まとめてつぶやき1065 効果に逃げるな

効果に逃げるな
2/26 水曜日
10:15 出る。
10:23~:56 脱水攻撃ノック18回。/12:09~:30~:43~:48,11111111~13:23、また90分で二回目にこだわっている。/14:12~:21~ 11111~14:53、そしてまたチャージを急ぐ。/15:38~:44/ まだ撃ち足りない、尿を搾り足りない。だから自分に向けなきゃ一生足りないと言ってんだ!
10:56~15:52 ポイントに着く。レポートの作成を開始する。
11:00,:15 偽軍人が犯行声明を出し、再チャージのためにうなる。パンツロックオン担当。11111111111
11:05 心臓撃ちヘリが犯行声明を出す。
11:09,:15 戦闘機が犯行声明を出す。サドルロックオンからカバン(財布)にロックオンへ。余談だが預金通帳がまた読み取り不可にされていた。11111
ヤマト11
12:09 スマホ老人接近。また曇ってきた。
12:43 スマホ男接近。脱水攻撃および足裏しびれ攻撃。→13:01 去る。これに合わせて卑怯者が脱水攻撃。
彼らは今日も効果に逃げて機械的に尿意を起こすポイントを撃ち続けて何も考えないで一日をやり過ごす。こいつらの一日に何の価値があるのか?

今週は『こうして思考は現実になる』の一巻を読んでそこから派生した考察を書きます。誓って言いますが私は人々に古い思い込みを捨てさせることでそれぞれの意識を幸せに向かわせたいと願ってブログを書いています。しかし後半はいつものようにこれを妨害する者たちへのメッセージを含めることで言葉がきつくなってしまいます。私は彼らの更生も願っていますが今の状態の彼らとは出している波長が違うので共存することはできません。彼らの方でも私を怒らせれば私を修羅場に留め置き、罪なき人々の共感を得て味方してもらえると思い込んでしつこい尿意と挑発を繰り返していますので波長が違うことは理解しているようです。実際に私は彼らが好む暴力シーンや破壊、殺人シーンを含む刑事ドラマや不良学生物、サスペンスやホラーの映画、ドラマ、小説、マンガを一切見ませんし、音楽も前向きで明るい曲と声しか聴きません。人も穏やかな人や底抜けに明るい人にしか惹かれませんし、会いに行きません。本も自分を前進させ、他者理解を深めるものしか読みません。私の神も本の好みについては理解があり、それでこの本を私にもたらしたのでしょう。オーラの管理も万全で文章には現れていないのかもしれませんが高周波を発しながら生きているつもりです。ただ生まれながらに四方八方に低周波の連中を配備されて四六時中反日感情を基礎としたネガティブな怨念に被曝し続けてきただけで私から出たものではありません。それでも本文を読むと高周波は上向きの気分、ワクワク感、楽しい感情、感謝の気持ちを含み、低周波は恐怖や罪悪感(、ネガティブな感情や疑い)を含むと書いてあり疑いの気持ちが低周波を発しているのかもしれませんが、私にはテレビの芸人や女性タレントの方が毎日否定的な感情で生きているように見えて共感できませんので彼らの話を聞いて笑える人たちとは発している周波数が異なっているとは思います。そしてこのギャップの原因を今週解説します。

