まとめてつぶやき1073 自立とは不可侵の存在を否定して公平な視点を獲得することである

4/22 火曜日

10:21~:23,:35,11:05 ポイントに着くとヘリがスマホ起動前からスマホに取り付く。物事の一面しか見ない天動説信奉者の妄想がまた始まる。

10:23 嵐山の河川敷に侵入したトラックが脱水攻撃を仕掛けながら南へ移動する。→10:35 リターン。→:39 再び南へ移動。→:47 リターン。またこれだ。→:54 また南へ移動しながら入力障害をもたらす。加えてその正当化のための数字拾いを追加する。11:02,:16,:22,:30,:47,:53,12:08,:16,:24,:33,:38

10:38 戦闘機も合流。

11:00 偽軍人がうなる。

10:23,11:23,12:08,:38,13:15~:18/ 脱水攻撃。

13:15 ブロアー男接近して脱水攻撃。武器を持ったくらいでルールマスターを自負しているが国民に嘘をついているためにテロと防犯の区別がつかない。

 今週は「安全性」という言葉が鼻についたのでこの心理の仕組みを解き明かすことにする。いわく令和の人は上司に意見するにもアイデアを提案するにもまず安全性を確保しなければ(してもらわなければ)ならないらしい。そう思うなら上司なり国家に生存条件が厳しすぎると訴えて改善を求めればいいのにそれにすらリスクを感じてティッシュを2度に分けて使うような工夫を粛々とやっている。ために私の怒りは自身の成長と幸福と社会の進歩につながっているが、人々の行動や判断はこれらに結びついていないように見える。彼らはそれを職場や生活環境が安全な場所ではなく、上司も家族も信用ならないからだと言う。その理屈は銀行強盗が安全な逃亡を保証することを求めて人質を取って立てこもっているのと同じではないか。あるいは獲物を狩るのに直接対峙するのが怖いから罠を張って捕まえることを好むようなものだろう。つまり身体性の欠如を「安全」と信じている。なるほど強盗も丸腰の銀行員相手に武装して臨めば楽して大金が手に入ると思って凶行に及んだのだろうが逃走に失敗して立てこもる羽目になってなお安全性を要求するとは何事か。彼らはケーサツやマスコミや人質がそれを許せば以後透明人間として生きられると主張しているのである。逃亡に使用した車からでも潜伏先を特定される時代に犯行現場から立ち去ることに失敗したまぬけがそれ以上何を期待しても無駄なのに人質さえ彼らに同情して犯人の安全性を確保しようとする始末。バカな裁判における無罪判決も同種のイリュージョンを意図している。この有害な妄想をいかにして粉砕するか?賛成できる考え方をひとつも見せない。一つ一つの言動がいちいち悪を追求している。(愚痴タイム)そういう態度を見ると命を贅沢品と思えと言いたくなる。社会が老人や社会不適合者を生かしておくのはハンディキャップ理論に基づいて搾取者が国民に豊かさを誇示しているに過ぎない。しかし現実には彼らの見栄と贅沢によって子どもたちさえ貧困に喘いでいるのである。馬鹿の一つ覚えの攻撃を無機質に繰り返す乞食どももこれまでの人生を一つ覚えで生きてきてそこに愛着も信念もないから武器に簡単に一つしか出来ない行動の第一位を明け渡して悪習に染っているのだろう。そこにあるのは命令者のヒエラルキーだけで『ワンピース』のパシフィスタのようなものだ。命令に抗えない奴が何を守れるというのか!?自分の意思を示せない奴が問題をこじらせに絡んでくるな。(愚痴タイム終わり)

 人々の妄想もとい保守的な態度の根源はどこにあるかと言えば思春期における自立の失敗に求めることができる。『ヒトとサルのあいだ』にて説明されている思春期の仕組みを引用すると「幼児の全能感は自身の欲求を思うままに満たすことだけでなく他者から注目され、賞賛されることでも活性化する。外界を知るまでの幼児は母親及び家族の注目と賞賛を独占することで自己中心的な世界観を充実させるが、他者の存在を認識し、彼らが自分を認めてくれないだけでなく悪意や敵意を持つことさえあることを知る。すると彼は愛情不足を補うために自己愛に走り、自己への関心を強くしながら他者からの良い評価を一層渇望するようになる。そこで存在するだけで認めてくれる両親の価値観から離れて同級生や社会に認められる価値観に適応するため親離れする。本文ではこの時初めて人は「真実とは何か」を問い、同じ真実を求める同行者/仲間を見つけ出すと書かれているが、この真実を他者の幻想/全能感と誤解すると他者に支配されることになる。仲間や味方と信じた人たちもまた自身の全能感に唆されて彼に敵意や悪意を抱いたり裏切ったり利用したり嘘をついて騙したりするので安全保障のために他者の反応を意識しなければならないからである。今や両親に奔放に訴えてきたワガママを子どもながら満たしてやらなければならない立場になったことを受け入れ、真実を司る存在(強者)から仲間外れにされたら生きる資格を失うという強迫観念から不条理や理不尽な仕打ちに耐えることを覚悟する」。

