3/19 水曜日
脱水攻撃13:15
スピリチュアルな本をさらに読み漁ると「私の善意や光が純粋であればあるほど世界はバランスを取るために純粋な悪を連れてくる」という記述を見つけ、これだなと思って読むことにした。しかし考えてみればそれは地上の神の嫉妬及びリストラへの恐れに対する対抗措置である。この仕組みは悪人(凡夫)や劣等生は善人から更生と進化のための知恵をもらい、善人は至らぬ者どもから受ける暴力や嫉妬、逆恨みなどのマイナスな感情を勝手に解釈して糧とせよ、善人の怒りは暴力であり罪だから至らぬ者どものワガママや愚痴に憤りを感じてはならないというものである。これに気づいて私は地獄出身者どもは生まれることを拒否しているのか、地上世界で横行している心霊現象も彼らが転生を拒否して現世に不法滞在し、生者に祟りを為すことで不法滞在を延長できると信じて起こしているのだろうかと考えた。そして現世は(先祖崇拝が行き過ぎた)死者ファーストの世界になっているのかと。確かに指乞食共も私に八つ当たりしてその場の感情を満足させながら自分の嫌いな世界、転生したくない世界を壊してもらうよう仕向けているように見える。そうして彼らは肉体を持たず、自分の人生をやらずに他者の人生にヤジを飛ばすだけのコンサルタントの真似事をやりたいのだ。そしてそのコストはどこから捻出するのかと言えば善人の怒りからである。怒る人には幸福を与えない、仕事も夢も思い通りにはさせないし、日常生活さえ満足に送らせてやらないといって人件費を削って彼らに配っているのである。ここで言う人件費には生活費、幸運や射幸品の獲得、仕事における成功、昇進、評価、パートナーの獲得、家族を含む権益集団の自然な形成及び強化、精神的な成長のためな心変わりの機会その他を含む。
特に私に対してはわざと怒らせるためのチンピラの派遣さえ行われて徹底的な人件費の収奪が行われている。さらには自身の壁を乗り越えさせてくれる十分な知恵を与えた頃を見計らって障害を取り除いて賞賛することで自分の手柄にしようという思惑が透けて見える。「若い頃の苦労は勝手でもせよという。私が苦労させてやったおかげであなたは大切なことに気づくことができたのだ、感謝しなさい」である。しかしその知恵を手に入れて得をするのは至らぬ者どもと無知を露呈して新参者による切り捨てに日夜怯えている地上の神であり私には何の得にもならない。手に入れた知恵によって予測できる不遇や犯罪、不快な出来事、嫉妬などを回避できる環境を作り上げられない限りは。彼にそんなつもりは毛頭ないだろうし、彼の地位を守ってやることは私の使命ではない。しかも彼は自身の生存戦略によって地頭の低能さを露呈して切り捨てられる可能性を高めていることに気づいていない。つまり漫画頭のバカな友人が女を落とすのにチンピラに襲わせて助けるという暴力主義に根差した作戦を提案するのと同じレベルである。彼は得意のオウム返しと屁理屈で絡む相手の応じて知性があるように見せかけているのであり彼及び彼らが善人になす全ての行いこそ人生で慎むべき罪なのである。
頑張っても報われない世界とは私が頑張ることで切り捨てられる人々の抵抗が強い世界である。私たちは努力することによって他者の壁となり困難となり先駆者となる。よって私たちが越えるべき壁とは他者の努力なのである。人生に前向きで勢いがある人は困難上等、ハードルは高い方がいいと言って努力家を歓迎するが、自分への絶望及び科学技術への依存及び老齢による思い込みによって努力を止めた人々は世界の思い込み(認知閾/にんちいき)や限界や障害となって努力家を邪魔者、冷血漢、体制の反対者と罵ってしがみつき、努力家に手を引いて壁を乗り越えさせてくれることを要求する。・・・言うまでもなくそれは努力家の課題ではない。