まとめてつぶやき1081 便利さという権力を制御せよ

6/18 水曜日

『親を愛せない子どもたち 少年・少女の心理がわかる本』(元愛知医大小児科教授 久徳クリニック院長 久徳重盛、大和出版、1998年初版)

 彼は「人間の子はなぜ育て方によってどんな子にでも育つ“恐ろしい能力を持った動物の子”なのであろうかということを三十年近く考えつづけてきた」。彼が約四十年間にわたってクリニックで親子を診察し、また公演のために全国を回った結果、日本人の親の95%が子どもをどう育てて良いかを知らず、ともすれば文明生活を楽しく生きる足枷になると考えていることを知った。「もし動物の親がそうなったら、子は自然淘汰によって死んでしまうのに」、人間の子は死亡しない。そして死亡しないゆえに精神に異常をきたして登校拒否、ニート、家庭内暴力、万引き、暴走族、シンナー遊び、覚せい剤の乱用、売春、弱いものいじめ、オヤジ狩り、殺人などを行う悪魔のような子に育ってしまう。

 「なぜ、高度成長がはじまるのと並行して日本が子育てのむずかしい国になったのか。これを学問的に解明するするのは育児学を専門とする小児科医の責任と思いついて、私は高度成長がはじまっていた昭和三十五年頃から、ぜんそく、心身症、登校拒否症などの症例の検討、治療を通じ、この問題の学問的な解決に取り組むことにした。―――その結果、人間だけが“悪魔の愛情“をもつにいたった謎や問題のある子や大人の増加の原因を解明することができた。彼らはわが国が文明国(経済大国)になったことによって、子どもが育つ畑に相当する親、家族、教育、友人関係、近所づき合い、遊びの種類、その他が総合的にこわされてしまったことにより、”文明国型人間形成障害“に陥っているのであり、一つ一つの症例は決して特殊な例ではない。これらの現象について政府や一部の学者は”心の問題“といっているが、この考え方は正しくなく、”心身機能のひずみによる人間形成障害病“であることが判明している」。

 「非常に残念なことに、日本では昭和三十五年頃にぜんそくの研究と治療がはじまりもう四十年になるというのに、ぜんそくの根本療法は日本全体としては進んでいませんね。この四十年間でアレルギーの治療だけでは全治させにくいことが分かり、いまステロイド剤の吸入療法が可能になって症状は昔より軽くすることができるようになりましたが、まだぜんそくは昔と同じように分からない病気、根治できない病気というのが日本の現状ですね」。

 「私もアレルギーの研究から入り、古い文献をたくさん読みましたが、治ったという報告がずいぶんあり、ぜんそくは気の持ちようで自然にも治る病気なんだということに気づき、その仕組みを発見してやろう、それを医学的に使えばぜんそくは根治できるはずだ、と思いました。ちょうどそのとき恩師の坂本陽教授の講義でぜんそく、夜尿症などは『しつけと体質の病気だ』と聞いて、親のしつけの誤り→子どもの心と体の働きのひずみ→アレルギー→ぜんそく発作という発症の流れを思いつき、人間医学とアレルギーとをくっつけた、ぜんそくの総合医学説ができてしまったのです。これが人間形成医学の道に進むきっかけとなりました。それから三十年間、ほかの研究者はアレルギーだけでぜんそく治療をつづけたが、私は昭和五十四年にクリニックを開院すると『ぜんそく征服ジャーナル』という月刊誌を発刊して『総合医学的根本療法』の道を歩んできました。いま久徳クリニックでは老人、大人、小児ぜんそくともに、患者の七十~八十パーセントは一年から三年で比較的簡単に治る。」(一般では10年から20年も苦しみ続ける患者がいる) 百人から二百人に一人の重症難治性ぜんそくは、学習入院療法という特殊な入院方法で、一~二ヶ月で小児は79%、大人は89%根治するところまで治療効果をあげている。―――しかしこの根本療法が日本にひろく広がるのは、まだ二十から三十年はかかるのではないかと考えている。人間形成医学は医師にとってもそれほどむずかしい医学のようである」。