 さらに私の言葉で補足すると支配者や雇用者は人間のこのような恐怖心を利用して「全て臣民及び労働者は自身の生存を脅かしうる者に服従しなければ生きる資格を失う」と人々に思い込ませることで支配するのだが、これは個人が初手の段階で親の小言や制止を自身の旺盛になっていく自意識を抑圧する非現実と決めつけてこれと対決するために同級生や社会の幻想と共闘することを選択したことに間違いがある。学問に真実を求める人は整合性のない理論には従わないという良心に基づいて自意識(良心の自由)を確保しながら道を踏み外すことなく安心して真理、真実を追究することができるが他者の感情論に道を踏み外さない保証はない上に友人間でも自然発生するパワーバランス/強者の理論に支配されてグループの秩序も個々人の人格も歪ませることになる。(12:08 全能感から命令を受けて妄想脱水攻撃。過去の映像に攻撃しても同じなのに妄想を正当化するために追いかけてくる)

 しかし彼らは立場が悪くなると嘘と妄言で取り繕い、暴力と脅迫で共同幻想の強化を図るため、もはやそれに従わなければ生存できない集団ではなくなっている。この烏合の衆をリセットするには親や私のようなストッパー役が必要なのだが、何故か服従させられている人を含めてこれを拒否してバリケードを築くというお決まりの行動を取る。これがデジタル思考である。曖昧さの中に身を置きたがるという意味ではアナログ思考でもあり、本文ではこうした状況を打開するのはデジタル思考の持ち主だと言って自閉症者の弁護を試みているが、現状はデジタル思考同士の衝突によって時間が凍結した事故現場のような状況なのだからこれを処理するのは生活習慣病の原因を特定するタイプのデジタル思考であり、広く学問の追究者である。つまり正しい真実のレールに乗った人の視点(による事態の収拾すなわち統合)が求められているのであって唯一にして最前の解決策はクラッシュを起こした人たちが真実を乗り換えることである。・・・残念ながら自閉症者にこれを宣言する能力は無い。

 人は分際を超えた力を手に入れるとつまらない者でも自分に従わなくては獲物に生きる資格はないと自惚れがちだが、これを否定してお前なんかに従わなくても被害者は生きる資格を失わないと命令を上書きしてやるのが世論や第三者の役割なのだが大衆は自立に失敗して真実を見失っているためにこの役割を引き受けない。それどころか国家犯罪や会社の不正さえ国や会社にとって良いことなのではないか、自分にとっても意味のあることなのではないかという関係妄想に走る。これを暴飲暴食やお菓子のちょこちょこ食べや喫煙習慣と同類と見なすなら自暴自棄である。明らかに悪いことをしているのだからその逆をやれば正しいという法則が成り立つのにこれを受け入れない。その理由こそ親の価値観への反発である。親の考えは古くて現実に則していないから拒否、更新しなくてはならないという思い込みが彼らを逆張りに縛り付ける。健全な考えをすれば成人したら親も人の子と見てその言動を公平に評価するべきなのに国家と同じく親を不可侵の存在にするから自立できない。また彼らを不可侵の存在として恐れることで恐れられる言動を期待されていると誤解させていることにも気づかない。そして不可侵の存在はこの世の真実の柱なのだから間違ったことをするはずがないと尾ひれを付けて、だからガザやウクライナへの空爆などを見ると犠牲者達がなにか悪い事をして粛清されたに違いないと考える。台風や豪雨や大地震に被災した人々にも同じ考えを抱いている可能性も否定できない。だから「不特定多数に政治的な主張を響かせるポイントは?」と検索すると「それは名誉毀損です」という記事が検索上位を占拠しているとそれ以上考えようとしない。(これにより彼らが設定したA.I.による意見とやらが偽物であることが判明した)また自民党が野党時代に生活保護受給者を恥じだと発言したことは名誉毀損なのに有権者はこれを非難しないで政権に返り咲かせた。―――このように「真実=強者の理論」という方程式が同級生の間にも会社にも政治にも見られることが分かると人々は真実を見失い、社会にその柱がないので個人が勝手にルールを作り出してもいいと考えるようになる。それが一億総批評家社会の実態であり、コンサルタントやネトウヨや投資家の発言力の増大の原因であろう。同時に精神病者の増加の原因でもある。全能感ネットワークの共同幻想。『サザエさん』のカツオのように相手が怒らないように気をつけていると分かるとあえて怒らせるようなことを畳み掛けたり怒鳴るという定型の罰を誘導する人もルールを支配したがっているのである。減らず口や甘えに基づく逆らい癖も真実を見失ったことによる迷走であろう。しかも悪いことを真実だと思いたい。