この世に全知全能という存在はなく地上の神を含む多くの人々が偉人や私が解き明かした真実や心理の数々を知らずに現実を決めつけて無知な状態を(不適切であるが故に)維持しようと努力を放棄し、かつ他者の努力を妨害する。そうして切り捨てられる運命を引き寄せる。成長しない者は地位や力を手に入れた時に既にピークを迎えており、それを使いこなす頃には過去の栄光にすがる人となっている。だから厄介者にしかなり得ない。そして自身の地位を守るために努力家の人件費を奪う。訳知り顔の人々が私たちに「程々にせよ、頑張りすぎるな、弱みを見せよ、失敗談を話せ、嫌いな人にこそ感謝せよ」などとアドバイスするのは実は切り捨てられる人々にへつらって彼らを安心させてやれと代弁してやっているに過ぎない。つまり読者や視聴者は彼/彼女の売れるための営業活動を見せられているのである。本来なら至らぬ者どもから受けた障害や抵抗を乗り越えて成功した人は彼らに誠実な仕事や誠実な社会に適応するための努力を訴え、許す意志があるならば彼らを導くことを宣言するべきなのだ。そして人々が生まれたいと思う世界を作って魂の渋滞=少子高齢化社会を解消できるよう邁進するべきなのだ。
真の批判は真実及び光のエネルギー帯びた言葉のみであり、これにダメージを受けるものは失脚し(日没)、ダメージを受けないものが地位に昇る(日の出)というのが正しい世代交代、魂のサイクルなのである。真実が現実に定着しないのは人々の認知に障害があって真実を現実と認識しないからである。(+正論に逆らう自己免疫疾患)思い込みを捨てよ。
以前も指摘したが道具を使い始めると人は思い通りにならないことがおかしいと感じ始める。ゲームで上手くいかないことがあると腹が立ってしまうのはそのためだ。
分際に合わないものを手に入れてどうせあなたはそれを使いこなせない。使いこなせないが故に(なぜか)それを失うことを恐れて執着するだけ、無闇矢鱈にそれを振りかざすこと、乱発することが失わない方法だと信じてそれに操られるだけである。つまり原点回帰に抵抗して時に逆らっている状態。四畳半暮らしに幸せを感じてきた人はそこでの暮らしが一番性に合っているのだからただそこから不当な不便や憤りの元を取り除けば良い。不相応に広い家を手に入れたところで幸福にもなれなければ精神的な高みにも上がれないし、パフォーマンスを次の段階に引き上げることも出来ない。彼らが悪口や誹謗中傷と呼んでいるものは「分際をわきまえろ」以上のものではないはずであり他者はあなたの正体を見破り他者の人件費を奪うのをやめて自分の幸福に還れ、私の人件費を返せと伝えているのである。
・・・悪党が生存に執着するのも不相応な人生を送っているからであろうか。それに気づいて自分の本性は悪ではないと思い直すことが出来れば足を洗うだろうか。彼の本音が「生きたくない、しかし死にたくもないし、転生したくない」だとしたら執着の力を利用し続けるだろう。
全自動洗濯機を手に入れた人は汚れが落ちないことを洗濯機と洗剤のせいにする。そうして幾度となく新しい製品に買い替えて落ちない、落ちないと愚痴り続けて自分は一切それに関与しない。私にはiPhoneの新機種の価値が分からないが、最新機種を欲しがる人は実はそれを使いこなせていないのだと思う。生活のどの程度をサポートさせるかという加減を設定できていないのだ。だから新しい力を絶えず求めてしまう。彼は「過去は変えられない」を励みにしながらそれに挑み続けていることに気づいてやめるべきである。
