその線上で認識され得るものである。その共通認識を無視して自分勝手で支離滅裂な主張をする人は変人奇人を評され不快、不安、恐怖、危険の源泉である。著者に準えれば「心」という物体を探して脳や心臓を切り刻むようなもの。しかし心とは「脳が活動している状態」を指すのであって物体化できるものではないし、所有もできない。世界や人間存在もそうであろう。あらゆる生物の活動全てで世界は構成されている。地球がおかしくなっているのは人間が突出して好き勝手なことをした結果バランスが崩れたためである。暴飲暴食による肥満や内蔵の機能低下と同じ。世界の腐敗や停滞や貧困や不平等も偏った人々による偏狭な行動
の結果。自分こそが世界の頭脳であり心であり神であると驕り高ぶった奇人が世界を破壊しているのである。そしてこういう連中と間違って手をつないでしまったバグった人々は人体の中でなら殺されているが、自我の強い人間社会はアポトーシス/淘汰を好まないため世界を混乱、崩壊させることを選んでいる。さらにアポトーシスを促す人に対して「土台の安定」+「新しいものへの警戒心」を利用して敵視し、抹殺する。米兵による婦女暴行事件の発生を外務省が防衛省を通して沖縄県庁に報告する義務を怠って「全ての情報を伝える必要は無い」と居直るようなもの。彼らは人体や自然界で行われている仕事や基本理念を知らず共有していないから人には立場や時々によって選択できない選択肢があることを理解せず、それを平気で選んでしまう。そして世間も彼らに社会的制裁を加えられない。挙句スパイや暗殺者が住宅街や通学路に潜伏し、スパイ兵器を設置するのを見逃してしまう。(免疫の放棄、外患誘致) 壊れたヤツをどう処分するか、またどう再教育/矯正するかという全体の課題と向き合って政府・ケーサツを含め全ての国民を再評価するべき緊急事態に金や権力があれば他人に興味がなくても政治に干渉し、ふてぶてしくも専門家を名乗って部外者や素人は口を出すなと言わせている。こんなことは有り得ないことだ。
どんなに文明が発達しても受け手が未熟では受け取れないし、機能を十分に発揮できない。機械化は仕事を画一化し、効率化や大量生産につなげることを目的としているが、人間ならば一晩考えたら新しい案を思い付いたからこれに変更でと言えば部下やスタッフは対応するけどA.I.が同じことを言ったらエラーと認識して却下するだろう。実際は人間の方が主人だと思っているから。そうしてA.I.の質を下げ、悪用にばかり重宝することになる。結局CT画像と同じで受取り手にそれを読み解く力がなければ発信者をどれだけ高度にしても意味が無いんだ。そして高度な仕事は専門家から生まれるとは限らない。例えばトマトや養殖魚にクラシック音楽を聞かせて育てるという案は農家や養殖業者が野菜や魚のことを思い遣って試したことが上手くいったれいである。また今週のニュースで高校生が野菜のミスト栽培法を発見して賞をもらったと伝えてもいた。彼らがその経験からもっと人の心に響く音楽を作ってとか貴重な水資源を大切にしてくださいと訴えた時に専門家とやらは素人が口を出すなと言えますか?それこそ頭が固いというのものだ。笑われますよ。
これに関連して言わせてもらえば最近のテレビ番組は前提としてその出演者が好きでなければ楽しめない内容になっているように感じる。私の場合はさらに黒服や猫やエジプトや魔法やアメリカ、警察やヤマトというワードや象徴が気になって内容が入ってこないので見応えがなく、夜テレビを消すタイミングに困る曜日が多くなった。親米黒タレントらによるももクロ(緑、ピンク組)攻撃やデヴィ夫人(緑組)による上戸彩(黒組)攻撃、田村淳さんによる藤田ニコルへの気遣いなどは明らかに場の空気が一瞬止まって違和感を自ら感じているところがとても気持ちが悪い。党同伐異は白ける。(とうどうばつい。是非・善悪に関わらず自分と同じ派閥の人に味方して異なる派閥の人を攻撃すること) 東京都知事選挙もマスコミが報道している部分は同じ茶番でなぜ都民はヤラセじゃねえかと叫ばないのか不思議でならないし、気味が悪い。自分の話ばかりして楽しいか?
