まとめてつぶやき1020 日本人は文化を捨てることで雇用と生きがいを減らしている

4/23 火曜日

9:29~:40 ヤマトが路駐して走って配達、名乗らない。車に戻ってからスマホにレーザーを向けながらうじうじ時間を稼ぐ。それならほふく前進で配達しろ。

12:05~ レポートの作成を開始。

12:55,13:18,:32,:35~:38~:39~:42~:44 電磁場がセットされたらしい。脱水攻撃のアイドリングが始まる。

13:03~ 足裏しびれレーザーに切り替え。退屈にしびれを切らしたのは奴らの方だ。死ねばいいのに。退屈だから暴力を振るう、そんな奴は社会に要らない。

13:35~:44 自動販売機の補充業者が撃っているのか?ヤマトが地下鉄駅には入ってこられないから。外に出ると高さ調節をしてもらっていた戦闘機が背後から撃ちながらトイレまで追ってくる。

14:04 仕上げは南禅寺辺りで帰りながらやるかと歩いているとポリ公が蹴上で待ち伏せして射程距離を誇示するように私の背中に横レーザーを撃ってきた。(150~200メートルか) 力を誇示したいならコソコソしてないで世間に喧嘩を売れよ。正当化するための言葉がないから黙って付きまとい、世間に認知されていない兵器にすがるのだ。

14:30~ また足裏しびれ攻撃が始まる。

14:44 唸る偽軍人。

15:42~:48 帰宅するとヘリがスマホに取り付き、ヘリコプターの文化的価値を破壊する。

15:50 戦闘機が敗北を認めず戦争を冒瀆している。私は丸腰の孤軍奮闘で戦略を立ててお前らに勝ったのだ。戦争に敬意を払え、偽軍人め!

4/24

10:18~:28私が仕事を始めるのを待ってヤマトが路駐しに来て10分計って去る。仕事をモードに入ればスマホを避けないと期待するからだ。毎日来るなら1ヶ月分をまとめて注文しろよと思うのだがルークその他は名乗ることも出来ない偽配達員の犯罪教唆のために泡銭を還元して要らないものを注文している。ドライバー不足はこいつらの自作自演だ。

4/25

9:23 出る。

9:24 大通りに出る交差点でヤマトが3台で囲む。

9:27,:28,:31 丸太町通から川端通りに至る4分間にヤマト1台、佐川2台、そして覆面パトカーの空サイレン挑発に遭う。ゼロからそれをやって職業に昇格できるのか?

10:33 ワードプレスにログインするとヘリが出てくる。

 鷺(サギ)を烏(カラス)と言いくるめる―――正しいことを正しくないように、また正しくないことを正しいことのように言い張って世の理非曲直を乱すこと。

鹿を指して馬となす―――間違ったことを権力をもって強引に押し通すこと。人を愚弄して白を黒と言い張ること。馬鹿の語源である。

元となった故事では秦の始皇帝が亡くなった後、側近の趙高(ちょうこう)が幼少の二世皇帝を侮って自身の権勢を試そうと鹿を馬と偽って献上して実権を握った後、これを鹿だと指摘した家臣を悉く処刑したとされているが史実では始皇帝が遺言にて父にも堂々と意見する聡明な長男の扶蘇(ふそ)を後継者に指名していたが趙高がこれを書き換えて末子で頭の良くない胡亥(こがい)を即位させて実権を握ったとある。この時趙高を恐れる家臣は胡亥を認め、屈しない家臣は扶蘇を支持した。

この種の「馬鹿」は紀元前より全く進歩せず現代にも忌々しく存在していて悪事がバレているのに証拠を出せと言い張り、負けを認めず勝っていると言い張り、人間のクズのくせに権力者振り、死んでいるのに生きていると言い張って生者を目の敵にする。彼らが馬鹿にされるのは馬と鹿の区別も付かないほど愚かで聞き分けがなく、かつ社会的信用を無視しているからである。

寿命が尽きた者は迫害妄想に対する自己防衛策として合法/違法の境界を探って迷惑行動と嘘をついて利益を得る快感に浸る。彼らを好意的に解釈する人々は「彼らは生者の関心や同情を集めたいのだ」とか「自分だけ降りて罪を一手に引き受させられるのは損だという心理が働いている」とか「日本人は集団行動を重んじるので忠誠行動にのめり込みやすい」などの弁護を与えるが、ここでの論点は彼らが悪事や破壊行為に限って食指が動くということであり明白に犯罪者であることである。したがって彼らが高齢化社会において有権者の最大勢力を誇り、与党を牛耳っていることに最大級の警戒を発しなければならず、「老害」とか「生きにくい社会」などと曖昧な話に終始せず、彼らがはっきりとした害意をもって生者の人生を妨害していることに対して早急に対策を講じなければならない。彼らから選挙権及び被選挙権を剥奪することはその第一歩であろう。

 時間潰しで働く人の共通点は他者の弱みに付け込んでいること。仕事とは本来自分の能力を用いて社会に貢献することであるが彼らには社会貢献の意思がないから理屈をこねてニーズを創り出し、我々にいつまでも困っていることを強要する。しかしこの世の原理原則は人間の意思など聞きやしない。必要なものは必要で要らないものは要らない。白いものは白く、黒いものは黒い。