人は趣味を持つことで上達を経験する機会が増えて自信と共に脳の情報処理の配線形成が活発になる。それが人の成長を加速させる。対して無趣味な人すなわち成長曲線に乗っていない人はどこにも属していないが故に(=自由)配線の組み換えが起こらず一歩も動くことが出来ない。彼らは未熟さを晒すことを非常に恥じているがチャレンジしている人はそれを恥とは思わない。プロスポーツ選手でも幼少時のプレーを振り返って幼稚だったと恥じたりしないだろう。その時のベストを尽くした、チャレンジしてきたと自負している限りは。人はやらなかったことを後悔する。人間関係においてはしてしまったことに後悔することが多いが、実はベストを尽くさなかったこと、チャレンジしなかったことを悔いているのである。あの時もっと知識があればと思い直したところで私達はその時知らないことを調べようともしなかった。正直であることや本音を打ち明けることの方が長い目で見た時に人間関係や人生がうまくいく(少なくとも納得できる)ことを知らなかった。ために私達はベストを尽くせなかったので後々になって後悔する羽目になっているのである。そして「今の人生が上手くいかないのはあの時にこうしなかったからだろうか?」とくよくよ考えてしまう人は現在も性懲りも無く原因を調べようとせずベストを尽くす準備をしていない。
リーディングの本に相手の可能性を承認し、自分の意見で問題を総括してしまわずに相手に「どうしたらいいと思う?」と聞いてみよなどと書いてあるが、相手が壁を乗り越えさせてくれとか自分の可能性を見出してくれとか、手を差し伸べたら責任を持って仕事を世話してくれなどと暗に要求する人はわざと溺れているように見えるのでどうしたって警戒してしまう。特に悪党どもは犯罪被害者に世間との仲介役を務めて身元保証人になることを要求する。NHKでもヘーゲルの『精神現象学』にかこつけて「分かっちゃいるけどやめられない」を啓蒙思想家は理解するべきとか福島県産の放射線汚染食品への心理的警戒心を戒めたりしているがそれはヘーゲルが主題としているアウフヘーベン/弁証法とは関係がないのであるが彼らは生き残りに必死にあるあまりとんなこじつけにも弁護を求めなくては気が休まらないのである。しかし本当に気が休まらないのは迫害生活から解放されたければ現役の犯罪者の身元を保証しろと脅迫されている人であろう。相手の立場を考えるべきは彼らの方である。
ついでに言えば指乞食どもも私が共犯者であれば見向きもしなかっただろう。彼らは味方とは挨拶もしなければ一緒に食事することも無いのだから。よって私の哲学や能力や仕事に対するヤジは言いがかりに過ぎない。電磁波レーザー兵器にしても明らかに自分に関心を引くために撃っている場面が増えているがそれを味方に向けることは無い。自分の周りがすべて味方でなければ安心できないと言いながら彼らとは一切コミュニケーションを取ろうとしない、こんなおかしな状況、条件は無い。彼らには何万人仲間がいても意味がなく、自分の家さえ居場所と思えない内々弁慶、境界性人格障害の症状を示して日を送るだけなら武器も味方も全て捨てるべきである。―――思春期か!家出でもしろ。
私達は一緒にいたいと思う人を変えたいとは思わないし、動物園の動物を含めて相手のそのままの姿を見ているのが楽しいし、幸せを感じられる人と一緒にいたいと思う。嫌われ者の方でも自分が面白い人間ならわざわざ敵を選んで自己顕示をしないだろう。彼は面白くない人間であるという前提で人を選ぶ自己顕示をするから人の気に障るのであり、彼は選んだ相手を面白くない人や不幸な人の処理係と決めつけることで侮辱しているのである。そんな人に目を付けられたらこちらは幸せになってはいけないと言われている気になる。あっち行けと怒るのは当然であろう。面白い人間になる努力をしろと言いたくもなる。あなたは味方を欲しがるから敵を作ることになる。味方が必要になるようなことをしなければいい。例えば宝くじの高額当選者が隠れて暮らさなければならないのは多くの人が自分の仕事を嫌ってお金は汚いことをして稼ぐものだと思い込んでいるからで綺麗なお金への嫉妬があるからである。だから人々は知り合いが綺麗なお金を手に入れたと聞かされるより宝くじの主催者が当選番号を操作して当たらないようにしているという噂を聞く方が安心するのだ。・・・しかしそんな世界があなたの本意ですか?