 そういう意味ではオンラインゲームでプレイヤー同士が会話しながら自分たちでミッションを決める仕組みを作ったのは間違いだったと言わざるを得ない。単純に文明の力の発展もそうだが、親がついて行かない、興味を持たないジャンルの専門性を追求すると子どもの精神的自立/家出の開始年齢は早まるが、ゲームを作った会社が責任をもって道を踏み外さないよう行動制限をかけている限りはフィクションとの関わりで済むけどプレイヤーがルールを支配するようになると殺人事件が発生するようになる。自分こそがルールマスターで「不可侵な存在は何をしても許される」と信じているからである。これが「真実」ですか?バグですよ。

 アメリカや政府・ケーサツを不可侵の存在として彼らの犯罪をひた隠し、これを暴くことを陰謀論とか名誉毀損とほざくマスコミも頭がバグっており、真実を見失っている。彼らは要するに両親を超える正論を確立できなかったアウトローであり、勢いで家を飛び出して都会に来て水商売や売春で生計を立てる女と同じである。自分がそれに手を染めたからには否定することはできないというだけ。それだますます親を神格化して反目しながらいつか許されることを願っている。学者でも打算的な人は定説を信仰するあまり新しい学説を生み出せず、学会の顔色ばかり伺って苦学者よりも裕福で華やかな暮らしをしていることを鼻にかけることしかできない。キリストやマザーテレサを愛の実践者と評価しながら崇拝するだけの人も愛を実践しないし、商売繁盛を願掛けしてそれを神がかった現象と思っている人は繁盛のために行動することがない。彼らが愚かなのは不可侵の存在は成長しなくていいと思っていることである。「いつでも願えば叶うので努力は要らない」と思うことが赤ん坊の全能感に基づく信念であると彼らは気づかない。

 神格化こそ成長の妨げ、意固地なこだわりの元凶である。人は自立することによって不可侵な存在を否定して公平な視点を獲得することで社会に適応するべきである。

 自分が親になったら決して聖域で暮らしているのではないこと、政府や上司やコーチやパートナーは不可侵の存在として扱われることを求めてきたが両親はそれを求めてこなかったこと、あるいは絶対的な存在を演じるために嘘や脅迫で取り繕っていたことに気づいて偽りの真実をリセットする機会とするべきなのだが、多くの人は安全保障を優先してしまう。本当は会社や国家に親のような精神的主柱になることを要求するべきなのだが、彼らもまた人の子で支えてくれる柱がいないからガキのような振る舞いをしても仕方がないと同情してしまうのだな。しかし真実を見失った者同士で慰め合っても事態が好転することは無い。真実の軌道に戻ることを考え、行動すべきなのだ。

 なぜ真実を見失うとあなたの敵が主張する真実も間違っていると決めつけるのか?あなたが判断を誤って去勢されないために嘘で取り繕っているんじゃないか。それこそが名誉毀損である。

 女性は幼い頃からしっかりしていて馬鹿な男の話をよく聞いてやり、自らダメ男好きや不器用な男好きを公言したり、あるいは推し活にハマったりするが、それはデジタル思考が強くコピー能力が高いからだろうか。言い換えれば要領がいい。できる人でもできない人でも対応できる。お肌の手入れやボディメンテナンスを日課として自分の軸を築き上げていることも功を奏しているのだろう。母親になる準備か。しかし生存条件が狭いために従順や雑用係や幼稚な男の相手役を引き受けることが多い。でもそれが女性の地位向上に繋がらないことは既に明白なのだからそろそろ戦略を変えるべき時だと思う。全能感ネットワークに絡め取られた現代人で他人に実力に応じた地位や立場を潔く与えられる人間がどれくらいいるかという話。まずは彼らの自立を促すべきだよ。

 今週は黄身が二つの幸運週!