「任」という字は「壬(腹のふくれた糸巻きの軸または妊婦)」と「人」で構成されて「腹の前に重荷を抱え込むこと、転じて抱えた責任や仕事」を意味する。しかし動詞にすると「仕事を引き受ける、役目や仕事を与えて任せる、委ねて思い通りにさせる、なるに任せる」など危険な匂いのする解釈が現れ、形容詞にすると「上辺は柔らかだが腹黒い」という意味が追加される。さらに用例を見ていくとどんどん碌でもない意味になっていく。
・任意―――思うままに行う。
・任縦―――気ままで行動に締まりがない。放縦。
・任人―――心のねじけた人、常にその任務についている人。
・任他―――にんた。他に任せてなるに任せる。
・任達―――気ままで礼法を守らない。
・任放―――礼法に従うことをやめて思い通りに行動すること。任せきりにしてなるがままにまかせる。
・任命―――ある役目につくよう命令する、運命に任せる。
・・・これを見て赤の他人に全権を与えることの危険性を考え直してもらいたい。「任」という字に私たちがイメージする「尊重」の意味は全く含まれていないことがお分かりになるだろう。「尊」の字源は酒の徳利であり神のごとく崇めよという意味を持っている。しかし上記のような振る舞いをする政党を神のごとく崇める人は無責任である。料理ができないから出されたものを文句を言わずに食べるとか必要な仕事を怠って日本人の名前が入った体操着を着ている貧しい国の子供と同レベルの判断しかそこには働いていない。政権と対等な関係を結ぶ意志がない。人と人とが協力すればより大きな仕事ができると言うけれど仕事の内容を把握していない人をどれだけ加えても大きな仕事はできない。無知な人は協力する気もないと思われるのがオチでだから雑用や応援や汚れ仕事を任されることになる。一方で支持者は家で奥さんや娘にされているように召使いや家政婦に支配されているような気持ちで従うことになる。何が悪いって受け手の成熟度が低いことが悪い、それを人任せにしてやり過ごそうという根性が悪い。仕事を任せるにはまずその仕事を知らなければならない。日本人はそれを怠ってきたのだ。だから彼らもあなた方の内面に興味を示さず合理的で効率の良い動かし方ばかり研究してきた。変わらなければならないのは受け手である。
長い歴史の中で女性が政治に関わってこなかったのは可塑性が高すぎたせいかとこの本を読んで思い付いた。言い換えれば染まりやすさ。女性は彼氏の趣味に染まりやすく、全肯定して男性を包み込む。何年経っても変わらないでと願い、その一方で別れた男に対する切り替えの速さと全消去の潔さは男性(との関係性)に人格の土台を求めていることを想像させ、キャリアウーマンやシングルマザーの強さは仕事や子どもとの関係も土台になり得ることを示している。彼女たちはもはや拠り所としての夫を必要としないが、それは子どもを産んだ女性全般に言えることだ。また政略結婚や愛人契約や水商売などへの順応性の高さも染まりやすさで説明可能で彼女らが水商売を否定されると怒るのは先に書いたように土台を崩されることを恐れるから。このような強さおよび脆さを抱えているゆえに女性は政治に口を出さないのではないか。
対照的に男性はグループや派閥作りを始め、世間との関係を限定および遮断することによって個性を出せると思いがちである。しかし脳内では神経ネットワークの組み合わせを毎日のように試行錯誤しながらあなたの個性作り上げ、維持し、あるいは改良している。それは脳の神経細胞が毎秒一つずつ死んでいくという絶え間ない変化の中で生存や記憶や人間らしさや自己認識を保障するために間違いのない仕事をしなければならないという使命感や責任感や危機感によって支えられている行動である。一方で外の人格は中核の仕事を人任せにして居てもいなくても変わらないようないい加減な仕事やいい加減な生き方をしているから呑気に固定化を要求していられるのだ。そうして世間や職場で承認されることに比重を置いて付和雷同している。これは相手のこだわりや固定化の要求に付き合って変化を促すものを提供せずに自分の愛すべき個性を引き出してもらおうとする態度である。しかしそんな虫の良いことは起こらず没個性または没人格(卑しい人格)を引き起こし、脳に対して背任行為をするに留まらず進歩やネットワークの再構築に必要な情報を与えず脳の仕事を邪魔しているのである。それは孤独を避けるためだけに気の合わない友人と一緒にいる時間と同じく相互作用が働いていないのでお互いに役に立っていないし、ストレスが溜まるだけの最悪な相手と言わざるを得ない。人との関係はやはり相槌でも共感でも変化やネットワークの構築を促し合い、共有し合得ることがベストで承認は求めるものではなくするものだと思う。気がついたらいつも一緒にいる人、誰にも話せないことを唯一話せる人、顔を見ると安心する人、この人がいれば何でもできると思わせてくれる人、この人の言葉だけはすんなり入ってくるという人、そういう人たちをあなたが承認して自分もそんな人になろうと思う。それが人間関係であり、「ねえ、ぼくのこと好き?必要?役に立ってる?」なんて野暮なことを聞くもんじゃない。自信が無いなら動けばいい、考えればいい。そうすればあなたの脳が補強してくれる。