人間は生きている間に進化することを求められる稀有な動物である。

おのころ心平さんの『ゆるすいっち。』(主婦の友インフォス情報社)によれば人生に何らかの抑圧があって本来ある自分の才能に蓋をしているまたはされていると花粉症や眼精疲労、口内炎などの目、鼻、耳、口、皮膚に不快症状をもたらし、かつこだわりが増幅して本来の問題解決へのイメージが低下するという。そして「いつまでも不平不満をいうだけで同じ場所にとどまることを選択してしまう。さらに自分を見透かされることを怖れて必要以上に防衛的な態度をとってしまう」。


これらの症状及び状態は眉間のチャクラと関連があり、「ヨガ哲学で第6チャクラは知性、思考力、判断力、直観力、霊的透視力を司る。鼻はこのチャクラに含まれる代表的な器官。ONにすれば才能を開花させるため、夢を叶えるため、そしてより良い人生を歩むために必要な情報やチャンスを脳が自動的につかんでくれるようになる。これをシンクロニシティ(意味ある偶然の一致)という」。
眉間のチャクラをオンにするワークは朝、鏡に向かって眉間を注視しながら「あなた今日一日超ラッキーですよ。幸運があなたに舞い下りますよ」と2回唱える。(口に出さなくても良い)さらに午前中のうちに8人以上の人に幸運を祈る念を送ること。(すれ違う人で良い)
・・・自分の才能を抑圧している人は心理学やスピリチュアルや宗教、芸術、創作活動に希望やはけ口を求めがちだが開かれた洞察力/批判精神を抑圧して戦うことから逃げてしまったら抑圧に抑圧を重ねて精神を病んだり五感に不快症状を呈することになる。彼はまた視界に入った戦っている人に対しても無理だという念を送ってしまうだろう。彼は勝利や敗北によるリスクに注目するあまり戦い方や自分の理想像や目指す生活環境を具体的に意識することによって自分の性格や才能や本当に望んでいることを認識する機会を放棄している。武力や経済力や組織力では敵わないと思うならそれらで勝利を得ることを諦めて別の条件で戦えば良い。自分が権利と主張することは敵の権利としても認めることになるのだから暴力で勝ち取ったものは暴力で奪われるリスクがあり、相手にはその権利がある。あなたの強みは何?どう戦えば相手に不当な力を与えず、取り返されずに済むか、それを考えれば自分の才能に気づくことが出来るのではないか。私も怒りのエネルギーを知恵に変えることで自分の力にし、世界に拡散する希望としてきた。植物が光合成によって二酸化炭素を酸素に変換して世界に吐き出し、命を養っているように。(酸素はまた命を殺す)私も光合成の力を私の才能と自負している。心臓だけは私の批判をポジティブな力と認めず抵抗を示し、指乞食どももこれを利用して一日中心臓にレーザー攻撃をしているけどね。(味方が欲しくて仕方がない)
私は暴力によって成功を得ることに尻込みする普通の感覚を持つ人々に成功をもたらすことによって世界を変えたい。彼らに不当に奪われている人件費を返してあげたい。そのために暴力主義、死者ファーストの世界を終わらせる。
私のレポートは問題の解決または目標の達成のためのプログラミングでありこれをアップロードして世界に公表することによって毎週実行キーを押している。私はこれを黒板に貼り出されたラブレターにするつもりは無いし、そのようないじめをするヤツらに決して負けない。
『EIGHT JAM』の視聴は一週間の締めくくりとして至福の一時だ。プロがプロを褒め倒す1時間はやはり気持ちがいい。人は経験を重ねて成長するからこそ褒めどころが生まれるのであって褒めることによって自他に経験することの大切さを説く事に意義があるのだと思う。私の周りには私をやっつけてやろう、困らせてやろうという邪心を抱くばかりで自ら何も経験しようとしないので褒めるところが無い。逃亡することしか知らない草食獣タイプがハンターの真似事をしても何の経験にもならないと教え、敗北することの意味さえ諭してやっているのだがな。彼らは次の行動が読めているぞと牽制してもそれを無視してワンパターンを繰り返すのでもはや自然界では生き残れない。捕食者は牽制に無反応なところを見たらあとは飛びかかるだけだからね。
感謝の言葉には相手からの親切を労う意味もあるが「もう十分です」と伝えることによって相手との心理的な距離感を教える行為でもあると思う。強欲な人や依存的な人は取れるだけ取り、貰えるだけ貰おうとするので「ありがとう」を言わないしその意味を理解していない。だから自分のやりたいようにやって人を支配しておきながら感謝が足りないとか尊敬しろと凄んだり、形だけの謝辞や慰謝料を支払って謝ったつもりになれるのだ。相手にとって積み立てになっていることを意識しなくてはならないのでないか。
趣味は感謝や好きを言う機会を増やしてくれるものだから多趣味な人は幸せそうなんだな。私も趣味をやりたい。

コメント