本文を引用しますと「世の親たちは子供に世の中の恐ろしさを教えてやるのが自分の使命だと信じている。私たちは物質的な豊かさこそが人生の目標であり、これを達成するには身を粉にして働くしかないと信じ込まされるが、それは嘘だ。私たちをはめる策略、悪い習慣だ。人は一つの思考パターンが固定するとそのパターンに従って生き、これを人に教えるようになる。その信念を裏付ける証拠を探すようになる」。人々は乗るべき大きな思考の流れを間違えているのです。これを著者は「FP(フィールド・オブ・ポテンシャリティ)」と読んでいますが、多くの人は帰属するべき社会集団を間違えて私たちの可能性を潰す社会、低周波を発する支配者層に従属して自立することで得られる幸福を奪われているのです。したがって「あなたが自分だと思っているものは本当はあなたのほんの一部にすぎない」。「自分の意識の仕組みを変えればどんな疑問をもったとしても必ず正しい答えにアクセスできる」。それが出来ないのは強力な思い込みがあなたの意識を支配しているからです。本文によれば人は一日に六万の物事を考えているがそのうちの98%は前日の繰り返しでその内容は五歳までに植え付けられた価値観に基づくものだそうです。したがって一日に一度だけ自分の幸福や平和や愛されることや夢の実現を求めて祈っても「1200回」無理だと考えればその祈りは届かない。
「あなたは欲しいものをすでに手に入れたかのようにふるまわなければならない」。 
あなたに無理だとかできないと否定的な言葉を投げかけてくるのは顕在意識で本来の役割は問題を見つけることと目標を設定することなのですが、「しかし、たいていの人は顕在意識によって物事のいい面と悪い面を比較検討して合理的な決断に到達しようとする」。そしてこの合理的な決断こそが願いが叶うのを邪魔していると言います。願いは叶えるものでなく叶うものだと。―――ここから私の解釈を加えると 人は最大の幸福、最大の利益を求めることでそれ以下の可能性や可塑性、他人の意見や失敗への対処などを切り捨てて問題、課題を難しくしている。現状で十分恵まれていた生活をしているのに不足を訴えて他人の分まで欲しがってトラブルを起こしたり、健康な体を持っているなら結構なことなのに自分は太っているとか見栄えが悪いといってダイエットや筋肉トレーニングを始めて却って健康状態を不安定にしたりといったこと。彼らが正しい進歩に踏み出せないのもそうした世間の価値観に沿った下準備を整えてからでないと上を目指せない、資格がないと思い込んでいるからであろう。すなわちクオリティへの間違った執着。しかし一般的な会社の企画やイベントや新商品に期待されていることは単に売上や集客人数であってクオリティではない。それは自社および個人が仕事への情熱から追求していくものであって承認を得るための条件ではない。近頃若者の間で編み物が流行りだしたのも聞けばルセラフィムのメンバーが作品をSNSに投稿したからだという。名もなき個人が彼女よりも早く編み物を始めて作品を投稿しても「かわいい」とは評価されなかったが有名人がするとかわいいという感情が集団感染して流行になった。このとき人々は彼女の作品のクオリティなど見てはいない。彼女自身も毛糸やその他の編み物関係の会社の宣伝としてそれを始めたわけではないだろうが結果的に経済効果があった。それを企業は業績と言う。ここから考えると彼らの考えるクオリティとは欲しいと思わないもの、必要のないものを欲しいと思わせ、また買わなくてはならないと思わせるために求められるものだということになる。このとき彼は仕事への情熱からでなく、売上を落としたくないとか生存競争に勝ち続けるためには新しく魅力的な商品を開発し続けなければならないという感情論(現状維持バイアスや過去の栄光への幻想?) すなわち顕在意識に追い立てられて課題に取り組み自分を置き去りにしているのである。さらに結果が出なくて追い込まれると傷物や犯罪行為、詐欺行為を受け入れろなどと極端な要求をし始める。  本当は自分が情熱を持って取り組んだ仕事や面白い、美しい、欲しい(役に立つ)と思う仕事をしてこれをお客の承認を得て売れたり流行(意識改革)になったりするのが理想である。

