6/11 水曜日
11:19~ レポートの作成を開始。
11:19~13:04,:36 脱水攻撃1111
13:01 戦闘機がうなる。
6/13 金曜日
9:55,:57 ポイントに着くなりヘリがうなり、リターン時にスマホの入力障害を開始する。その後私の周囲を旋回。妄想野郎から武器を取り上げろ!1111
9:56 加筆修正を開始。
10:50~ 役所のブロアー隊が入力障害に接近してくる。怒るとおちょくる。
13:06 しばらく間があってまたゴミ収集車で接近してきた。手前のゴミを放置したまま。そして脱水攻撃。
13:28 これを回避してロックオンの電波内から離れるとヘリが追ってきて私の周りを旋回する。
私は日々どんどん変化していっているが人と環境が付いてこない。効果が遅いなら人に高みから行動しろと指示できる立場ではないじゃないか。
庭木には「ありがとうポイント」というのがあって幹の特定の場所や太い根っこが走っている地面に水をあてるとありがとうという言葉や良い反応が返ってきてそれで必要な水の量なんかも分かるのだが、家の壁や台所用品や便器などにもありがとうポイントがあることに気づき、そこにキレイにしないと掃除完了を認定されないらしいことが分かった。したがって私にとって掃除はありがとうポイントを稼ぐゲームのようになっている。
今朝大型ゴミを持って行ってもらった。七時までに出し終えて間もなく回収に来たことからモニタリングをされていた可能性を疑ったが、とにかく外国人は孤独な重労働でも心に悪感情を持つことなく仕事をするので好感が持てた。一方で日本人は宅配業者でも生協でも心の中でブツブツ不満を漏らしながら蜂が唸っているような感情で仕事をするので気配を感じているだけでこちらも気分が悪くなる。その上ストーキングや挑発をされてもやっぱりなとしか思わない。プライドの持ち方が歪んでいるんだ。自分で選んだ仕事だろう。
汚れていじけた家具なども捨てるしかない奴は掃除の足を引っ張るし、良いことをした後や開運グッズ除霊アイテムを手に入れた時に必ずイライラさせるような意地悪を仕掛けてくる。でもキレイにしてやれば素直さを取り戻す物のある。人間でもいじけた時にするべきことは復讐や八つ当たりではなく自分の身を綺麗にすることだろうと思う。
無視もサインの一つなら(サイレントハラスメント)、世間の人々が私に示す反応はテロリストと同じということになる。「大衆が正論を無視する理由」で検索すると既存の価値観と対立するからだという回答を得られたが、より真実に近いのは「人は利益があるから差別をするのだ」という考察の方だろう。人々はどんな体制下でも利益を見出そうとし、最適解を求めない。古古古米の放出に6時間も前から並ぶ人々の行動を見ても彼らの考える利益とは意図的に止められていた米であっても手に入りさえすればとりあえず一安心するというものでその裏にある新米の法外な値上げやその裏交渉には関心を示さない。しかも市民みんなに行き渡らなくても構わない。Switch2の抽選販売と同列に考えている。日本人は求める利益が小さすぎ、かつ平等や公平性に関する期待や信念が欠落している。ゆえに利益と幸福が別問題になっている。幸福感は一人きりで独占的に感じるものではなく空間レベルで幸福に満たされることが不可欠だからだ。さもなければ難破船から自分と家族さえ生還できればラッキーでその他の乗員乗客はみんな死んでしまっても構わないという考えになる。今の日本人はそれを満足と言ってしまいそうな危険性がある。・・・きっと日本人は政府がその程度の恩恵(全員に行き渡るには到底足りない形だけの配給)しかもたらさないことを学習してしまったのだろう。心が若い親は休日ごとに子どもを遊びに連れ出したり、新しい経験を提案したりするが、疲れ果てた親や老化した親は会話もろくにせず、ホスピタリティーや家族サービスを提供する心のゆとりもない。それに家族が慣れてしまった状態とおなじ。関係改善が必要なこともそれには片方か双方が頑張って良い働きかけをする必要があることも考えないし、実行しようとも思わない。サインを示す以上のことをしてこなかったからだ。できることしかしない人は丸腰だろうと強力な武器や手段を装備しようと結局「できない」に落ち着くしかない。使わなくなったダイエット食品や健康器具の山を作る人も人生に疲れ切っているゆえにすぐに諦めてしまい、自分を諦めながら利益を求めるからいい加減な目先の利益ばかり求めてしまうのだ。今の日本人が公平性を欠いているのは劣等感と自分に対する失望のせい。科学的には美男美女こそが平均的な人間であるのに「美人は三日で飽きる」とか「イケメンにはろくな人がいない」とか言ってけなしているから平均にもなれないでいじけている。どうすれば日本人を立ち直らせることができるだろうか?