 この世の正義はその行為が職業レベルに達していることを一つの基準としていて個人個人がその水準を満たす義務がある。他者が職業レベルに引き上げた社会活動を便乗しただけでは同業者を名乗るべきではなく各人の社会的信用と責任によって業界を成り立させなければならない。

 とすれば我々に捨てるべき文化はなく、音楽でも本でもファッションでもおもちゃでも家具でもネット注文で手に入れるのではなくそれこそ100でも200でも店を作って全時代の商品を手に取って見られるようにして人々が好きな時代の文化を楽しめるような街づくりをした方が良いし、それが自然なことだと思う。全てを現代化することに価値はない。伝統工芸品の方が一流品で現代の品は子供騙しの外国人が作った手抜き商品ということがあるのだから。アンティークというジャンルに入れて庶民の手に届かない価格にすることにも何の価値もない。道楽者が金にものを言わせてプロの世界に介入するから質が下がるのだ。金は文化の維持に必要かもしれないが金持ちは文化の破壊者である。生者は彼らの時間潰し、暇潰しのために消費されてはならない。紀元前以来の馬鹿の戯言をいい加減克服しましょう。

*13:18 4/23 脱水攻撃。

 4/17 水曜日

てんかん攻撃対策に線香を焚くことを思い付く。寺でも使われている白檀の香りに眠気覚ましの効果が有りそうだ。―――と言っても敵が出力を上げて無効にしてくるので最初の一度しかはっきりとした効果を確認できていないが。最近は昼間にもてんかん攻撃を仕掛けられて字が崩れるので書き直す時間が無駄になっている。ほんとに邪魔な奴らだ。

 京都ハンディクラフトセンター脇の路地にある民泊施設のエリアには電磁場が張られていて夜になると起動しているようだ。確か民泊を導入し始めた時に外国人が夜中に騒いで迷惑だとニュースで言っていたが、「民泊の宣伝をやめて迷惑者を暴力で追い払ってやろう!」というのが彼らの答え。結局民泊を発案した奴の財布が潤っだけだ。その程度の政策なら最初からやるな。

4/21

13:55~15:56 2時間のてんかん攻撃による威力業務妨害。

19:00~0:07 夜は夕食開始から5時間、内臓と頭を撃ち続ける。そしてそれ以外の時間は兵器のセッティングに費す。自分に向けたら何分で済むんだ?こいつらの人生そのものだ。自分にはやることがないのに人のせいにすることで時間を稼ぎ、架空申告をして命を盗んでいる。奴らはクリエイターではなくクリーチャーだ。(人や悪魔に創造された化け物) 人間の能力をなめている、その程度のことを時間を費すなんて。そんなやり方で電磁波兵器の正当化なんて出来るはずがない。諦めろ。

同じことの繰り返しを数と強度を際限なく増し、人口を巻き込むことで正当化を図るという点ではギャンブルや戦争や株と同類だが、一般市民は一部の依存者の株取引が実体経済に影響を与えることにさえまだ納得していない。説得もできないだろう。それは『シムシティ』のような街づくりゲームの進行に従って住民に立ち退きを要求するようなものだからだ。それはプレイヤー個人のその場限りの主観であって私たちは背景を共有していない。銀行券自体は株券ではないのだから。変動相場制は各国の中央銀行を支配するユダヤ銀行家が金融テロを起こすための制度であり、「世界経済の安定成長や不均衡是正のための監視」は非現実的な考えである。トランプ氏が大統領時代によく叫んでいた貿易摩擦にしても扱う商品や特産品が違えば収支に差が出るのは当然でそれは国内の諸都市の間にも見られ、時給の格差として表れている。しかしだからといって各都市に同じ速度で経済成長しろとか税収を上げるために同じものを作れとは言えないはずでそもそも新しい発明や流行とて一人の人間または一地域の習慣から生まれるのであって同時多発的にひらめくのではないのだから彼らは不可能な要求をしているのであるし、街は経済成長のために活動しているのではない。にも関わらずアメリカは大国の権力を振りかざして貿易相手に難癖をつけて押し売りをしたり株価や通貨の価値を引下げて復讐したりする、不労所得で他者を圧倒しようとする、それこそ国際秩序を乱す国家テロであり監視や制裁の対象であろう。でくの坊は無能と敗北を受け入れて恥を忍んでいればいいのだ。それが嫌なら働け!

・・・同じことは大衆と私の間にも言えることだが。摩擦を起こしているのはそちらであって私の仕事を職業と認めず、人権を蹂躙し、日常生活すらまともに送らせないから私は摩擦を分析しているのである。知識も武器も法律もこれに忠実でなければ正しく使うことはできない。都合の良い部分を切り取って利益を得ようという甘い考えを捨てて文化に敬意を払うべきである。

日本人は外国人がイメージするように漫画みたいに強くて鷺を烏と言い張るような美学のない、しょうもない、愛されない悪党がはびこるのを許さないサムライの国を演じきることは日本にとって追い風になるはずだし民族性を確認、強化することにもつながる。日本のファンを失望させるべきではない。

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