茂上―――医師会が患者の回復よりも自分たちの地位やしきたりを重んじているせいでしょう。医師が「絶対に助ける!」と言えるのも彼らの地位や意向を守った上でのことで、それに反する治療を行えば闇医者の烙印を押されて潰されてしまいます。それで人間形成医学は今のところ医学界で確立された地位を築いておらず、政府、マスコミも大衆もほとんどの人が知りません。ネットや口コミでこのクリニックを調べて診察に来る親御さんとて「もう治療はやめます。私たちの努力で治します」、「しつけの仕方を変えなければ治らないのならもうこの子はどうなってもかまいません」「私の子ですから私の好きなようにします」「親が努力しなければならないなら死んでもいいです」などと言って親に変化を求める治療法を疑って断念してしまいます。彼はこのような親を育児放棄型の親と分類し、彼らは“できのよい子は好き、できの悪い子はいらない”という心理に支配され、子どもがピンチになると努力をまったくしなくなり、病気にかかってもあっさり治療する気をなくしてしまうと分析しました。そしてこのような親は年々増加しているそうです。私の周りにも人生を放棄して自暴自棄的に筋違いの反抗を繰り返す人が多数いますが、そのように親の社会行動に指針や信念がない故に子どももそれを学び取れず、外界での振る舞い方や友達の作り方が分からず逃げ出してしまうのではないかと思います。(いたたまれない気持ちになる。・・・居た堪らないが正解?)

 ちなみに彼の診察によれば喘息は甘やかされてのんびり育てられた子に起こりやすいという。

 「0から六歳までに人間の基礎づくりに失敗した子は、しつけのためのいろいろな病気にかかりやすいだけでなく、10~15歳と25歳前後にも問題を抱えた子に育ちやすい」。「そして同じく1~6歳までの子どもに対応できない人は当然それ以上の年齢の子の問題にも対応できないので思春期の子に対してお手上げ状態になってしまう」。

茂上―――九九ができない子が関数に進んでも分からないのと同じですね。しかし授業も子どもの成長も私たちを待ってはくれません。

人間は子どもを未熟児として産むだけでなく、親自身も育児本能が未熟な状態で子を産む(もつ)。したがってどう育てて良いか分からなくても子育てに手間をかけることが好きであれば自分で調べたり、母親や祖母やベテランの助産婦さんに教わったりママ友仲間と情報交換したりして無知を補うことが出来るし、子どもと信頼関係を築くことは可能である。そうして3歳までに子どもと良好な関係を築いておけば以降は子どもの方からお手伝いを申し出たり、ままごとや運動に誘ってきたり、積極的に話しかけてきたり、質問したり、絵本の読み聞かせをねだったりして母親に働き掛けてくるようになるのでこれに適切な対応をしていれば人間の基礎づくりを助けてあげることも出来る。

 しかし政府、官僚、経済人による間違った経済成長及び企業教育によりまず父親が子育ての戦力として役に立たなくなった。単純に残業や休日出勤、接待ゴルフなどで家庭を顧みなくなり、親が倒れたときには上司も同情して早退を認めてくれたりするが、同僚と子育てについて語り合ったり、子どもが熱を出したから帰りますと言っても認められるものではないので息子のステータスを確認するくらいで日常的に情報交換することも無い。そして子どものことをよく知らないので問題が起こった時に責任を取ったり子どもにとって良い家庭環境を作ろうと努力することもない。教育にかかるお金だけ出して教師なり医者なり習い事のコーチなりにしつけてもらえという態度を貫いている。

 その傾向は共働きをする母親にも伝染し、久徳氏は自分で育てていると言っても多くのことを他人に依存していると指摘する。「母乳の代わりに粉ミルク、インスタント離乳食、食事も冷凍食品やスーパー、デパ地下のお惣菜、宅配サービス、運動は水泳教室や体操教室、勉強は学習塾、しつけは保育園、幼稚園、小中学校におまかせ」