草食動物だった人類が肉食を始めてガンや生活習慣病を病み、殺人に手を染めるようになった。その対策としてベリタリアンの食事を勧めることは既存の価値観に対する脅威ではない。
古古古米の放出についてもう少し掘り下げておくとこれが5キロ2000円(1925円)で買えるということは新米がこの値段で買える時代は終わったということ。その背景にはJA農協、ケルト人の息のかかった特定の農家が輸出専用で米を作り、それを海外の価格基準で売りたいという要求があり、価格調整のために国内品の法外な値上げに踏み切ったと考えられる。これは海産物にも見られる手口である。政府がEUのように「作りすぎた分は輸出に回すので減反政策を廃止して農家の皆さんにはどんどん米を作ってもらいます」と言わないのもブランド価格にこだわっているからであろう。また外国人の小麦離れを避けたい意図もあるか。日本米を日本の価格で売ることで外国人は体と心の健康を取り戻せるのに(と言っても今の日本人よりはるかに健康的でアグレッシブだが)、自分たちの儲けにしか興味のない連中は日本人の家計に大打撃を与えても何にも感じない。取引先からそれは違うんじゃないかとでも言われない限り何をしても許されると思っている。日本の貿易は腐っている。
―――ちなみに『日曜報道THE PRIME』によれば新米の値上げによって利益が前年比4.8倍(15億3300万円増)になる農家がいるそうだ。その一方で国民には輸入米を食わせる環境を整えている。元外務省官僚が言うところの「植民地化」ですな。
それから同じ番組で岸田元首相をゲストに呼んで新NISAとプラチナNISAの宣伝をしていたが、あれは国民の資産を管理する中央銀行の役割を果たしているんだなと思った。ケルト人はとにかく自分たちが起こした脅威で人々を混乱に陥れて操作したい。お前らが起こす波が不安だからみんな家庭金融資産を貯めているんだよ。
一方、『サンデーモーニング』の松原氏は韓国が民主党政権になったことで対日関係が悪化する可能性を示唆したが、日本政府/自民党も米民主党支持者なんだからその対立はヤラセだろう。日本が北朝鮮主導の統一朝鮮構想に賛同していることを日本人に知られたくないから嘘をついているんだ。韓国では大統領が真実を語ったのにカルト集団がデモを起こして国民を騙し、大統領を罷免に追いやった。日韓の国民はいつ目覚めるのか?
有害な奴が有害な物を避け、面白くない奴が面白くないことを避けながら他人には多様性を認めて自分を受け入れろと要求する。人殺しがムキになって社会に留まる理由も分からないが棲み分けるという選択こそが多様性の実践なのではないのか。それと排他的なグループに「出て行け!」と言うことが。これに対して暴力的に反抗して居座ろうとする連中こそが多様性の破壊者である。多様性の視点から言えば重要なのはどこに住むかではなく、人類や地球全体にとって有益な活動をしているかどうかであり、各々の活動に適した場所に住むべきである。政治を犯罪ありきで語るから社会通念が歪んでしまう。犯罪的手段を使わなければ仕事ができない奴は社会不適合者だろ。社会から出て行けよ。
・・・さて今回もこれらを裏付けるすごい弁護団を引いたぞ。『養老孟司 ガクモンの壁』(日経サイエンス編、日経ビジネス文庫) 一日ではまとめきれなかったので木曜以降に加筆する。
P.48 「マルクス主義は貧乏をあってはならない状態と考え、食うことを人間の基本とするが、それでは食うや食わずだった農民はどうやって生きていたのかという点を見落としてしまう。食うや食わずの人ほど壮大な夢を叶えたくなる」、すなわちイノベーションの動機やアイデアにアクセスしやすい。
科学的に人間を見れば能力や性格や心理的なものはある程度は遺伝的なものと考える。しかし「日本の場合、教育が環境絶対主義―――教育しだいで能力が変わるという考えだから教育の場にいると遺伝ということがとても言いにくい。環境絶対主義こそ偏見で私は顔が似ていれば頭の中も似ているでしょうと言うんです」(蛙の子は蛙)。