私が考える変革は地動説で国民全員が悪習によって作り上げられた古いマインドを捨て考え方と習慣を改めなくてはならないと説くのに対し、一般的な知識人や大衆は天動説の立場からトップだけすげ替えて自分たちは太陽光に対する反応を変えれば十分と思っている。彼らはどんな時でも運動量を増やしたくないし、バイアスを変えたくないのであるから変えるべきは意識ではなく彼らにそれを言わせている無意識/全能感を変えなければならない。ちなみに試合で勝てない時期が続いて練習の鬼になったりべき論に縛られているアスリートも潜在意識が盛んに送ってくる野次(できない、勝てない、諦めろ)に飲み込まれないよう抵抗してオーバーワークをやらされているのである。両者とも潜在意識を超えてない(自立を勝ち取っていない)からその囁きに苦しめられ続けることになる。勝てば持ち物を壊されたり怪我をさせられるなどの暴力が待っているが、自分との戦いに安全性を求めることは叶わない。リスクを取らなければ一生「嫌だ」かべき論を言い続けることになる。かくいう私もグズの人生や仕事を楽しめない人生が嫌だから大衆という全能感ネットワークに勝つためにべき論で挑んでいるけども。自分と向き合って理性的に建設的に生きるために怠け者のDVと戦わなければならないことは宿命なのであって自分を怒らせないように生きる人は必ず堕落する。

 頭に浮かんだ通りに補足すると天動説は太陽は常に一面しか地球に見せないが、地球の全面を把握しておきたいという考え方。したがって太陽の恩恵を受けられないと暗黒時代を送ることになる故に権威主義や独裁国家の考えに傾倒する。対して地動説は地球が太陽の全面を把握しつつ、さらに自転によって自身の全面をさらしつつ、太陽を見ないという選択もできる。これにより夜に対する認識が変わる。人に見られていないから、または愛されないから悪いことをするという発想は天動説に基づいており、先の組織に問題が起こったら頭だけすげ替えて政治方針を変えればいいという考え方も天動説、前例踏襲型の日本の裁判もチンピラ共の責任回避のためのマニュアル遵守も天動説、太陽の面を変えれば状況が変わると期待するのは太陽の全容を把握していないからである。地動説の立場では故に必要があれば太陽を取り替えることを辞さない。全容を把握していれば代わりを用意することも改良版を開発することも可能だからである。賢者は世間と和合しないゆえに貧しい暮らしに甘んじなければならないと云うけれど世間の方が人や物事の一面しか見ないから話が通じないのだ。「想像力が足りない」という注意も一面からしか物を見てないから言われることであろう。物事を一面からしか見ないし、見られていないと決め付ける態度が打算と際限のない不満、欲望、闘争、競争を生み、そんな人が正しい判断を下せる道理はないのだから無駄な抵抗と浪費と自然破壊をやめてジェネラリストに転向することを考えてもらいたい。細分化や専門化は正攻法ではなかったのだ。それを本当に生かすには統合する人(=ジェネラリスト、アナログ思考)が不可欠でそれは分業してやることじゃなく個人が自分の頭の中でやるべきことなのである。そしてこれが出来る状態で「人に迷惑をかけてはいけない」という社会通念を持てばより効率的で優しい世界を構築できるのではないかと思う。『ヒトとサルのあいだ』の著者も農耕民族は人間中心主義に基づいて人間の指導者を中心に集団の方針を決めるから利益追求を止められず際限なく街と自然と人間らしさを破壊し、破壊者を賞賛しなければ生きる資格を失うとのたまわせているが、狩猟採集民族は自然と一体化することで狩りの成果を最大にすることを第一義として自分たちの生活環境を破壊する愚を犯さなかっただけでなくこれを指導する恐れのある有能な技術者に特別な地位を与えなかったと分析している。ゆえに自然界の秩序を乱すような人口増加を認めない一方で子どもを溺愛して育て、学習も状況判断も本人の自主性に任せ、体罰を行わなかったという。生きることは死に背を向けることではない。死を踏まえて最善の人生を選択することだ。乞食どもの捕食誘発行動は人生ではない。傍若無人に利益を追求する者が一番偉いなんて馬鹿な暴論は直ちに廃棄して人類は真実を見直さなくてはならない。

 先週川崎重工業が自衛隊員への接待と金品の手渡しを6年間に渡って行っており、13億円が所得隠しに当たるとして6億円の追徴課税を課された事件が報道されていたが今週の日曜日にはテレ東で自衛隊の特番を流した。マスコミの認識では自衛隊は裏金を受け取っても不問なの?

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