組織が絶えず新しいメンバーを募集しなければならないのも孤立して点になると滅ぶからだ。だから報酬や甘い言葉で誘って服従を求めるような組織は孤立させるべきで点は血栓かも知れないという視点を持つべき。一般に人が友達が少ない人を警戒するのもそれが理由だと思うけど大きなグループの方がその人の成長を妨げる存在であるという可能性も考えなくてはならない。大きな組織がいつでも正しいとは限らない。遺伝子操作をやる連中は認めたくないだろうが人は文化を継承するために生きている。遺伝子にも民族の活動の記録や罪が刻み込まれている。それを継承し、改善して次につなぐことが私たちの生きる意味であり務めなのである。その中であなたの個性も状態に過ぎないのであなたの行動や言葉や態度でしか表し得ない。そしてその価値は次につなぐ価値があるか否かによって評価される。今この時代だけで通用する処世術を子孫は使えないので価値はない。だからその加減を知るために変化に身を置いて置かなければならない。
―――ここからはもう別に読まなくていいが、私の敵は寸分違わず同じ行動を繰り返しながら私の体や持ち物の破壊のみに変化を求めている。この本を読んで敵が四六時中(今も)頭やこめかみを撃ち続けているのは脳神経細胞の死を促進して記憶障害や痴呆症を引き起こそうとしているんだなと分かった。複数の百円均一ショップで共謀して首掛け時計やストップウォッチを下げたタイミングで米兵に時計を壊された。タイミング的にも2回目。一度目は4色あった首掛け時計が下げられた時。それで妥協してストップウォッチを買って使っていたが、これも壊された。近くの店では他になかったので値上げされた黒いストップウォッチを妥協して買ったが、翌日壊された。(試験用電池さえ入ってなかった) それで買い物ついでに新しい時計を求めて探したらSeriaにあった。ただしセイユー内にある店には無かった。雰囲気からして違うよね、ある店と無い店では。頭がコピー機になっているので捏造された憎悪を焼き増しすることしか出来ない。コミュニケーション不全。私に変化をもたらさないだけでなく生活させてなるものか、文明の恩恵を受けさせてなるものかと勢い込んで時計だけでなくスマホやテレビも壊そうと出力や執着心を高めているし、その賠償もしない。情報を与えず経済制裁もしたい。私の仕事を仕事と認めない人は変化をもたらすことが価値を作り出すことよりも価値があり、かつ高次元な仕事であることを認めることと単純に変化を恐れているのであって私から見れば政府・ケーサツ・米軍、イスラエル政府と軍を含め彼らこそ仕事をしておらず、そのくせに報酬と安定をもらっているから国が回らず、国民も成長できないのだ。ニュースで見たカンボジアの副首相にしても日本と中国からのODAで随分発展しているようだが外国企業の進出と投資任せで国民を育てる意志を全く感じられなかった。そこに建てられた豪邸に住んでいるのはカンボジア人ですか?日米も自分たちがしてきたこと(日本を含むアジア諸国への開発援助)を失敗だったと認識していないのか?雇用に与った人は有難いだろうけど格差やローカル文化の継承者たちや失われたものの大きさを考えれば手放しで喜べることではなかった。脳は育ってないのに体だけでかくして「脳みそまで筋肉でできている」と表現される状態だよね。失敗だろうそれは。
能登半島地震の復興が半年進まず取り残されている現状もわざとやってるんでしょ?孫正義氏も「風をよむ」のコーナーでこれについてコメントをするのを避けて帰ったくらいだから。世間もすっかり忘れて毎日ヘラヘラ笑っている。日本人は人を地域ごと切り捨てるのが得意だよね。視野や守備範囲が狭すぎる。だからポリ公や米軍や中国や乞食教徒から損害を受けているのに気付かない。CMで紹介される薬の種類が増えているのを見れば私に限定されていると思っていた電磁波攻撃の対象範囲が広がっていることにくらい気づくよね?俺だけ攻撃してビジネスになるわけないでしょ。乞食を養えるだけの攻撃対象を作っとるよ。再評価を始めないと手遅れになるぞ。都知事選に干渉して三勢力以外の候補者を当選させるくらいのことをしないと。
これは余談だが、10メートルからの飛び込みをすぐに飛べる人と飛べない人の差も考え方の違いだと思う。飛べる人がいるんだ、オリンピック競技になってるんだという知識があれば飛べるよね。スカイダイビングやバンジージャンプでもあれだけしっかりベルトを巻いて飛び出すのに何が怖いんだといつも思う。飛べない人は個人主義者なんだよ。しかしやったことの無い自分と自問自答したって情報が無いんだから答えなんて出るはずがない。やってみるしかないだろ。人とつながれる人や社交的な人や人を信じられる人は飛べる。飛べない人は点で生きていることを自覚して線を作る訓練を始めるべき。

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