教育心理学および行動遺伝学の安藤寿康(じゅこう)氏は降水確率に例えて「80%雨が降ると言われても残りの20%に賭けて傘を持たないで出ても何とかなるさということが許される社会でないと遺伝であることを知ることに対する恐怖感を人々はいつまでももち続けることになるでしょう。」そしてその反動でそんな研究は危険だと規制される可能性があると述べます。これに対し養老氏は「人間なんてだいたい遺伝で能力が決まってしまうんだと言うと受験戦争から解放される人だってずいぶん出てくるんですね。そうすると自分はどんなところに行ったら役に立つだろうかということを本気になって探すのではないでしょうか。それを今は環境次第で何とかなる(何にでもなれる)、努力すれば何とかなると言うからみんなが勉強に苦しんでいる」と答えます。
茂上―――私も人生はピントを合わせていく作業のような気が最近しているのでやりたいや好き嫌いが先走りして道に迷ったり、もっともっとと身にもならないことを貪欲に求め続けたり無い物ねだりに執着するなどして人格を狂わせるより自分に関する情報や知識を収集して仕事でも好き嫌いでも食事でも体重でも資産でも結婚相手でもピントを合わせていく生き方をした方が変化への耐性も付いて良いのではないかと思います。
「安藤―――私もそう思うのですが、誰がそれを言うかによって受け取られ方が違ってくるのではないでしょうか。人を切り捨てるような発言に受け取られることもあるのではないですか」。
「養老―――私は、そういうことはあまり気にしていないのです。少なくとも大学の中ではそのようなことを言ってもいいのではないかな。多くの人は、大学の塀は社会から大学を守るためにあると考えていらっしゃいますが、私は全く逆。研究者が本当のことを言うと社会にとんでもない害を与えるから塀を作って大学を隔離しておくのです。本当のことの中には言って悪いこともあるのですが、学問には本来そうした制約を外すという約束があるはずです。しかし日本の場合は学問は独立していなくて、社会への影響を考慮しながら研究成果について発言しなければいけなくなっている」。
茂上―――私も現実/学問的知識と社会幻想の二つの考えを学ぶことで人々は判断力を身に付けるべきだと思うし、政府は幻想に甘えている立場で現実を扱う学者に挑むべきではない。悪意や国家転覆の意図なんて関係なく、研究成果を発表すれば自動的に政府や社会体制を追い込むことになるなら現実を生きていない多数派の人々が間違っているのであって私も学者達が黙っているがゆえに巨悪を叩き潰すための尽きない知識の鉱山を所有することになる。政府が日本学術会議の人事を掌握したとしても学問/真実/現実は決して彼らに微笑まないだろう。(私も日本学術会議が戦力になるとは一度も思ったこと無いしな)
むしろSNSも一般人向けの本音を話す場として解放、独立させるべき。庶民が何を言っても政治を変えることなんてできないと自惚れているなら尚のこと政府は国民を必要以上に恐れるべきではなく、むしろ自己表現するなら中身のあることを言えと言うべきだろう。受け手が中身のあることを恐れていたら学者の言うことはみんな脅威になってしまうが、それは現実への適応能力に問題があるのであって責任転嫁であろう。研究者たちは常に時代を反映したテーマを選んで研究しているはずなのでその成果は個人や社会の状態を知る手段となり、知っておいて損は無いはず。問題視された人や習慣の方が反証を研究することで社会は進歩する。敵対関係ではなく二人三脚をイメージするべし。
「安藤―――遺伝の研究は天才児とか大きな障害を持っている人にとっては役に立つかもしれないが、普通の人にはあまり関係ないのではないかとしばしば言われるが私は逆の考えを持っています。突出した人は、目立つから、みんなですぐに環境を作ってあげられる。日本では傑出した人をより伸ばそうということはあまり行われないですが、障害児を何とかしようという声は上がる。(=偏差値性インポ) しかし凡人は何でもそこそこできる。それで努力すればオリンピックにだって行けるかもしれないなどと勘違いしてしまう。だから行動遺伝学という学問はむしろ凡人にとって意味があるのではないかと思います」。「力の使い方や努力の方向を間違えないようにすることが大事だから」。
茂上―――自分に関する情報を集めることが望ましいのも良い条件はどれだけ求めても自分を活かしてはくれないから。条件に合わせようとしている時には適応行動しかしていないのであなた本来の能力は手付かずのままになることが多い。それならば「認知的不協和」という心理を逆手にとって不遇の環境や報酬が少ない仕事にやりがいや価値を付加するべくアレンジしたり我を通す方が身になる。どうせ思い通りにならない人生なら生き長らえることに執着する必要は無い。太く短く生きて独自の遺伝子を作り上げるべき。