金持ちも高級品や一流の仕事人の世話になることが当たり前になると完璧主義が高じて未熟な自分の力でやることが恥ずかしい、許せないと思うようになり掃除や洗濯、洗い物、料理、子育てさえ人に頼んでしまうようになるがこれも自己疎外の例であろう。彼らはプレゼントを選ぶ時もホームパーティーを開く時も自分の感性や腕前で準備したものを評価されることが怖くなってブランド物や予約困難なお取り寄せ品やシェフなどに頼ってしまう。地道な勉強を疎ましく感じるからだ。それを庶民は金持ちの道楽で羨ましいと思いがちだけど本人達は気ままにできることが少なくなって窮屈さに甘んじているかも知れない。彼らがお金を使わないのも無邪気さや未熟なものを楽しむ心のゆとり、寛大さを失くしているからかも知れない。しかし女子校では女同士で言いたいことを言い合ってずいぶん相手を粗野に扱ったり、人の目を気にしない粗野な行動を日常化していると聞くのでマダムの皆様にはご自身を解放する可能性を秘めておられるし、殿方も男性の本質である物事のプロセスやメカニズムを追求する趣味に目覚められて既製品にはもう飽きたから自分でやるぞと自分のためのものづくりを始められるとよい。世間的に不美人で通っている人も恋人ができれば肯定されるように物の価値も人の価値もその時々で簡単に変わるのですから人生に行き詰まった時にはものの見方を変えることです。
仕事についても多くの人が自分の仕事を毛嫌いしているそうですが、ものを食べる時のように少なくとも自分で選んだ仕事をしているのだからとポジティブに咀嚼して心の栄養に変えるよう努めるべきです。食事術について書かれた本によれば人が好き好んで食べている物の方が健康に悪いと書いてありますけどね。闇雲に効果を求めると人はそれを免罪符として理由を省略します。業績アップのために労働力を限界まで搾取したり、ダイエットと称して自分を栄養失調に陥れたり逆に太りやすい体質に変えてしまったり体型の問題から性格の問題に転移させたり、失敗しているのに潮時を弁えず改善案も聞き入れずに頑固に抵抗したり、クオリティを求められないからこそ失政や旧態依然の皆が不幸になる体制がまかり通っているのに最大の利益を求めたり、クオリティを求められないにはそこまでして地位や立場を守る必要は無いという意味を含んでいるはずなのに暴力的手段に訴えて地位を守ろうとします。私の神や野次馬たちも私の真似をして批判的になっているらしいのですが、私の非難は人を前進させる力を持ち、一言一言が全世界の人に適用できるのに対し、彼らの批判はただ私の主張を否定し、足を引っ張るだけで対象が変わればその都度内容も理由も新しいものをこしらえなくてはならない。彼らは「すべての人がつながっている」ことを理解しておらず世界に還流する大きな思考の流れからそれを汲み取っていない、ゆえに似て非なるものなのですが私の邪魔をするという目的に適っているので「同じものを返す」という原則から外れていることを免罪しています。しかしそうして私を苦しめても能力差が埋まることは決してなく、「気が晴れる」こともありません。彼らは私が正当な抗議によって能力差を示すたびに劣等感を強化してますます効果に逃げ込み、依存するだけです。そして日陰者になっていく自分への怒り、惨めさ、孤独を私のせいにして一層私の非難と性質の異なるものを投げつけてくる、甘える。オウム返しをするにしてもそこに情熱や信念を持ってクオリティを追求していればお門違いの反抗も少しはマシなものになっただろうに効果を求めて悪意に染まり、悪を裁かず私を裁くという歪んだ正義感に支配されるから「俺は悪くない」の一点張りから抜け出せなくなるのです。そして自分が悪いことを裏付けるために暴力をふるうようになっている。彼らに求められているのは「俺は悪くない」以上の者になることだけどね。

効果があれば同じ過ちを繰り返しても許されるという考え方こそが社会問題や環境問題や政治の腐敗の元凶である。

彼らは私が無邪気に生きて馬鹿正直に困難に立ち向かっていた頃から調子に乗って悪いことをもたらしていたにも関わらず、それを見抜かれて居直っている。本来なら私に全権を与えて損害を償うべきでしょう。そもそも誰もが自分の選んだ仕事で苦労するのだから他人に苦労を世話してもらう必要なんてない。自分の苦労をやりながら人には素直に誠実にいいことをもたらすのが社会性動物の人生というものだ。そうすれば私だって非難のクオリティを追求したりしなかった。