 ―――これに加えて特に大都市における核家族化による孤立化の問題。ただでさえ便利な生活に慣れたことによって非合理で想定外の行動ばかりして余分な仕事とストレスを増やし続ける子どもを許しがたい存在、邪魔な存在と思うことがあり、これとの葛藤に苦しんでいるときに周囲がその大変さを理解せず、さらに仕事や雑用を言いつけられたり裏切られたと感じる出来事に直面すると緊張の糸がぷっつりと切れて「もうどうでもいい」という気持ちなるという。

茂上―――動物の世界とは違って人間社会では親になる前に機能的人間になることを求められますので親たちは社会におけるポジショニング争いを意識して習い事を手当り次第に詰め込んだりエスカレーター式の有名進学校へのお受験に躍起になるのではないでしょうか。まず有名な団体に所属させることで親子共々第一段階のステータスを獲得し、次にそこでタイトルの一つでも獲らせることができればその道の強豪校からの推薦入学及びその先の就職に有利になると考えて、育成ゲームでもするように完璧に合理的な子育てをしているつもりになっているのかも知れません。・・・ただし子どもの体力・気力ゲージに気を配っていないため、精神的疲労からあるいは練習についていけない劣等感から子どもが休みたいと言い出すとこれに対応できず、「怠けている」とか「気持ちで負けてる」とか「自分からやりたいと言ったのに」と責めたり、あるいは「うちの子は物にならない」と見限って好きにしなさいなどと言って身を引いてしまいます。久徳氏はこのように幼少期からステータスを求めて人間性を育てることを疎かにする育児法に警鐘を鳴らしていらっしゃるんですよね。成功者にも優れた人格は求められるし、政治家や上司にそれがないと言ってみんな嘆いている現状を見よと。彼らの特性は寄生、依存、怠惰、脅迫、開き直り、やりっ放し、幻想です。これに倣って若者たちも個人的な感情や意見のみで世界を完結(民意を確定)してしまい、思い通りにならない人を自己完結の世界の住民として認めない態度を固めています。

久徳―――人間が知識で動物を育てることを飼育という。人間は下等なハマチや鮎やブロイラー(鶏)や牛や豚を餌をやって生かしておけば大きくすることができる。人間の子も餌を食べさせて体を大きくすることはできるが、ハウツー育児では子どもの人間性を充実させることはできず、多かれ少なかれ問題のある子どもや大人になる。知識を詰め込んでインテリになるほど子育ては下手になるという脳の仕組みも知られている。

茂上―――教育と育児を切り離してしまった歪んだ競争社会では教育が単なる資格(社会的地位)を取得するための手段に成り下がっていますが、その一方で競争を否定してみんな仲良くしましょうと教えるのは身分制度への服従を要求しているに他ならない。だから人の心すなわち人権意識なんて養わなくていい、捨ててしまえという方針になるのです。老人が死を拒絶することの弊害。心(愛)が無いから相手の意見はどんなことでも受け入れられない。そればかりかドーパミン中毒と人格障害によって厄介者、老害、役立たずになったことを自覚しているがゆえに一層社会的地位や立場への執着が強くなり、また彼らによって作られた風潮を利用する者が増加したのです。その点で本能行動を司る動物脳を抑制したことは進化の失敗とする先生の主張とは異なる意見を持っています。私は、子育ては子どもを全能感による支配から解き放ち、はだかの王様の座から引きずり降ろしてあげること、自己完結の世界(観)を滅ぼしてあげることに目的があると考えます。例えば食べ物の好き嫌いを克服させるために食材を巧みに加工して子どもに働き掛けることがその一例で、高級料理と言って出せば何でも有難がって食べる大人との関係性では得られない経験(お互いに)がそこにあります。このような働き掛けには愛があり、信頼関係を築く手段として適切です。逆に何の例も示さず「叱らないで育てるのが良い教育」と提唱する人には現状把握が欠けており、不干渉主義の訓練および普及運動にしか聞こえません。親が子どものどんな行動に腹を立てているかを見ると兄弟やクラスメイトをいじめたり、いじわるをしたり、嘘をついたり、食べたくないからと皿をひっくり返すなど人間関係を壊したり、人に嫌われて孤立する恐れのある行動に対して反射的に怒ることが多い。それは単に子どもが言うことを聞かないとか生意気を言うとか逆らうことで親の自尊心を傷つけた罪で怒るのとは一線を画す愛情表現の一つです。