●細胞死から生命を問い直す田沼靖一(専門は生化学と分子細胞生物学)(P.170~)
「細胞には死のプログラムが遺伝子としてきちんとセットされている。これまでに死の実行役である酵素(DNaseγ)を一つ発見し、現在はDNAに損傷を受けた細胞がその後生き続けるか死ぬかをどのように決めているかという機構に興味をもって研究を進めている」。
細胞には二通りあり、その死にも二通りある。再生系の細胞は血液や肝臓や皮膚のように元になる幹細胞があってそこから絶えず新しい細胞が供給されるものでその機能を果たして老化すると死の機構が働いて自死し、新しい細胞と入れ替わる。この細胞死の機構のことをアポトーシスといい、再生系細胞は細胞の循環によって血液や臓器の機能を維持している。
もう一つは非再生系の細胞で人の誕生から死まで一度も増殖することなく生き続け、ゆえに入れ替えの効かない細胞で心筋細胞や神経細胞がこれに当たる。神経細胞は脳内で一日10万個ずつ死んでいるが、入れ替わるとその細胞が持つ記憶がなくなってしまうといわれ、心筋細胞の方は入れ替わる時に心臓が止まってしまう可能性があるためその死は個体の死に直結している。学会ではこちらの死の機構もアポトーシスと呼んでいるが田沼氏は「アポビオーシス」と呼ぶことを提唱している。
「長い間、細胞が死ぬということは傷つけられたり、毒物を浴びたりした細胞が崩壊するというイメージで捉えられてきたが、30年前に細胞が縮んで断片化され、ついには周りの細胞に吸収されるという死に方が見つかった。発見者はこの死に方を見て細胞が自ら死を選び、きちんと手順を踏んで死を実行していると考え、アポトーシス(自死)と名付けた。アポはギリシャ語で離れるを意味し、プトーシスは落ちるを意味する。すなわち枯葉が落ちる様子を表している」。
アポトーシスの例胎生期に800万個オタマジャクシがカエルになるときに尻尾がなくなる現象や人間の胎児が指の形成に際して水かきを退化させるなど形質的なものと非再生系の神経細胞や卵細胞のように余分を大量に作っておいて神経回路網の形成や妊娠が確実に遂行されてから余分を消去するという戦略がある。卵細胞は胎生期に800万個作られ、誕生時に80万個に減り、閉経期にゼロになる。一方、神経細胞は体全体で1000億から2000億個、脳全体では860億個、大脳皮質で140億個あり、毎日10万から20万個ずつ死んでいくが、近年の研究では大人になっても作られ続けることがわかっている。
養老―――有性生殖では毎回遺伝子の組み合わせを変えて個体を作り直している。なぜ、そんな面倒なことをするかというと、多様化によっていろいろな環境に適応できるように保険をかけているわけです。
田沼―――組み合わせの数からみて、有性生殖では、同じゲノムは二度とできないですから・・・・・・。生物は何になるかわからないけれど、とりあえず広い範囲のさまざまなものを作っておいて、だめなものやいらなくなったものは消去していくという戦略をとっているんだと思います。―――それだから、不要なものを消去するプログラムが重要になる。
「神経細胞はただ単に古くなったから死ぬわけではなく神経栄養因子といわれるものが生き続けなさいという指令/環境情報を減らすことによって細胞に死を促し、細胞は自ら死の実行装置を動かすと私は考えています」。(アポビオーシスの場合。アポトーシスを促す環境情報は「死んで下さい」)
「再生系細胞の死はリニューアルの死です。組織に古い細胞がたまると、機能が停滞してしまいますだから個体としての統制をとるためには、たえず細胞を更新して、不要になったほうをきちんと処理する必要がある。細胞の死のプログラムが整っていないと、生体として成り立たないわけです」。
茂上―――個体=社会とすれば過度に政治化した社会を自然な、ニュートラルな社会集団に戻すために細胞死は必要で人口減少は古い個体(幻想ベースのグループ)がアポトーシス(市民の死)およびアポビオーシス(政権交代)拒否して環境を固定してしまうことで遺伝子が適応に有利なモデルだけ産めばいいと判断して起こるのだろうか。それで作る型が無いから身体障害者や自閉症や新しい病気を持った個体を作り出してしまうのかも知れない。しかし人間はこの実験的な個体を消去することも拒否するから多様性を否定し、種全体の進化や発展さえ妨げることになる。