彼等が捨てるべき固定観念の一つは「自分だけが損をする」という思い込みです。彼らがそう考えなくてはならないのは反社会的な態度をとっているからであり怠けているからです。例えば皆が文化祭の準備をワイワイやっているときに自分には関係ないと言って斜に構えて参加せず、それで自分だけ楽しくないのは不公平だと訴えるようなもの。家族の団らんでも好きじゃないおかずが出てこれを食べたくないから別のものを作ってくれと要求する子供がいます。そしてこれが通らないと外で排他的なグループを作って欲求を満たします。子どもは復讐までは考えませんが、例えば家族の分まで出前を取って家庭料理を否定することなどです。反社会的な人は自分の欲求を満たすための仕事への情熱も夢も生きる意欲も持ち合わせていないので社会に依存するより当てがなく徒党を組んで社会に損害と不公平をもたらすことで欲求を満たし、誰かに「参加しない奴が悪い」と言い放てる状況を再現しようとします。さらに最高の成果を求めて資産や幸福度を数値化してまでその格差を確認しようと他者を貶め、困窮させることを考えてしまう。そして一度作り上げた思考パターンから死ぬまで抜け出せずに他人を巻き込んで暗い世界で生きることを余儀なくされます。これを明かりに例えれば彼一人あるいは彼のグループの明かりで世界を照らしてやると豪語して白夜のような世界に人々と一緒に閉じこもっているようなものです。もっと多くの人が発光した方が明るいに決まっているのに自分が主導しているというだけで白夜を最高だと思い込む。あるいは生贄を焼いて明かりを足したりする。その頃には彼は自分のグループだけで世界(観)を成立させることができなくなっており、「自分だけが死ぬのは嫌だ」、「排除は人権侵害だ」とほざいて破綻した世界を維持したまま自分を依存させてくれることを要求する。要するに原点に戻っただけ。自分だけ儲けたいという考え方も社会全体を豊かにしないので同じように社会を立て直すために彼を排除する議論に向かうのですが、総括すればありもしない儲け話に乗って社会を混乱に陥れたバカをお縄にして一件落着というつまらないニュースにすぎません。16歳の男子高生がオンラインゲームで知り合った詐欺組織の幹部に誘われて飛行機に乗ってミャンマーまで行った事件も監禁事件ではなく最大の利益を求めた世間知らずの欲張りが同じ欲張りに利用されてバカを見ただけです。彼に同情の余地はない。彼が本来得るべき利益や報酬を割増ししようとした部分が他者にぶつかってトラブルになる、これが犯罪なんです。最高を求める人はそれ以下を認めないことで
限界にぶち当たっている。最高という言葉の響きに酔ってそれを求めることに限界なんて無いと当人は思い込んでいますが、最高を設定した時点で限界を見ているんです。それが手に入るか入らないか、あるいは手に入れて良いものかいけないものか、彼に許された選択肢はそれだけです。それは一瞬でわかることだ。

豊かな人は生まれながらに豊かです。才能、愛情、感情、運、運動神経、人脈(豊かな人と出会う運)、そして財産その他。その真に豊かな人々が本当は貧しい連中の豊かさの偽造による悪影響を受けて不適切で不相応な環境に追いやられている。それが私たちのイメージする厳しい現実、苦しみ多き世界の正体です。しかし偽造は死ぬまで偽造であります。真に豊かな人々を解放して彼らの影響を受ける世界こそが真に豊かな世界であることは明白です。にも関わらず根が貧しい人々はそれを信じられず固定観念にしがみついて解放(幸福の一歩)に踏み出せない。

かく言う私も生まれながらの掃き溜めの鶴で仮の姿でこの年まで生きてきました。だからといって彼らのように真の姿を隠して生き抜こうとは思いません。私は私の豊かさを前面に押し出して人々の幸福に奉仕し、私にとって適切な環境を要求し続けていく。

向上心とは最高と肩を並べることでも最高をコピーすることでもありません。自分で選んだ仕事や趣味や目標に情熱を持って取り組んでいれば自ずと新しい答えやアイデアがもたらされて同じことの繰り返しや惰性ではいられないということです。例えばあなたがラーメン屋やかき氷屋をやるとして看板メニューを考える時に既製品の寄せ集めのようなアイデアしか出せないようならその思考を全て捨てるべきです。あなたは効果を求めて自分を置き去りにしています。そこに向上はなく、きっとやりがいも見失うでしょう。客が来るから作る、客をさばくために仕事をする、それ以外考えられなくなる。そこに豊かさはない。あなたは豊かになること、幸福を実感することだけを考えるべきです。そして高周波を発するフィールドを広げて社会全体を明るく楽しい、ワクワクする空間に変えるべきです。

2/24 月曜日
16:30~17:30 大雪がやんで晴れてきたので水をもらいに出かけるとポリ公が3度、ヤマトが1度、偽軍人が4度縄張り行動を示した。逮捕することが犯罪者にとって良いことだと思ってない人は警察官になる資格がないと思います。全ての国民もこの考えを共有した方が豊かな社会を築けると思うんですがね。

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