久徳―――この頃の日本のお母さんの多くは、「こうしなさい」「こうしなければ駄目!」「なんど言っても分からないのね」などとことばで育てるものだと勘違いしてしまっているのではないだろうか。実際、ガミガミいって子育てをする親はガミガミいえばよい子になるはずだと信じている。しかし人間をふくめた動物の育児の原則は、親と子で一緒に行動し、生活する中でのかかわりあい、生活体験で子を育てるということである。ことばは人間としてのルールとケジメを教えるために使う。そして自分で育てるにしても保母さんや教師に預けるにしても「こんな大人になってもらいたい」と思える人に育ててもらうことが必要である。愛情がなくただビジネスで保育や教育をする人や人間的に変な人/人格障害者、性格異常者は避けるべき。(理想を言えば)テレビに映る人も友だちも子どもから見てよい人間の見本でなければならない。

茂上―――最近では生活体験で語るからこそ相手を叱れなくなるという親の言葉をちょくちょく聞きますね。サインを多用する人は相手の言葉を聞かないんです。だから相対的にこちらもサインに対してどう反応を返すのが正解か分かりにくいということがあります。毎回同じ反応を示していれば相手は満足なのかもしれませんが、それは飼い犬に食事の度にお手を強要して服従を示すことを求めているのと同じことなので人間扱いされていないような気がして不愉快です。また日本では社会的地位や経済力や有利な立場を手に入れるとそこに安住して生産的なことをしなくなり、他人を蹴落すことで暇を潰したり、安住を脅かす進歩的な人を妨害することにムキになります。これは全体主義の考え方で、この人の子どもが登校拒否になった場合、学校で親と同様の地位を確立できなかったために逃げ出したと考えられ、その子が家庭内でヒエラルキーに支配されて暮らしていることを表します。そのやり方は小学校のクラス程度の集団でも通用しないのですから学校でも児童相談所でもその虐待親の自己完結の世界観を滅ぼして児童を奴隷状態から解放してやる必要がありますが、権力に狂った毒親は我が城を落とされることに抵抗して学校や役所に対してもイニシアチブを取ろうと強権的に振る舞います。これは先進国になったことが原因ではなく、権力を手に入れた者の未熟さに問題があります。

 さらに世の中が便利になったことで母権社会に移行したこととそれにも関わらず世の母親が育児不能症になったことはヒエラルキーが家庭内に侵入したことを表しています。夫は家のことや家族のことを知らないから妻と対等に話すことができず(爪切りの位置さえ分からない)、会社と同じように上司にへつらい、黙って従わなくてはならなくなった。勤勉と節約に価値観を置く父権社会から夫婦の関係性が変わったわけではありませんが、母親に余暇ができ、あるいは共働きをするようになったことで彼女がいかに楽で家事の負担が少なく快適に過ごせるかということを重視した母親中心の家庭環境が作られるようになりました。子どもの数が少なくなったのも母乳の出が悪くなったのも母親が早く卒乳させて働きに出たい、自分の人生を充実させたいと望んだからで父権社会と比べて離婚率が増加したのも女性が家庭内で便利さ=権力を行使し始めたからです。ついでに近所付き合いが希薄になったのも女性同士の腹の探り合いが始まったからでしょう。本来の母権社会は母親たちの集団が地域社会の中心となって家族ぐるみの付き合いの輪を広げ、専業主婦のゆったりとした時間軸で子どもの成長と共に発展していこう、集団内に問題が起こったらみんなで立ち止まって考えようという社会(三歩進んで二歩下がる)ですが、社会進出した女性はまもなく男性化して時間の使い方も男性以上にせっかちになってしまったので子どもや旦那を物扱い、邪魔者扱いする人も珍しくありません。それで人間性の形成どころではなくなったのです。そしてこの性格が親の背中を見て育つ子どもたちにそのまま伝わってしまっているのですから頭でっかちの勝気な、しかし自信の無い繊細な若者に育つのも無理もありません。