田沼―――遺伝子の中には、突然変異などによって変異が蓄積していきます。(=政治化)有性生殖というシステムには、そういう遺伝的荷重をリセットするという意味もあって、新たなゲノムを作っては検定(クオリティーコントロール)しているわけです。変異をもつ古い遺伝子が、新しい遺伝子と混じり合ってしまっては意味がありません。そこで、古い遺伝子をきちんと消去するために個体(=政体)を消去しようとする。これがアポビオーシスだと考えています。
(ドーキンスの利己的な遺伝子との比較を受けて)有性生殖では、減数分裂のときに遺伝子がシャッフルされますから、同じ遺伝子がずっと生き延びていくわけではないですね。そういう意味で、利己的ではない。新たな遺伝子が生き延びていくために、古い遺伝子が自ら死んでいくのですから、むしろ利他的と言ってもよいのではないかと思います。本質的には自死的なのです。
養老―――自分だけが生き残ることを前提にしていないんですね。その生物種が全体として多様性を増し、さまざまな環境に適応できるようにするために自分は死ぬ。
田沼―――死は初めから遺伝子に書き込まれているのです。死というものはこのように決まるのだということが科学的に明らかになれば、科学に縁のない人の人生観だって変わるかも知れません。
茂上―――同時に政府や資本家が都市や学校・職場環境を画一化し過ぎないよう自制することも重要。同じ環境では同じ人間しか作られない。それでは直面した種の脅威や壁を乗り越えることができない。日本人としともアメリカの背中を追っていても日本人のポテンシャルを引き出すことは出来ないのだから日本にピントを合わせるべき。今の日本人に元気がないのは幻想を追っていじけているからだろう。どんな境遇にあっても自分自身にピントを合わせて独自の遺伝子を伝え育てるんだという生物本来の生きる動機を諦めるべきではない。そして「個人の能力や体質は遺伝で決まっている」ことを市民に伝達するのは現実を生きている学者達が担うべきで幻想に生きている政府、マスコミ、ケーサツは反対に回るべきである。学者達が自身の研究成果を人権侵害や差別に利用されることを警戒しているのは声が大きい彼らなのだから。そうして現実と幻想を競争関係で併存させることで行き過ぎた合理化や幻想に抑制をかけるシステムを作り上げる。鳩の集団のように一羽の号令でみんなが飛び立ってしまったら誰も抜け駆けができない、すなわち幸せになれない。「日本人は傑出した人をより伸ばそうとしない」ことを引用したが、不遇の時ほど良い方向に変化しよう、ピントを合わせようと意欲が強いのに世間が何をやっても認めない、良いことをすると不運をもたらす、努力を嘲笑うという態度でいたら個人も集団も幸せの勘所が掴めないままで話が進まない。最近の科学者は問題解決に際して因果関係への固執から離れるよう考え方をシフトし始めているらしく、それで幻想グループが「批判するよりアイデアを与えよ」とか「やってみなければ分からない」「常識を疑え」「潜在意識に願いを言ってそれを強く信じればどんな願いも叶う」などとうそぶいているのだが、思い込みや信仰や悪習に囚われたままで真逆のことを願ったって両立するわけがない。一方をONにすれば必ず他方をOFFにしなくてはしなくてはならない。もっと言えば現実を見直すときには科学者や合理主義者、ビジネスマンが合理化・基準化しすぎて削除してしまったことを再検証してブレイクスルーをもたらさなくてはならないのでその担い手は現実グループから発生するはずである。(先に紹介した78%対22%の法則) 自分たちが提唱した思想を自分たちで修正するからこそ矛盾や対立が起こらない。宗教団体で内部抗争が起こるのは自分たちで作った思想ではなく、無条件に信じることを求め、かつその程度によってヒエラルキーを構築するからである。したがって幻想グループから生まれるブレイクスルーは幻想の否定でしか有り得ない。幻想への統合および吸収は変革/原点回帰ではないからね。では幻想グループ(時代遅れによる中高年の落ちこぼれおよび若い社会不適合者)は何のために生きて権力を振りかざすのか、この議論に我々は直面しなくてはならない。読者の皆さんにも以下の養老氏の意見をどのように理解するかを考えてみてください。
養老―――難問に当たったとき、こういうふうに問題が解けるんだという前提が科学にはあるんです。つまり結果には必ず原因があると。だけど脳はそうは考えない。むしろ、そういう問題が解消するように脳の構造を頭の中で作っていくんではないか。要するに原因と結果が区別できないように、因果関係にならないようにつくっていく。だから電子回路的な意味でのスイッチを考えると多分間違っちゃうと思う。
宗教は行く先を教えてくれるけれども生き方を教えてくれない。逆に科学は生き方だけ教えるけど、行く先を教えてくれない。この両者をどうやってくっつけるかというのが教育でいつも難しい。
茂上―――大衆が社会寿命制度を理解できるようになるのは皆がピントを合わせる生き方に目覚めて「捨てるしかない奴」の区別がつくようになった時であろう。その感覚は日々の掃除洗濯で特に核となる汚れを落とした時やゴミの主を捨てた時に気づくでしょう。→12:44 偽軍人が股間を空爆。
「自国ファースト」や利己主義者の考え方も欺瞞であるから欲しいものや望ましい自分を自分の内から生み出すことを考えるべき。他者や他国から何かを学ぶとしてもそれを目先の利益にするのではなく自分自身の変化のきっかけにするべきである。それには即物的な考えを捨てて時間に振り回されないことが重要、あなたを追い立てる時間は幻想の世界の時間でしかないのだ。
合理主義者や完璧主義者、体験絶対主義者はその場その場のタスクや経験に対応しているだけで心が伴っていないので一緒にいても手応えがないし、愛されている実感も感じられない、元気をもらえない。元気は小手先の技術や言葉で作り出すものじゃなく心を通わせることによって与え合うものである。人に心を与えるには動揺に揺るがない強さと切り替えの良さ、自分の愛を信じきること、それを打算することなく出し惜しみしない姿勢が必要である。多くの人は人の期待に応えようとはしてももらった愛を同じだけ返さなくてはいけないとは思わない。しかし愛も能力も感謝もお金も最初に無理をしてでも出さなくては出力を上げていくことはできない。全力を出すには一つずつギアを作っていく必要があり、小さい頃から積み重ねてきたことが大人になって大成し、また10代20代前半からコツコツ続けてきたことが40代になって大成し、仕事ができる人になる。そういう意味では終身雇用制の社員教育は間違っていなかった。欧米の企業や今の日本企業はしきりに「即戦力」を求めるが、マニュアル通りに正確に動く機械人間が欲しいだけで若者が経営陣の仕事観を超えてその事業を発展させる考え方や能力を開発することを恐れながら「仕事ができる人」を求めている。これは矛盾である。そうして仕事に本気で向き合っていないから淘汰されるのであり、幻想に生き、若者を洗脳しなければならない。そんな人達が地位を占めている会社で仕事から元気を貰えるはずもない。この点で年功序列制は悪習であった。幻想の世界にブレイクスルーを起こすのは心を持った社員である。平等社会は現実と幻想の二つのグループが競争関係により併存することで成立することをこの本から学ぶべし。
・・・ただし、イメージ的に清貧で内省的なインド人をボロカスに書いた本を入手したのでこれを読んで日本人への助言を変える可能性がある。ゆとり教育という形で日本の若者にも悪影響は出ているから。インド人は多分ベジタリアンでも甘いものを摂りすぎているのだと思う。
ちなみにこの本を読んでいる途中でウツボが支えがないと歩けないみすぼらしい体と薬物中毒者丸出しの灰色がかった肌を見せつけてきたが、本にパーキンソン病の記述があってこれだなと直感した。ドーパミン中毒者の成れの果て。自業自得なのに私のせいにして運動を司る小脳と右足を執拗に攻撃してくる。こいつの子が車椅子なのもパーキンソン病だとしたらのび太も同じ道を辿る可能性は高く、3代でパーキンソン病と統合失調症を患うジャンキー、殺人鬼ということになる。滅ぶのは確定だな、早く取り除いてもらいたい。
「 ※パーキンソン病―――通常、中高年以降に発症する手のふるえやからだの動きが悪くなる病気。脳内のドーパミンが不足することによって起こる」
今週も最後まで読んで下さりありがとうございます。

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