久徳―――ほんとうの自由とは、個人としての義務や責任をしっかり果たせば、自分の判断で自由に考え、行動してよいということだが、今の日本は無責任な自由に満ちあふれた、個人としての責任をもつことのできない人の多い個人主義の国になった。それと並行して男女同権の思想も歪んでしまった。雄と雌がしっかり分かれているのが高等動物の特徴であるが、民族の衰亡期には男女同質思想(男と女は同じ=同性愛、女だけ出産の苦しみを味わうのは不公平)が現れる。それはカタツムリなど雌雄同体の下等動物への接近ということになり、生物的退化の考え方である。

 1979年に名古屋で国際児童年を記念するシンポジウムに呼ばれたとき、会が終わったあとに出席していたユニセフの職員に次のような話をした。「いまの世界の発展途上国はみな先進国の仲間入りをする努力をしています。そういう国々に、先進国型の病気や心身形成のひずみ、先進国型の育児崩壊について報告して指導をしておかないと、世界の文明国型不健康児はますますふえてしまいます。WHOで予防と治療対策を確立して指導する必要があると思います」。

ところがその職員は次のように答えた。「問題なのは発展途上国の子どもたちなのです。先進国の子どもたちの健康は問題ありません」

茂上―――この話を聞くと多くの日本人は久徳氏は無礼な奴だと感じるだろう。海外留学の経験がある人は普通の会話と思うが。日本にはこうした全体主義の下地があるので一層道徳上、教育上の悪影響を受けやすいのです。

久徳―――医学的にはすでに四十年以上も前から、妊娠八ヶ月以後の胎児はすでに子宮の中で「感じのよい親」と「いやな親」を見分けていることが分かっており、感じの悪い親からのミルクを拒絶します。それは言葉遅れの子にも見られ、実家の祖母とはよくおしゃべりするが、母親とは一切口を利かない子がいます。これらは乳児の心身症で『母源病』の一つに数えられます。そして親嫌いを人間形成の基礎に組み込んでしまった子は親だけでなくクラスメイトや隣人、会社の人から通行人まで嫌い、その上自分の家も社会も嫌いといってその嫌いな家に閉じこもるようになります。あるいは家に寄り付かなくなって夜の街を徘徊して悪い遊びや犯罪に巻き込まれて自暴自棄的な気分を満たしていくことになります。そうして親や家を恨み続けながら自分自身もどんどん人に嫌われる人間になっていくのです。

 1975年には経団連で「文明の進歩にともなう育児崩壊」とぜんそくの話をしましたが、ある企業の人から「先生の話はよく分かります。しかし日本は経済至上主義の方向で船はもう出てしまっているので、私の企業だけが方針を変えるとつぶれてしまいます」といわれた。それから二十年後、神戸の少年Aの事件をきっかけに政府も日本丸という船に問題があるのではないかと気づきはじめ、心とか教育を変えるというようになったが、考え方がピント外れであるだけでなく、すでに四十年近くも手遅れになっており、日本丸は経済のピンチだけでなく、人間崩壊という点でも沈没寸前まで来ている。

茂上―――それでも彼らはそのままの方向で行くより仕方がないと無責任な覚悟を決めているのでしょうね。

久徳―――それに少子化対策をするといっても政府は統計的な少子化をくいとめようという数合せしか考えていないのですよ。子どもをたくさん産めと言うからには産んだ子が健全な大人に育つように親、家庭、教育、社会などすべてを環境のよい国にしなくてはなりません。そうしなければ問題のある子ばかりできて、かえって親子の不幸がエスカレートし、また政府にだまされたということになりますからね。しかし政府はその実情と仕組みさえ把握しておらず改善法も知りません。

 念のために付け加えておくが、医学には身体医学と心身医学と人間形成医学とがある。「人間だからかかる病気」「文明病」は身体医学では絶対といってよいほど根治しない。

茂上―――一般の賢い人たちも西洋的な対症療法だけで病気や体が良くならないことを知っています。

久徳―――園芸業の人も知っている、果樹でも水や栄養が多すぎると枝は伸び、葉もよく繁るけれど、花も実もつきにくくなると。収穫を増やすには根を切ったり幹を傷つけたりして親木の生活を苦しくしなければならない。

茂上―――政府はこれを真に受けて国民の生活を苦しめ続けていますが、園芸家と同じように葉や枝をいくら伸ばしても評価されないのでは努力の仕様がありませんね。人間の場合には葉や枝を伸ばす努力と花や実をつける努力の2種類があることを知っていてもらわなければ。たとえば縁の下の力持ちと言われる人たちですね。梨園の妻とかトップアスリートの妻、それに人が嫌がる仕事を率先してやる人たち、彼らは人間的に尊敬するに値する仕事をしていて子育ても立派に成し遂げられるのにラーメン評論家のように自慢にならないとか金にならないということでないがしろにされています。特に男性陣は裏方の人を下に見る傾向が高い。家事も同じで「当たり前」のことをしているだけだと言うんです。しかしそうして評価されない美徳作るから子どもたちは自立に迷うのではないでしょうか。階級意識の高い人は地位を手に入れると生産性のあることを全くやらなくなって何十年でも怠惰で愚かなことを繰り返すじゃないですか。なぜそんな人達の再評価をしないんですか?子育てや知識、文化の伝承を考えれば子どもに伝えるべきことを仕事や習慣と呼ぶべきでしょう。それをきちんとしている人たちを評価しないのはおかしいです。これは豊かさとは本来関係ないことだと思います。「文明国では必ず出産と育児の乖離現象がおこって、産んでも育てることのできない親が現れる。また育児不能症の一つの現象として、母乳分泌不能現象が現れて八十パーセントの母親から母乳が出なくなってしまいます。昔の文明国はこうなるとあっという間にその民族が自滅したのですね。大局的に見ると人間は自滅するために文明環境をつくる動物ということですね」。―――こんなことは有り得ないことだ!

 ※日本では昭和二十年まで母乳による授乳率は80%であったが、高度経済成長が始まった昭和三十年から四十年にかけて20%台に低下した。古代文明(ネアンデルタール人の集落)が滅んだ理由をこれに求める説は有力だと思う。

 人は便利=権力を手に入れると善悪によるリミッターを外して感情に走る。しかしそれは薬で言えば臨床試験段階で危険な副作用が確認された不良品である。我々は権力を製品化して誰もがそれを扱えるようにしなければならないが、その所有者が純化しようとしないのは自分だけがその効果を独占したいからである。つまり「誰も文句が言えない」状況を少しでも味わうと病みつきになって幻想から逃れられなくなってしまう。その魔力は彼の支配下のある人々には有効かも知れないが第三者には全く価値のないものである。だからこそ民主化運動という発想が生まれたのであり、権力者側が自作自演で作りだした運動にだまされることなくまっとうな人間性を備えた人々が勇気を持って彼らの幻想世界を滅ぼして自立を支援してやるべきである。

 森友学園問題で財務省近畿財務局の職員が自殺した事件においてももし彼が妻に公文書の改ざんをやらされていることを相談し、死ぬほど悩んでいるなら私が世間に告発してやるわと妻が行動を起こしていたとしたら結末は変わっていただろうが、日本社会はこれを良しとしない。表立って妻を非難する人はいないとしても。同じことは日本政府と在日米軍の密約にも言えるが、なぜ米軍が関わっていると分かったらテレビ局の会長の権限をもってしても真実を報道することが出来ないのか。(日曜ドラマ『キャスター』より) 殺人を犯してまで守らなくてはならない平和などあるものか。幻想を殺して何が悪い?誰が困る? 日常に困ることがなく暇を持て余している人が幻想で気が狂っているんです。彼らがそうして寝ぼけている間に世の中ははるかに進んでいますよ。そして権力や社会的地位は世の中を進めるため、大きな仕事をするために設けたはずです。種無しのはだかの王様には下々民の世界に降りて頂いて苦労してもらいましょう。

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